藤原定家

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藤原定家(ふじわらのさだいえ/ていか)とは、鎌倉時代の歌人、東洋古典学者。贈権中納言

生涯[編集]

藤原定家像(東京国立博物館蔵)

1161年、出生。藤原俊成の子。源平合戦の火蓋の中、幼少期から歌人としての才能を持つが、他人からは渋いと非難されていた。

この頃から明月記を記し始め、こう記している。

紅旗・征伐、吾が事にあらず

源平合戦が終わると、後堀河天皇の命で新勅撰和歌集を書き始めるが断念し、宇都宮頼綱の助けでより小倉百人一首を編集しながら、出家。1241年死去。

関連項目[編集]