薬師丸ひろ子

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薬師丸 ひろ子(やくしまる ひろこ、1964年6月9日 - )は、日本女優歌手。元夫はミュージシャン、俳優の玉置浩二

プロフィール[編集]

概要[編集]

本名は、薬師丸 博子(やくしまる ひろこ)。

東京都立八潮高等学校を経て、玉川大学文学部英米文学科卒業。

1978年に『野性の証明』でデビュー。

1981年に主演映画『セーラー服と機関銃』の主題歌『セーラー服と機関銃』で歌手としてデビュー。

人物[編集]

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出演[編集]

詳細は「薬師丸ひろ子の出演作品一覧」を参照

音楽[編集]

詳細は「薬師丸ひろ子のディスコグラフィ」を参照

書籍・雑誌[編集]

写真集[編集]

『薬師丸ひろ子フォトメモワール』『Part2』『Part3』を合わせた累計発行部数は80万部を超える[1]

  • 『薬師丸ひろ子フォトメモワール』(1979年12月、富士見書房NCIDBN15803059
  • 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part2)』(1980年12月、富士見書房)NCIDBN1580330X
    • 角川文庫版(1984年6月、角川書店)NDL84047561
  • 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part3)』(1982年3月、富士見書房)NCIDBN15804288
    • 角川文庫版(1984年10月、角川書店)NDL85005802
  • 『フラッシュバックひろ子 : ありのままの輝き 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子写真集』(1983年6月、角川書店)NDL83052406
  • 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part4)』(1984年6月、富士見書房)ISBN 4829160047NDL85005801
  • 『薬師丸ひろ子Visual message 21才の旅立ち』(1985年12月、扶桑社ISBN 9784893530653
  • 『「野蛮人のように」写真集』(1986年1月、 集英社NDL86010647

インタヴュー・対談集[編集]

  • 『プレイバックひろ子 : 言葉かみしめて 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子対談集』(1983年6月、角川書店NDL83052407
  • 鎌田慧『日本人の仕事』(1986年9月、平凡社ISBN 4582705022 - 〔角川春樹事務所独立後、〕仕事(女優)についてのインタビュー収録。
  • 『「映画愛」 俳優編 武藤起一インタヴュー集』(1993年5月、大栄出版)ISBN 4886825591 - 1992年11月17日のインタビュー収録。
  • 松本隆対談集『KAZEMACHI CAFE』 (2005年4月、ぴあISBN 483561514X - 2001年9月12日の対談収録[注 1]

雑誌[編集]

  • バラエティ』(1978年 - 1986年、角川書店) - 薬師丸のファン・マガジンの役割を担う[2]角川春樹事務所の方針で薬師丸はファンクラブを持たなかった[3]
    • 「野性の輝きにみちて・頼子」1978年(昭和53年)5月号。 - 初登場[4]
    • 「薬師丸ひろ子スペシャル」1981年(昭和56年)8月臨時増刊号。 - ミニ写真集、兼、『ねらわれた学園』までの映画・TV・CMのデータブック[4]
    • 「グッドラック! 薬師丸ひろ子」1985年(昭和60年)5月号。 - 角川春樹事務所から独立直前のグラビアとインタビュー、ブルーリボン賞授賞式の模様、8年間86冊(通常号84冊と臨時増刊号2冊)の掲載内容リストなど[4]
  • 週刊朝日』(1979年11月23日号、朝日新聞社)表紙[5]
  • 週刊ザテレビジョン』(1982年9月22日創刊号、角川書店)創刊号を含め表紙登場回数は12回(2002年3月1日号時点)[6]
  • キネマ旬報キネマ旬報社
    • 山際淳司「薬師丸ひろ子インタビュー」『キネマ旬報』1981年(昭和56年)12月下旬号、キネマ旬報社、1981年、 52-53頁。
    • 内海陽子「ひろ子の軌跡」『キネマ旬報』1983年(昭和58年)7月下旬号、キネマ旬報社、1983年、 49-53頁。
    • 野村正昭「アイドル誕生 - 薬師丸ひろ子の場合」『キネマ旬報』1983年(昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、 44-46頁。
    • 中岡徹尚「薬師丸ひろ子論」『キネマ旬報』1986年(昭和61年)2月上旬号、キネマ旬報社、1986年、 105-107頁。
    • 「薬師丸ひろ子の証明」『キネマ旬報』1992年(平成4年)10月下旬号、キネマ旬報社、1992年、 15-34頁。
    • 尾形敏朗「素晴らしき映画女優(7)薬師丸ひろ子 - 映画におかえりなさい!」『キネマ旬報』2005年(平成17年)11月上旬号、キネマ旬報社、2005年、 121-129頁。
    • 薬師丸ひろ子「薬師丸ひろ子 映画のマジック、映画の奇蹟に出会えた2005年」『キネマ旬報』2006年(平成18年)2月下旬号、キネマ旬報社、2006年、 48 - 49頁。
    • 金澤誠「薬師丸ひろ子インタビュー」『キネマ旬報』2007年(平成19年)11月上旬号、キネマ旬報社、2007年、 31- 33頁。
  • 薬師丸ひろ子「独占インタビュー 五年連用日記で私の心を覗く」『婦人公論』1998年(平成10年)10月7日号、中央公論新社、1998年、 58-61頁。
  • 阿川佐和子のこの人に会いたい(610)二十歳のとき、「泣き方は私が決める」と思って、一度辞める決心をしました 女優 薬師丸ひろ子」『週刊文春』2005年12月8日号、文藝春秋、2005年、 146 - 150頁。
  • 林真理子「マリコのここまで聞いていいのかな(300)ゲスト 薬師丸ひろ子 女優」『週刊朝日』2006年2月3日号、朝日新聞出版、2006年、 48 - 52頁。

