長嶋茂雄

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我が巨人軍は永久に不滅です!

 - 1974年10月14日、引退セレモニーにて

Baseball Pitcher.jpg 長嶋 茂雄 Baseball Batter.jpg
基本情報
国籍日本国旗.png日本
出身地千葉県印旛郡臼井町(現・佐倉市
生年月日1936年2月20日(88歳)
身長
体重
178 cm
76 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション三塁手
プロ入り1958年
初出場1958年4月5日
最終出場1974年10月14日
Wikipedia-logo.png長嶋茂雄
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 読売ジャイアンツ (1972 - 1980, 1993 - 2001)
  • 日本代表 (2003 - 2004)
  • 野球殿堂(日本)
    殿堂表彰者
    選出年1988年
    選出方法競技者表彰

    長嶋 茂雄 (ながしま しげお、1936年2月20日 - ) は、千葉県佐倉市出身の元プロ野球選手 (内野手) 、元プロ野球監督読売ジャイアンツ終身名誉監督。血液型B型。
    元プロ野球選手で野球解説者・タレントの長嶋一茂は長男。

    経歴[編集]

    • 1936年2月20日、千葉県佐倉市 (当時は印旛郡臼井町) 出身。
    • 千葉県立佐倉第一高等学校、立教大学を卒業後、1958年に読売ジャイアンツに入団。

    現役時代[編集]

    • 王貞治とのON砲で、当時の川上哲治監督率いる巨人の9年連続日本一に貢献。
    • 1974年10月14日に現役を引退、その引退セレモニーで発した 「我が巨人軍は永久に不滅です!」 は後世まで語り継がれるほどの名言になった。
    • また、長嶋の背番号 「3」 は巨人の永久欠番になった。

    引退後、監督時代[編集]

    • 翌年、1975年から川上哲治に代わって巨人の監督に就任し、初年度は最下位に終わってしまう。が、1976年シーズンにはリーグ優勝に導く。
      • この頃は背番号は 「90」 だった。
    • 1980年のシーズン終了後、監督を解任される。その際、当時 「ズームイン!!朝!」 (日テレ系) で司会を務めていた徳光和夫は熱狂的な巨人ファンかつ長嶋ファンだったこともあり、この解任騒動では 「読売新聞の購読をやめます!」 と発言するほどヒートアップ。その後全国的な読売新聞の不買運動につながったことは有名な話である。
    • 1988年には野球殿堂入りを果たす。
    • 監督解任から13年経った1993年、再び監督に就任。背番号は 「33」 になった。
    • 2000年からは背番号は現役時代と同じ 「3」 になり[1]、当時、話題性に欠けていたチームの話題作りに大いに貢献した。この年の日本シリーズでは王貞治監督率いるダイエーと対決、「ON対決」 として注目された。
    • 2001年に監督を退任。9月28日には終身名誉監督への就任が発表された。

    監督退任後[編集]

    脚注[編集]

    1. この背番号を披露するときは、最初はユニフォームの上から上着を着て番号を隠しており、上着を脱ぎ背番号 「3」 が見えると大きな歓声が起こった。
    関連項目:内閣総理大臣顕彰 - 勲章 (日本) - 褒章 - 賞杯 - 賜杯 - 位階
    個人 1977年昭和52年):王貞治
    1978年(昭和53年):古賀政男
    1984年(昭和59年):長谷川一夫
    1984年(昭和59年):植村直己
    1984年(昭和59年):山下泰裕
    1987年(昭和62年):衣笠祥雄
    1989年平成 元年):美空ひばり
    1989年(平成 元年):千代の富士貢
    1992年(平成 4年):藤山一郎
    1992年(平成 4年):長谷川町子
    1993年(平成 5年):服部良一
    1996年(平成 8年):渥美清
    1998年(平成10年):吉田正
    1998年(平成10年):黒澤明
    2000年(平成12年):高橋尚子
    2009年(平成21年):遠藤実
    2009年(平成21年):森光子
    2009年(平成21年):森繁久彌
    2012年(平成24年):吉田沙保里
    2013年(平成25年):大鵬幸喜
    2013年(平成25年):長嶋茂雄
    2013年(平成25年):松井秀喜
    2016年(平成28年):伊調馨
    2018年(平成30年):羽生善治
    2018年(平成30年):井山裕太
    2018年(平成30年):羽生結弦
    2023年(令和5年):国枝慎吾
    団体 2011年(平成23年):ワールドカップ日本女子代表
    個人27人、団体1団体が受賞している/名前の前の年は受賞年。