盛岡城

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盛岡城(もりおかじょう)とは、現在の岩手県盛岡市内丸1-37にかつて存在した日本である。別名を不来方城(こずかたじょう)。南部氏居城盛岡藩藩庁として知られる。現在は岩手公園(いわてこうえん)、盛岡城跡公園となっている。

概要[編集]

南部氏鎌倉時代鎌倉幕府から糠部地方地頭に任命された南部光行を祖とする大名であり、三戸城を居城としていた。南部家第26代当主・南部信直津軽為信に敗れて津軽を失うが、鹿角郡岩手郡に進出して奥羽北部を支配し、豊臣秀吉に臣従して豊臣政権下の大名として生き延びた。文禄元年(1592年)、信直は領土の中心地として不来方に新たな居城の築城を開始する。文禄2年(1593年)、信直は「り上がる栄えある」という願いを込めて、不来方の地名を盛岡に変更した。

城は信直の時代から40年を経た寛永10年(1633年)、第28代当主の南部重直の時に完成した。この城は北上川雫石川中津川の合流点に存在する丘陵に存在し、盛岡城はこの河川を文字通り天然の要害として利用しながら、天守閣や本丸、2の丸、3の丸、内堀、外堀を備えたかなりの堅城であった。明治維新における戊辰戦争の際、南部家は奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍に敵対したことから、戦後の明治6年(1873年)に天守閣をはじめとする盛岡城の建物はことごとく破却処分され、現在では本丸と2の丸後に残る石塁・石段だけが往時の面影を残しているのみである。

明治29年(1896年)、城跡は岩手公園として一般に開放され、盛岡市民の散策の場としての名所として賑わうようになった。石川啄木が盛岡城跡に数々の歌を詠んでいたり、2の丸後に金田一京助の筆による「不来方のお城の草に寝ころびて、空に吸はれし、十五の心」という歌碑も建立されている。

公園内には桜山神社新渡戸稲造の「願わくばわれ太平洋の橋とならん」と刻んだ碑などが存在する。盛岡城跡は昭和12年(1937年4月、国の史跡に指定されている。

アクセス[編集]

  • 盛岡駅からバスで10分(都心循環バスでんでんむし利用など)、盛岡城跡公園下車から(徒歩すぐ)。
  • 盛岡駅から徒歩で15分。

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