大谷翔平

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Baseball Pitcher.jpg 大谷 翔平 Baseball Batter.jpg
ロサンゼルス・ドジャース #17
基本情報
国籍日本国旗.png日本
出身地岩手県水沢市(現:奥州市
生年月日1994年7月5日(30歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション投手外野手指名打者
プロ入り2012年 ドラフト1位
初出場NPB / 2013年3月29日
MLB / 2018年3月29日
年俸$70,000,000
(2024年から10年契約)
Wikipedia-logo.png大谷翔平
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム野球日本代表
WBC2023年
プレミア122015年

大谷 翔平(おおたに しょうへい、1994年7月5日 - )は、別の惑星出身ユニコーン日本プロ野球選手。右投左打。ポジションは投手・外野手。MLBのロサンゼルス・ドジャース所属。2023ワールド・ベースボール・クラシック 主人公金メダリスト。

概要[編集]

愛称はオオタニサン2023年のWBCでは決勝でアメリカ代表のマイク・トラウトに対して三振を取り、優勝を果たした。大谷にはかなりのファンがおり、大谷と丸太小屋に住みたい者も現れるほどである。

経歴[編集]

岩手県奥州市[注 1]生まれ。高校は当時高校球界No1投手の菊池雄星を追って花巻東高等学校へ進学。

高卒見込み時、ドラフトの目玉とされたが、本人は高卒からのアメリカ球界入りを狙い、スカウトの誘いを断ったが、日本ハムのみドラフト指名。当時監督だった栗山英樹は、高卒からのアメリカ球界入りのデメリットを示す資料を作成し、大谷を説得。入団に漕ぎ着けた一方、投打二刀流などは大谷自身の希望を尊重した。

日本ハムで実績を挙げた後、ポスティングでアナハイム・エンゼルスに入団。投打とも記録を作ったベーブ・ルースの記録を超え[1]、2020年代の大リーグの新時代を形成する選手の一人となった。

2023年は投手ながらリーグ最多の本塁打を記録する活躍を見せたが、9月に右肘靭帯損傷と右脇腹痛で閉幕を待たずにシーズンを終えた。
シーズン終了後、エンゼルスから提示されたクオリファイング・オファー(QO)を拒否してFAとなり、各球団の獲得競争となったが、12月9日に10年契約でロサンゼルス・ドジャースに移籍することを決めた。

2024年の移籍初年度は指名打者に専念。大リーガー初の50本塁打、50盗塁の「50 - 50」超えで指名打者としても伝説を作り、最多本塁打、最多打点の二冠を達成した。

人物・エピソード・プレースタイル[編集]

  • 江本孟紀は二刀流という起用法に反対しているが、大谷の投手・打者それぞれの能力は高く評価しており、どちらかに専念すればシーズン記録の更新は容易くしてしまうだろう、という持論を展開している。しかし、大谷は江本の予想を遥かに超えた存在となり、どちらかに専念することなく世界最高峰の野球リーグで前人未踏の境地に辿り着いている。
  • 2018年シーズン終盤に元ニューヨーク・ヤンキース監督のジョー・ジラルディから「今後、野手として守るならば、どこを守りたいか?」と問われると「日本の時はちょっとだけショートを守ったんですけど、すぐにクビになったので、もう内野手はないだろうなと思っています」と回答[2]
  • テレビ朝日で2023年3月9日に放送された「テレビ千鳥」の野球盤ゲームで遊ぶ企画に於いて、千鳥・ノブが大谷に送りバントをさせた。放送後に行われたWBC準々決勝・イタリア戦で大谷はセーフティバントを試み成功させており、これが(予想以上に)現実化したとして注目された[3]
  • 上記バント安打について、落合博満は「俺だったらやらない」「クリーンアップですから。普通はそう考えます。ましてや1アウトだし、あれでファーストでアウトになったら2アウトセカンドでしょ?たまたまエラーになった[注 2]からということも重なっての攻撃パターン」と切り捨てた[4]。もとより落合は鈍足の長距離砲であり、全盛期の彼に誰もバントを要求しないものと思われる
  • ドジャース移籍に際し、ユニフォームがそっくりの中日ドラゴンズに関連するコラージュ画像が投稿されたり、プロ野球ゲームで勝手に大谷を中日入りさせたりする行為が散見された。また、大谷より30年早くドジャースのユニフォームに身を包んで中日の入団会見に出席していた富永章敬の存在がスクープされ、話題を集めた。
  • 2023 ワールド・ベースボール・クラシックのオーストラリア戦で初回、豪州先発の弱冠20歳ウィル・シェリフ投手から自身がデザインされた「Salesforce」の看板直撃の3ランホームランを放つ。真剣勝負、まして国際舞台なのだから仕方ないのだが、打たれたシェリフが「初球はいい球を狙い通り投げられたからもう一球続けようと思ったんだけど、彼は世界最高の選手だからね。やられちゃったよ。でもそんな人はいっぱいいるから」「正直言うと、また対戦したいよ。エキサイティングなことになるだろうね」とまさかの再戦を熱望[5]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. 出生時は水沢市
  2. 一塁への送球が悪送球となった。

出典[編集]

外部リンク[編集]