栃ノ海晃嘉
栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)3月13日 - 2021年(令和3年)1月29日)は、青森県出身の元大相撲力士。第49代横綱。本名は花田 茂廣(はなだ しげひろ)。
来歴[編集]
青森県南津軽郡光田寺村(現:青森県南津軽郡田舎館村)出身。
名字が「花田」で同じ青森県津軽出身だが、若乃花幹士・貴ノ花利彰との血縁は無い。また、現役引退後に年寄・春日野を襲名した際に姓を「宮古」としたが、停年退職後は再び「花田」に戻っている。
中学同級生で先に角界入りした須藤(後に前頭・一乃矢)に刺激を受け、弘前商業高校を中退して1955年秋場所に初土俵を踏み、1960年春場所に新入幕を果たした。180センチ未満と小柄であったが、巧みな前さばきや速攻などの技能的な攻撃で活躍し、1964年春場所で横綱に昇進[注 1]した。以後、大鵬・柏戸の両横綱としのぎを削りあった[注 2]。通算成績は優勝3回、敢闘賞1回、技能賞6回である。そして椎間板ヘルニアなどに苦しみながら最高位を17場所勤めて、1966年九州場所限りで引退した。
引退後は年寄・中立を襲名し、長らく部屋付親方だったが、平成2年(1990年)に先々代の春日野親方(元横綱の栃錦)の死去により、春日野部屋を継承する。そして関脇の栃乃洋などの後進を育て上げた。
花田虎上と中学相撲のチームメイトだった自身の子息も入門したが、関取になれなかった。
平成15年(2003年)に日本相撲協会を定年退職した。同協会では、監事(現在の副理事)、理事を歴任し、巡業部長を務めている。
令和3年(2021年)1月29日未明、誤嚥性肺炎のため死去した。82歳没。横綱経験者で4人目の80歳到達で、死没前は最高齢かつ1930年代生まれ最後の横綱経験者であった。
82歳10ヶ月の寿命は、歴代横綱の中でも明治時代中期に綱を張った梅ヶ谷の83歳に次いで2番目の長寿。2024年11月に逝去した後輩横綱の北の富士勝昭にも3ヶ月の差をつけ、歴代2位は不動である。
主な成績[編集]
通算成績[編集]
- 通算成績:478勝261敗104休 勝率.647
- 幕内成績:315勝181敗104休 勝率.635
- 大関成績:101勝44敗5休 勝率.697
- 横綱成績:102勝69敗84休 勝率.596[注 3]
- 現役在位:64場所
- 幕内在位:40場所
- 横綱在位:17場所
- 大関在位:10場所
- 三役在位:6場所(関脇5場所、小結1場所)
- 連続6場所勝利:72勝(1963年9月場所~1964年7月場所)
- 通算(幕内)連続勝ち越し記録:22場所(1961年3月場所~1964年9月場所)
- 幕内連続2桁勝利記録:6場所(1963年9月場所~1964年7月場所)
各段優勝[編集]
- 幕内最高優勝:3回(1962年5月場所、1963年11月場所、1964年5月場所)
- 十両優勝:1回(1960年7月場所)
- 幕下優勝:1回(1958年7月場所)
三賞・金星[編集]
- 三賞:7回
- 敢闘賞:1回(1962年5月場所)
- 技能賞:6回(1960年11月場所、1961年5月場所、1961年7月場所、1961年11月場所、1962年1月場所、1962年5月場所)
- 金星:1個(朝潮1個)
場所別成績[編集]
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
1955年 (昭和30年) |
x | x | x | x | 西新序 3–0 |
x |
1956年 (昭和31年) |
西序二段83枚目 5–3 |
西序二段46枚目 5–3 |
東序二段22枚目 6–2 |
x | 東三段目87枚目 6–2 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西三段目60枚目 6–2 |
東三段目37枚目 7–1 |
東幕下81枚目 4–4 |
x | 西幕下80枚目 5–3 |
東幕下64枚目 7–1 |
1958年 (昭和33年) |
東幕下51枚目 3–5 |
東幕下54枚目 6–2 |
西幕下41枚目 4–4 |
東幕下40枚目 優勝 8–0 |
西幕下6枚目 4–4 |
西幕下5枚目 7–1 |
1959年 (昭和34年) |
西十両23枚目 9–6 |
東十両21枚目 8–7 |
西十両16枚目 10–5 |
