村松友視

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村松友視(むらまつ ともみ、1940年4月10日‐ )は、作家。

人物[編集]

東京生まれ。祖父は作家の村松梢風、父はその長男・村松友吾だが、父は友視が胎内にいる時に上海で客死し、その後生まれたため、祖父の養子となった。父の弟には村松喬村松暎がいる。鎌倉で、梢風の妾によって育てられ、静岡高等学校へ行き、慶應義塾大学文学部国文科卒。中央公論社に入り、安原顕とは盟友関係にあった。唐十郎の担当編集者となり、3代目市川猿之助の助手のような仕事もしていた。

1980年、エッセイ『私、プロレスの味方です』を書いて有名になる。この本は、北大生協のベストセラー1位に輝く。続いて出した『当然、プロレスの味方です』、『ダーティ・ヒロイズム宣言』はプロレス三部作と呼ばれプロレスファンの間で話題となる。特に『ダーティ・ヒロイズム宣言』はジャンルの垣根を超えて、九十九一イッセー尾形について語られた。最初のプロレスエッセイでアントニオ猪木のプロレスを「過激なプロレス」と評して、新日本プロレスブームの下地を作った。

その後小説を書き始め、82年『時代屋の女房』で三度目の候補にして直木賞を受賞する。97年、育ての親である祖父の妾のことを書いた『鎌倉のおばさん』で泉鏡花文学賞を受賞。高校の五年先輩に当たる三木卓とともに全国遊里巡礼をしたこともある。『「雪国」あそび』『ヤスケンの海』などがある。