名護屋城

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名護屋城(なごやじょう)とは、現在の佐賀県唐津市鎮西町名護屋に存在した日本である。

概要[編集]

天正18年(1590年)に後北条氏を滅ぼして天下を統一した豊臣秀吉は、朝鮮出兵を行なうために九州の諸大名肥前国名護屋に築城を命じた。総奉行は肥後国熊本城主の加藤清正が務め、垣添山を中心に大規模な建設が始められた。なお、この辺りはもともと名護屋氏が支配していた領地であった。

築城は急ピッチで進められ、天正19年(1591年)10月に起工し、天正20年(1592年)2月に完成した。城郭の周囲はおよそ15町に及び、本丸や2の丸、3の丸、山里丸の4つの主郭と、腰曲輪、小曲輪などの大小11の曲輪から成り立っており、5か所に城門が設けられていたという。天守閣は5層7重で、3層2階、単層などの16の櫓をはじめ、書院や数寄屋、茶室、楼門などが建ち並んでいたという。大坂城に劣らぬ豪華な桃山建築の粋を集めた巨大な城であった。城の周囲に起伏する丘陵山野およそ6キロの間には、徳川家康ら諸大名の陣屋が設けられ、名護屋口は唐津に、一の城戸は佐志の辻、二の城戸は加倉に設けられていた。この城は朝鮮出兵の前線基地として機能していた。

慶長3年(1598年)8月18日に秀吉が死去すると、朝鮮出兵は終了して名護屋城もそれに伴って廃城とされた。資材のほとんどは関ヶ原の戦い東軍に属して唐津城主となった寺沢広高が唐津城を築城する際に用いられた。しかし旧構はなおも残っていたようであり、広高の子・寺沢堅高の時に発生した島原の乱の際、江戸幕府は一揆軍が名護屋城址に立て籠もることを恐れて残っていた石垣の要所を破壊したり、井戸も埋めたりして廃墟にしてしまったという。

現在、標高98メートルの玄武岩台地上の城跡には苔むした石垣、土塁、礎石などが残されており、雄大な名護屋城の面影を現在にわずかに伝えている。また、城跡から洋上に浮かぶ島々、遠く壱岐、対馬まで一望できる。また、城の一角に茶苑海月が建てられている。

昭和30年(1955年)、名護屋城跡並びに諸大名の陣屋跡は、国の特別史跡に指定された。

アクセス[編集]

  • JR筑肥線西唐津駅で降り、唐津大手口バスセンターから昭和バス「呼子線」または「値賀・名護屋線」に乗り約40分、「名護屋城博物館入口」バス停下車、徒歩約5分。
  • 長崎自動車道多久ICから車で約1時間。

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