西十両8枚目 9–6 |
西十両5枚目 9–6 |
東十両4枚目 10–5 |
1960年 (昭和35年) |
東十両筆頭 8–7 |
西前頭15枚目 7–8 |
東前頭17枚目 5–10 |
東十両5枚目 優勝 14–1 |
東前頭14枚目 10–5 |
東前頭8枚目 11–4 技 |
1961年 (昭和36年) |
東前頭2枚目 休場[注 4] 0–0–15 |
東前頭11枚目 9–6 |
東前頭5枚目 10–5 技★ |
東小結 11–4 技 |
東関脇 8–7 |
東関脇 9–6 技 |
1962年 (昭和37年) |
東関脇 9–6 技 |
西関脇 9–6 |
西関脇 14–1 技敢 |
東張出大関 9–6 |
東張出大関2 10–5 |
西張出大関 9–6 |
1963年 (昭和38年) |
東張出大関 9–6 |
西張出大関 8–2–5[注 5] |
西大関 10–5 |
東張出大関 8–7 |
東張出大関2 11–4 |
西大関 14–1 |
1964年 (昭和39年) |
東大関 13–2 |
東張出横綱 10–5 |
東張出横綱 13–2 |
東横綱 11–4 |
東横綱 9–6 |
西横綱 0–3–12[注 6] |
1965年 (昭和40年) |
東張出横綱 8–7 |
東張出横綱 8–7 |
東張出横綱 8–7 |
西張出横綱 7–4–4[注 7] |
西張出横綱 10–5 |
西張出横綱 5–6–4[注 8] |
1966年 (昭和41年) |
東張出横綱 休場[注 9] 0–0–15 |
西張出横綱 10–5 |
東張出横綱 1–3–11[注 10] |
東張出横綱 休場[注 11] 0–0–15 |
西張出横綱 休場[注 11] 0–0–15 |
西張出横綱 引退 2–5–0 |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴[編集]
- 花田 茂廣(はなだ しげひろ)1955年9月場所 - 1956年9月場所
- 花田 茂宏( - しげひろ)1957年1月場所
- 花田 茂廣( - しげひろ)1957年3月場所
- 花田 茂広( - しげひろ)1957年5月場所 - 1958年1月場所
- 花田 茂宏( - しげひろ)1958年3月場所
- 花田 茂広( - しげひろ)1958年5月場所 - 1959年9月場所
- 花田 茂廣( - しげひろ)1959年11月場所 - 1960年7月場所
- 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし)1960年9月場所 - 1966年11月場所
年寄変遷[編集]
- 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし)1966年11月 - 1967年2月(一代年寄)
- 中立 晃嘉(なかだち - )1967年2月 - 1967年3月
- 中立 大嗣( - ひろつぐ)1967年3月 - 1990年1月
- 春日野 大嗣(かすがの - )1990年1月 - 1990年3月
- 春日野 晃将( - てるまさ)1990年3月 - 2003年2月
- 竹縄 晃将(たけなわ - )2003年2月 - 2003年3月
脚注[編集]
- 注
- ↑ 前場所の1964年初場所は13勝で優勝次点でなかった。
- ↑ 1965年初場所以降、部屋別総当たり戦実施で、従前に対戦の無かった佐田の山とも対戦するようになった。
- ↑ 2019年1月場所限りで稀勢の里が引退するまでは、年6場所制定着(1958年)以降昇進した横綱の中で唯一の勝率5割台であり、なおかつ年6場所制定着以降の横綱最低勝率であった。
- ↑ 左足首関節捻挫により初日から全休
- ↑ 左腰部打により10日目から途中休場
- ↑ 右鎖骨骨折・椎間板ヘルニアに伴う坐骨神経痛により3日目から途中休場
- ↑ 右大腿部挫傷により11日目から途中休場
- ↑ 椎間板ヘルニアにより11日目から途中休場
- ↑ 椎間板ヘルニアにより初日から全休
- ↑ 右上腕二頭筋ヘルニアにより4日目から途中休場
- ↑ a b 右上腕二頭筋ヘルニアにより初日から全休
- 出典
- ↑ “Tochinoumi Teruyoshi Rikishi Information” (English). Sumo Reference. 2007年7月24日確認。