受賞歴[編集]

1981年
第4回日本アカデミー賞 話題賞(俳優部門)(『翔んだカップル』)
第2回ヨコハマ映画祭 主演女優賞(『翔んだカップル』)
1982年
第5回日本アカデミー賞 話題賞(俳優部門)(『セーラー服と機関銃』)
第15回日本レコードセールス大賞 女性新人賞[7]
1983年
第1回ゴールデングロス賞 マネーメイキングスター賞
1985年
第8回日本アカデミー賞 話題賞(俳優部門)(『Wの悲劇』)
第27回ブルーリボン賞 主演女優賞(『Wの悲劇』)
第3回ゴールデングロス賞 マネーメイキングスター賞
1986年
第9回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『Wの悲劇』)
1991年
第14回日本アカデミー賞 話題賞(俳優部門)[注 2](『タスマニア物語』、『病院へ行こう』)
1992年
第7回高崎映画祭 最優秀主演女優賞(『きらきらひかる』)
1997年
第13回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『ミセスシンデレラ』)
第24回放送文化基金賞 女優演技賞(『熱の島で〜ヒートアイランド東京〜』)
2006年
第29回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』)
第48回ブルーリボン賞 助演女優賞[注 3](『ALWAYS 三丁目の夕日』、『オペレッタ狸御殿』)
第79回キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』、『オペレッタ狸御殿』、『レイクサイド マーダーケース』、『鉄人28号』)
第30回報知映画賞 助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』)
第18回日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』)
第27回ヨコハマ映画祭 助演女優賞(『ALWAYS 三丁目の夕日』、『オペレッタ狸御殿』、『レイクサイド マーダーケース』、『鉄人28号』)
第9回日刊スポーツ・ドラマグランプリ 助演女優賞(『1リットルの涙』)[10]
第2回TVnaviドラマ・オブ・ザ・イヤー2005 助演女優賞(『1リットルの涙』)
2008年
第31回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞(『ALWAYS 続・三丁目の夕日』)
2010年
第19回日本映画批評家大賞 主演女優賞(『今度は愛妻家』)
2011年
第34回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『今度は愛妻家』)
2014年
放送ウーマン賞2013[11]
2018年
第41回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞(『8年越しの花嫁 奇跡の実話』)

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. 前日に起こったアメリカ同時多発テロ事件と3日前に死去した相米慎二監督のことを話している。
  2. 2016年11月現在、話題賞俳優部門4回は最多受賞記録[8]
  3. ブルーリボン賞で主演、助演の両方を手にした女優は10人目、達成に要した期間21年は高峰秀子の22年に次ぐ長さだった[9]

出典[編集]

  1. 「角川書店、キャラクターに進出──人気の『薬師丸ひろ子』を文具メーカーなどに売る。」『日経産業新聞』1982年3月29日付、4頁。
  2. “【ああ懐かしの雑誌黄金時代】「バラエティ」 時間と予算ふんだんで記憶にのみ残る番組生まれる - 芸能 - ZAKZAK”. 夕刊フジ. (2016年2月24日. http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160224/enn1602240830006-n1.htm 2016年2月24日閲覧. "薬師丸ひろ子や原田知世ら角川映画でスターになっていった女優たちのファンマガジンの役割も果たしていた。" 
  3. DOCUMENT 1981, p. 81.
  4. a b c 「グッドラック! 薬師丸ひろ子」、『バラエティ』1985年(昭和60年)5月号、角川書店、1985年、 20 - 49頁。
  5. 週刊朝日1979年11月23日号表紙”. インターネット篠山紀信、2016-05-13確認。
  6. 「MEMORIAL 20 Year's - レモン伝説 - 19回 薬師丸ひろ子 知らない世界(テレビ)に入るのが怖かった」、『ザテレビジョン』2002年(平成14年)3月1日号、角川書店、2002年、 34頁。
  7. 薬師丸ひろ子”. TSUTAYA [T-SITE]、2015-06-23確認。
  8. “日本アカデミー賞話題賞の投票スタート、2016年は「バクマン。」とももクロが受賞”. 映画ナタリー (Natasha). (2016年11月17日. http://natalie.mu/eiga/news/209797 2016年11月25日閲覧。 
  9. 伊東武彦「薬師丸流、ニッポンの母 21年ぶりのブルーリボン賞受賞」、『アエラ』2006年(平成18年)2月27日号、朝日新聞社2006年、 63頁。
  10. 日刊スポーツ・ドラマグランプリ 歴代の受賞者・受賞作品 : nikkansports.com”. (2014-05-06)、2014-05-10確認。
  11. 放送ウーマン賞2013”. 日本女性放送者懇談会、2014-2-22確認。


外部リンク[編集]