高取城

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高取城(たかとりじょう)とは、現在の奈良県高市郡高取町高取にかつて存在した日本である。

概要[編集]

高取町の東端の標高584メートルの高取山に築城された山城である。この城は鎌倉時代末期の元弘2年(1332年)に後醍醐天皇鎌倉幕府討幕運動に呼応した大和国高取の豪族越智邦澄が築城したとされる。この高取は飛鳥から芋峠越しに吉野に通じる軍事上の重要拠点であり、また天然の要害の地でもあり当時から重要視されていたためである。

天正13年(1585年)、豊臣秀吉の実弟・豊臣秀長が大和に入封した際、高取にはその家臣の本多正俊が入る。この頃から高取城は近世城郭として改造されていき、江戸時代に入ると寛永17年(1640年)に徳川氏譜代の家臣・植村家政が2万5000石で入り、高取藩主として当城を治めた。この植村氏は江戸時代を通じて大過なく治め、14代232年続いて明治維新に至った。

高取城は高取山の山頂に本丸を設置し、3層の天守、小天守を擁し、櫓は27、門は33、塀の長さは2.8キロに及ぶという、わずか2万5000石の小藩とは思えないほど大規模な城郭であり、その威容や美観は芙蓉城(ふようじょう)と呼ばれるほどであった。

現在は本丸、2の丸などに延々と連なる石垣が当時の威容をしのばせ、石垣には飛鳥地方の古寺の礎石や石造物が使用されている。城の遺構としてはその他に山門のひとつが子鳴寺に移され、また山麓の下子島に高取藩家老の田口家の長屋門が残り、植村家長屋門として奈良県の史跡に指定されている。

山麓の城下町と共に、明治時代まで続いた山城としてはほとんど唯一の事例として、高取城は極めて貴重な遺構とされており、国の史跡に指定されている。山頂からは吉野・金剛・葛城の山並みが一望できるほか、城跡の登り口にを刻んだ石像が一体立っており、亀石・二面石と同系統のものと推測されている。

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