十両
十両(じゅうりょう)とは以下のことである。
本記事では「1」について述べる。
概要[編集]
正式名称は十枚目(じゅうまいめ)で、千秋楽に授与される表彰状上では現在も「十枚目」である。江戸時代に幕下十枚目以内を関取に遇するということで、十両の給金が支給されたことに因む。力士ランキング43~70位に相当する地位で、大相撲の6階級の中で上から2番目が十両である。
十両の定員は28名(東西14枚)で、28人で一つのリーグ対戦が組まれ、勝利数の最も多い力士が十両優勝となる。なお、入れ替え戦的に成績および番付上位力士は平幕下位と、成績および番付下位力士は幕下上位との対戦がある。
幕下以下と違い、十両は部屋別総当たり制で15日間取組がある。定員が28名ということもあり、大勝ちの力士は出にくく(北の富士賞も参照)、終盤まで優勝争いでもつれることも珍しくない。
取組は平幕の上位、下位ほど差はなく、ほぼ半当たりである。取組は懸賞金の対象ではない[注 1]。
待遇[編集]
給与等[編集]
番付発表後、十両以上の力士は関取と呼ばれて、毎月の月給[注 2]や場所毎の能力給である力士褒賞金といった給与を受けることができるようになる。優勝賞金も200万円と幕下の50万円と150万円の差がある[注 3]。
特権[編集]
昇進に伴い、正装も羽織袴、下駄となり、日用品などを入れる行李である明荷を常用することができる[注 4]。
本場所、花相撲、巡業の際は大銀杏を結い、絹の締め込みを締める。色は黒か紺だが、実際は自分の好みの色の締め込みを締める。土俵入りには化粧回しを締める。稽古廻しは白である。結婚もすることができ、部屋を出てマンションを借りて住むことも、部屋の個室を使うこともできる。幕下以下の付け人も付けられるが、いくらかの駄賃を与えるのが慣例となっている。
昇進[編集]
幕下15枚目以内で7戦全勝優勝[注 5]、もしくは東幕下筆頭で勝ち越しをすれば、無条件で昇進。
それ以外の幕下上位は、陥落者の人数次第で昇進可否が変化する[注 6]。
これにより、本場所千秋楽終了3日後の番付編成会議終了直後に、十両昇進力士が発表され、特に新十両力士の化粧回し等の身仕度に便宜を計っているが、十両処遇や給与支給は番付発表後である。なお、幕下陥落確実と見られる力士でも番付発表前までは十両力士として処遇され、月給も支給される。
十両昇進の意味[編集]
大相撲を引退する関取にインタビューすると、現役中一番印象に残ったこと、うれしかったこととして新十両昇進を挙げているほど、力士にとっては思い出深いことである。JリーグではJ2の選手にあたる階級であるが、新聞のスポーツ欄では小さいながらも名前が載り、成績も発表され、多額の報酬も受け取り、世間からも一人前扱いされるなど、むしろJ1.5という待遇である。日本プロ野球は、ドラフト指名を経て入団し、最低年俸保障のある一軍登録されない支配下登録選手が十両の地位に近い。
十両昇進には大きな意味があるため、昇進を機に四股名を、本名からいわゆる「力士らしい名前」に改名する力士が多い[注 7]。例えば、納谷(幸喜)→大鵬、長尾→舞の海、石橋→朝乃山、納谷(幸之介)→王鵬など。
十両関連の記録[編集]
十両最速昇進記録[編集]
- 1958年の年6場所制下での前相撲力士では、板井、土佐豊、常幸龍、炎鵬の6場所が最速。
- 付出力士では伯桜鵬哲也(幕下15枚目格付出)の1場所、最下位格付出では、輪島、朝潮(4代)、武双山、雅山の2場所が最速。
- 1957年(昭和32年)以前は羽黒山政司の6場所が最速。
関連項目[編集]
注[編集]
- ↑ 昭和時代に一度だけ、十両の取組が特例で「森永賞」の懸賞となったことがある。
- ↑ 枚数によらず一律の給与額。
- ↑ 但し、いくら技能が幕内力士より評価されても三賞の技能賞の対象にならない。
- ↑ なお、正装や化粧回しの準備に必要な支度金の支給は無く、後援会が支援して調達するのが慣例化している。
- ↑ 幕下15枚目格は該当しない。
- ↑ 幕下15枚目格の全勝者は十両昇進可否検討の下位に置かれ、幕下16枚目との差異となっている。幕下16枚目以下でも、十両力士の大量引退・陥落や上位勝ち越し力士の少なさによる抜擢昇進はある。
- ↑ 但し、遠藤聖大のように予想外の昇進で改名が間に合わず、本名で験が良かったために改名しない力士もいる。