前橋汀子
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前橋 汀子(まえはし ていこ、1943年12月11日 - )は、音楽家である。国際的ヴァイオリニスト。
経歴[編集]
修業時代[編集]
- 1943年12月11日、東京で生まれる。父の前橋正二は社会科の教師、母の輝子は専業主婦である。練馬桜台の母の実家で育つ[1]。
- 1947年、4歳で自由学園幼児生活団に入園する。情操教育の一環としてヴァイオリンかピアノのどちらかを選ぶことになり、ヴァイオリンを選んだ。
- 1948年12月、5歳で旧ロシア貴族で音楽教師の小野アンナにヴァイオリンを学び、月曜日と木曜日の週2回通う。
- 1949年、練馬区の区立小学校に入学。
- 1952年、学芸大学付属大泉小学校の補欠試験に合格し、小学校3年で転校する。学校の近くの練馬区大泉に転居する。学科とヴァイオリンの勉強を両立させることに必死であった。
- 1955年、全日本学生音楽コンクール(毎日学生音楽コンクール)でヴァイオリン部門の第2位となる。同年、ヴァイオリンの巨匠オイストラフのコンサートを聴いた。美しく豊かな響きに感度し、「ロシアに行くとああいうふうに弾けるようになるのではないか」と強く思い、それから「私は絶対にロシアに行く、行きたい!」が夢になった。
- 1956年、「桐朋学園子供のための音楽教室」に通い、斎藤秀雄に師事する。日ソ協会に通い、ロシア語の勉強を始める。
- 1960年、桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)に進学する。同窓に小澤征爾、中村紘子、堤剛、徳永二男、秋山和慶、今井信子がいる[1]。
- 1961年ロシアへの留学が許可され、17歳で9月からレニングラード音楽院(現サンクトペテルブルク音楽院)に留学する。ミハイル・ヴァイマンに師事し、音楽とともに音楽の背景にある歴史、文化、芸術を学んだ。
- 1967年11月、ロンティボー国際コンクールに出場し三位に入賞する。
- 1966年9月、ニューヨーク・ジュリアード音楽院ディプロマコースに1年間留学し、ロバート・マン、ドロシー・ディレイらの指導を受ける。
- 1968年、ズービン・メータのオーディションを受ける。シゲティのピエトロ・ガルネリの楽器とスイスの楽器店から借りた弓で臨み合格した。
世界デビュー[編集]
- 1970年4月、ストコフスキー指揮によるアメリカ交響楽団と共演し、ニューヨークカーネギーホールで演奏会デビューする。
- 1971年、ズービン・メータ指揮のロサンジェルス・フィルハーモニーと共演し、国際的に認められる契機となる。同年9月、ニューヨーク州のサラ・ローレンスカレッジにレジデンス・アーティストとして招聘される。
- 1972年からスイスに居を移し、ヨーロッパ各地での本格的な演奏活動を開始した。ベルリン・フィルハーモニー、ベルリン放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー、ハンブルク交響楽団、フランクフルト放送管弦楽団、バイエルン交響楽団、ハンベルクシンフォニー、ロンドン・フィルハーモニー、ロンドン・ロイヤル・フィルハーモニー、スイスロマンド管弦楽団、バイエ ルン放送交響楽団、フランス国立管弦楽団、モンテカルロ国立管弦楽団、スペイン国立管弦楽団、クリーブランド管弦楽団、ヒューストン管弦楽団、レニングラー ド・フィルハーモニー、ヘルシンキ・フィルハーモニー等と共演する。
- 1972年10月、イタリアのアルベルトクルチ国際コンクールで優勝。
- 1975年、スイスのジュネーブにおいて、スイスロマンド放管との国連コンサートに招待され、演奏は全ヨーロッパに放送された
- 1979年8月、NHK交響楽団のアジア、中国、オーストラリア演奏旅行にソリストとして同行する。北京、香港、シンガポール、バンコク、 マニラ、ジャカルタ、シドニー、その他各地で公演。
日本に帰国[編集]
- 1980年、日本に帰国し、NHK交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団、札幌交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、東京交響楽団、東京都交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団等のオー ケストラと共演。リサイタル含め年間100~130回のコンサート活動を行う。
- 2001年秋、『ヴァイオリン小品100曲選シリーズ』全6巻を完成。
- 2004年、日本芸術院賞受賞[2]。「長年にわたるヴァイオリン奏者としての演奏に対し」
- 2007年、「J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ 全曲演奏会」開催。
- 2012年4月、ソニーミュージックより2枚組CD「50周年アニヴァーサリーアルバム」をリリース。
- 2014年、チェロ:原田禎夫、ヴァイオリン:久保田巧、ヴィオラ:川本嘉子と共にベートーヴェン「弦楽四重奏曲演奏会」開催。
- 2019年1月27日、「前橋汀子カルテット」前橋市文化ホールで開催。曲目はベートーベン「弦楽四重奏曲第8番ホ短調op.59-2(ラズモフスキー第2番)」「弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調op.131」[3]
受賞[編集]
- 1993年のデビューアルバム『バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ全集』は文化庁芸術作品賞を受ける。
- 2007年、第37回エクソンモービル音楽賞洋楽部門本賞(現JXTG音楽賞)受賞[4]。
- 2011年6月、紫綬褒章受章。
- 2017年4月、旭日小綬章受章[5]。
テレビ出演[編集]
- NHKテレビ番組『前橋汀子・わが心の旅』
- 2006年12月9日、テレビ朝日系「SmaSTATION-6」に出演。
- 2018年3月25日(日)NHK 総合テレビ「~さだフェス2018~」に出演。
- 2014年3月24日、徹子の部屋 「クラシックvol.1」に出演。
- 2000年9月27日、世界・わが心の旅「青春の響きは今も」 「サンクトペテルブルク・青春の響きは今も」バイオリニスト前橋汀子に出演。
- 2000年9月8日、徹子の部屋 「超絶の美人バイオリニスト」にゲストとして出演。
人物[編集]
- 後年になり、元総理大臣・大平正芳の奥様に面談したとき、「あなたのことは主人から聞いていました。主人が外務大臣の時、日本からソ連へヴァイオリンの勉強に行きたいという女の子がいて、何とか実現させてやりたい、と申していました」と言われ、留学実現には多くの側面援助があったことを知る[1]。
- ロサンジェルスフィルと共演後は、ロサンゼルスの新聞や雑誌などのメディアで華々しく取り上げられ、ラジオ番組にも出た。「君が今週のソリストだね」とハリウッド俳優に声をかけられたこともあった。著名オーケストラのソリストを務めることが、演奏家のステータスを高めることを知る。
- 共演した指揮者はズービン・メータ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ルドルフ・ケンペ、ウォルフガング・サヴァリッシュ、クルト・マズア、小澤征爾などのマエストロ。
- 美智子皇后が2015年06月22日に前橋汀子のコンサートを鑑賞。30年以上の親交がある。
- 東京芸術大学非常勤講師(2008年~2012年)
使用楽器[編集]
- 1736年製作デル・ジェス・グァルネリウス[1]。
参考文献・注釈[編集]
- ↑ a b c d 前橋汀子(2017)「私のヴァイオリン」早川書房、ISBN:978-4-15-209705-7
- ↑ 歴代授賞者一覧
- ↑ [ http://www.city.morioka.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/024/481/tirasi.pdf 前橋汀子カルテット]
- ↑ 音楽賞洋楽部門本賞 歴代受賞者リスト
- ↑ ヴァイオリン前橋汀子、旭日小綬章を受賞