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横綱

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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横綱(よこづな)は、大相撲における幕内の最高番付で、番付最高位。また、アマチュア相撲など、他の競技のチャンピオンにも転用される(後述)。

概要[編集]

大相撲における番付における最高位であり、大関の上の地位。江戸時代から明治初期まで、大関の中から品格と抜群の力量をもつ者に免許を与える称号で、番付の最高位に転じてからもその考えが引き継がれている。

待遇等[編集]

  • 降格制度が無いため、引退まで横綱に留まれるが[注 1]、進退は自己責任である。
  • 大関同様、場所入りの乗用車利用、地方場所移動時のJRグリーン車利用が認められる。
  • 日用品などを入れる行李である明荷の使用が3つまで認められる。
  • 年寄名跡を取得していなくても引退から5年間は四股名のまま年寄として残ることができる「特典」がある。

土俵入り[編集]

横綱はの証である白い綱を腰に締めて、露払い太刀持ちと共に、本場所などで土俵入りを行い、四股を踏んで大地の邪鬼を殺す。この際、補助者は手袋をはめて行う。土俵入りの作法には「雲竜型」と「不知火型」がある。

昇進[編集]

「大関の地位で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績を上げた力士」という横綱審議委員会の内規にもとづいて日本相撲協会理事長が当該力士について報告。横綱審議委員会は審議の上で3分の2以上の賛成があれば横綱に推薦をする。その後、理事会で審議されて決議されれば横綱に昇進となり、大関同様に昇進伝達式が行われ、伝達後は番付発表前でも横綱の待遇を受ける。

主な昇進者[編集]

横綱関連の記録[編集]

横綱最速昇進記録[編集]

年6場所制実施(1958年)以降の前相撲初土俵力士
順位 所要場所 四股名 期間 昇進場所の成績
1位 25場所 朝青龍明徳 1999年1月場所 - 2003年1月場所 10勝5敗
2位 30場所 曙太郎 1988年3月場所 - 1993年1月場所 10勝5敗
3位 38場所 白鵬翔 2001年3月場所 - 2007年5月場所 11勝4敗

1957年(昭和32年)以前は羽黒山政司の16場所が最速。付出力士は唯一横綱昇進している輪島大士が所要21場所である。

引退後[編集]

横綱昇進後、成績不振や不祥事で引退を迫られるなど、進退は自己責任であり[注 2]双羽黒朝青龍日馬富士のように詰腹を切らされて、角界のそのものを去った横綱もいる。
日本国籍を持てば、前述のように5年間の時限付き年寄襲名の権利がある他、名跡取得で協会に親方として残れる場合は引退後最高5年間「委員待遇年寄」となる。その後も協会役員の理事に就任する親方が殆どである。
現役時に張り詰めて取り組むからか、概して短命で65歳の定年を迎えずに逝去することも珍しくない[注 3]

なお、引退相撲における断髪まで「御礼奉公」と称される巡業等での土俵入りを行うことがある。

また、強豪横綱の太刀山峰右衛門が始めた赤い綱を締めての還暦土俵入りも行われているが、生存者全員が披露しているわけではない。

歴史[編集]

現在の横綱制度は江戸時代の勧進相撲で、吉田司家19世吉田追風が横綱免許を考案して、強豪大関の谷風と小野川に免許を授けたのを原型とする。元々は大関のうち、特に成績が優れ、人格のあるものに対して授けられて名誉称号のようなものであり、番付には載らなかった。最高位の番付はあくまで大関であった。
その後、吉田司家の主家筋にあたる公家の五条家も免許授与を行い競合し、西南戦争で23世吉田善門が謹慎中、五条家が横綱免許を授与したが、吉田善門が東京相撲協会と和解し、吉田司家が復権した。
その後、横綱免許を受けた西ノ海嘉治郎 (初代)が張出大関にクレームしたのを期に番付にも「横綱」が記載され、1909年(明治42年)に番付最高位に変化した。

以来、1983年の隆の里まで、吉田司家が横綱免許授与に関わり続けた。
しかし、1986年に25世吉田長孝が自己破産したのを機に、日本相撲協会は吉田司家と断絶。現在は推挙後に行われる明治神宮土俵入りで相撲協会理事長が横綱免許を授与している。

転用[編集]

転じて、アマチュア相撲においても全国大会の優勝者がアマチュア横綱実業団横綱学生横綱高校横綱わんぱく横綱といった称号で呼ばれる。また、他の格闘技をはじめ、あらゆる物事のチャンピオンにも使われる。

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ただし、成績が悪い場合、横綱審議委員会から、激励、さらには引退勧告を迫られる場合がある。
  2. これは会社における役員の進退と似ている。但し、過去には千代の山雅信のように大関降格での出直しを求めた者もいた。
  3. 2024年の北の富士勝昭逝去後の次の世代存命者は三重ノ海剛司であり、更に次の世代は旭富士など1960年代前半生まれの横綱経験者である。