松江城
松江城(まつえじょう)とは、現在の島根県松江市殿町に存在する日本の城郭である。彦根城、松本城、姫路城、犬山城とともに国宝に指定されている。別名を千鳥城(ちどりじょう)とも言う。標高28メートルの亀田山に築かれた典型的な平山城である。
概要[編集]
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍に属して戦功を立てた堀尾吉晴・忠氏父子は、戦後の論功行賞により出雲・隠岐を与えられて24万石の藩主として入封した。慶長12年(1607年)から堀尾吉晴は4年の歳月をかけて築城を行ない、慶長16年(1611年)に居城を月山富田城から松江城に移した。堀尾氏は3代で改易となり、その後は京極氏1代を経て、寛永15年(1638年)に徳川家康の孫で結城秀康の子である松平直政が信濃松本藩から18万6000石で入封し、以後は松平家10代の支配を経て明治維新を迎えた。その間、松江城は松江藩の本拠地として藩政を執った。
明治時代初期に松江城は天守閣と石垣を残して他の建築物は全て破却された。そして城跡は城山公園と呼ばれる桜の名所となり、二の丸跡に藩祖の松平直政を祀る松江神社と興雲閣(松江郷土館)がある。現在の県庁ビルのあるあたりは松平家の第3代藩主・松平綱近から歴代藩主が居住した三の丸跡である。天守閣の他、多聞櫓があり、本丸や二の丸の堀や石垣などにも旧態をよく残しており、山陰における近世城郭の代表的な遺構として昭和9年(1934年)に国の史跡に指定され、天守閣は昭和10年(1935年)に国の重要文化財に指定されている。
松江城の天守閣は牛蒡積みの石垣の上に建つ5層6階の高さ30メートルの天守であり、慶長年間(1596年 - 1615年)に播磨姫路城とほぼ同時期に構築されたといわれている。松江城の天守閣は安土桃山時代の実戦本意の様式を備えており、最下層には籠城用の大井戸や兵糧蔵があり、最上階には天守の古い様式の特徴である望楼様式となっている。一層二層の外観も黒い板をめぐらした下見板張という古い様式を備えており、日本の城郭建築史上において貴重な遺構であるとされている。なお、現在はこの天守閣に松平家が関係する武具・古文書・藩政関係の資料や解説や藩政時代の松江市街の模型などが展示されている。
アクセス[編集]
- JR山陰本線「松江駅」からレイクラインバス10分、松江城「大手前」下車。
- 一畑電鉄「松江しんじ湖温泉駅」から徒歩20分。
- 一畑電鉄「松江しんじ湖温泉駅」から市営バス(北循環線内回り)5分、「県庁前下車」徒歩5分。