イチロー
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県西春日井郡豊山町[1][2] |
生年月日 | 1973年10月22日(51歳) |
身長 体重 | 180.3 cm 79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト4位(オリックス) |
初出場 | NPB / 1992年7月11日 MLB / 2001年4月2日 |
最終出場 | NPB / 2000年10月13日 MLB / 2019年3月21日 |
イチロー | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2006年、2009年 |
イチロー(本名:鈴木一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日)は、日本の元野球選手。愛知県西春日井郡豊山町出身。
概要[編集]
愛知工業大学附属名電高等学校時代は投手として春のセンバツに出場。高校卒業後の1992年にパシフィック・リーグのオリックス・ブルーウェーブにドラフト4位入団。当時オリックスのみが野手としての可能性を見出し、地元中日に先取されない順位として4位指名した。土井正三監督時代、コーチの山内一弘に嫌われて半ば干されていたが、1994年に仰木彬監督に見出され、登録名をイチローとしてからは、振り子打法を武器に打者として大活躍し、当時の新記録だった210安打を記録して、選手として一躍注目を浴びた。 1995年は首位打者、打点王、盗塁王、MVPなど本塁打王以外のタイトル[注 1]を独占しかけ、本塁打もリーグ3位で1位の小久保裕紀と3本差と、三冠王やトリプルスリーまで狙えるような成績だった。しかし、その後は不調に陥り1997年は打率が.345まで下がり首位打者を獲得、1998年は若干持ち直したものの1999年は打率.343とレギュラー定着後最低の成績で首位打者を獲得した。2000年はキャリアハイとなる打率.387を記録し、オフにメジャー挑戦を表明。2001年にアメリカ合衆国のメジャーリーグのシアトル・マリナーズに移籍した。2019年に現役を引退。日米通算4367安打。
人物データ[編集]
脚注[編集]
出典[編集]
- ↑ “「人と比較せず自分の中で少し頑張る」イチローが野球少年に送った人生訓”. 文藝春秋(2017-02-02)、2017年2月2日確認。
- ↑ “イチロー出身地の愛知・豊山町は喜びに沸く「郷土の誇りだ」”. サンケイスポーツ (2016年6月16日). 2016年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月20日確認。
注釈[編集]
- ↑ 野手が取れるものに限る