大関

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大関(おおぜき)は、大相撲における地位。

概要[編集]

大相撲における番付において三役の最高位。東西1名ずつで欠くことは許されず、横綱が番付上「横綱大関」として大関の欠員を埋めることがある。
最上位の横綱に次ぐ地位の役力士であり、1909年1月までは番付上の最高位でもあった。

大関に昇進するには「3場所連続で関脇小結の地位で通算の勝ち星が33勝以上」が目安とされているが、これは明文化されたものではない。この基準に達していなくても大関に昇進する例や基準に達していても大関に昇進できない例も多い。関脇以下の番付力士は負け越せば番付は落ちるが、大関は角番となって猶予される(後述)。また角番で負け越して関脇に番付が落ちても翌場所に10勝したら大関に戻ることができる。

協会理事会で大関昇進が決まると直ちに協会理事と一門の審判委員が使者となって本人に昇進を伝える昇進伝達式が行われ、昇進者は口上を述べる慣例となっている。番付発表前でも昇進伝達を受けた時点で、待遇も上がる。

待遇等[編集]

  • 負け越しても、翌場所は番付が据え置かれる(下記「大関陥落」を参照)。
  • 場所入りの乗用車利用、地方場所移動時のJRグリーン車利用が認められる。
  • 年寄名跡を取得していなくても引退から3年間は四股名のまま年寄として残ることができる「特典」がある。父からの継承が確実な栃東大裕や引退直後の年寄名跡取得のアテがあった琴欧州勝紀はこの制度を活用しているが、大関経験者は現役時に年寄名跡を確保していることが多い。
  • 基本給平幕の約1.75倍に増額される。これは昇進伝達を受けた時点から番付発表前でも適用される。

大関陥落[編集]

大関が負け越して迎える次の場所は角番と呼ばれる。角番で負け越してしまって2場所連続の負け越しとなった大関は関脇に陥落する。
関脇となった直後の場所に限って10勝すれば大関に復帰できる救済制度があり、三重ノ海はこの救済の後、横綱昇進を果たしている。
10勝できない場合、再度大関に昇進するには通常の力士と同じ条件を満たさなければならないが、救済無しでの大関再昇進を果たしたのは、魁傑照ノ富士のみで、照ノ富士は再昇進後2場所で横綱昇進した。
ただ、横綱のように自己責任で引退を強制されることはなく、国外出身力士は年寄名跡取得に日本国籍が必要なのと、引退後も「元大関」で協会内で処遇されるため、高安御嶽海のように体力の続く限り平幕に留まる陥落力士も昨今は少なくない。

大関関連の記録[編集]

大関最速昇進記録[編集]

年6場所制実施(1958年)以降の前相撲初土俵力士
順位 所要場所 四股名 期間 昇進場所の成績
1位 19場所 琴欧州勝紀 2002年11月場所 - 2005年11月場所 10勝5敗
2位 22場所 朝青龍明徳 1999年1月場所 - 2002年7月場所 10勝5敗
3位 26場所 曙太郎 1988年3月場所 - 1992年5月場所 0勝0敗15休
4位 27場所 武蔵丸光洋 1989年9月場所 - 1994年1月場所 9勝6敗

1957年(昭和32年)以前は羽黒山政司の12場所、付出力士では大の里泰輝(幕下10枚格)の9場所、雅山哲士(幕下最下位格)の12場所が最速。

その他[編集]

平幕力士が大関に勝つことを銀星というが、これは金星に由来した報道等の俗語に過ぎない。

関連項目[編集]

本のアイコン.pngよみものプロジェクトのライターが『名大関ランキング』を執筆しています。