1201年
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1201年(せんにひゃくいちねん)は、1200年代の1年目であり、日本の元号では正治3年であったが2月13日に改元が行われて建仁元年となる。日本の天皇は土御門天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は不在である(家督自体は源頼家が継承していた)。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 城長茂が源頼家追討の宣旨を朝廷に求めるが拒否される。式子内親王が死去。
- 2月 - 城長茂が吉野で幕府により誅殺される。辛酉の年につき閑院で孔雀経法を行なう。
- 3月 - 千葉常胤が死去(84歳)。
- 4月 - 城長茂の甥の城資盛が越後で挙兵するが、佐々木盛綱に討たれる。
- 5月 - 源頼家が佐々木経高の罪を許す。
- 7月 - 豊島朝綱が土佐守護に任命される。
- 8月 - 諸国が大風雨に見舞われ、下総葛飾郡では津波のため1000人余りが溺死する。
- 9月 - 源頼家が蹴鞠にふけって政務を怠り、北条時政の諫めを受ける。
- 10月 - 北条泰時が伊豆の飢えた民衆に貸した米の証文を焼き、さらに米や酒を与える。
- 11月 - 新古今和歌集の撰が始まる。高階泰経が死去(72歳)。
- 月不明 - 快慶が東大寺の僧形八幡像を造る。