1231年

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
1201年 1251年
1202年 1252年
1203年 1253年
1204年 1254年
1205年 1255年
1206年 1256年
1207年 1257年
1208年 1258年
1209年 1259年
1210年 1260年
1211年 1261年
1212年 1262年
1213年 1263年
1214年 1264年
1215年 1265年
1216年 1266年
1217年 1267年
1218年 1268年
1219年 1269年
1220年 1270年
1221年 1271年
1222年 1272年
1223年 1273年
1224年 1274年
1225年 1275年
1226年 1276年
1227年 1277年
1228年 1278年
1229年 1279年
1230年 1280年
1231年 1281年
1232年 1282年
1233年 1283年
1234年 1284年
1235年 1285年
1236年 1286年
1237年 1287年
1238年 1288年
1239年 1289年
1240年 1290年
1241年 1291年
1242年 1292年
1243年 1293年
1244年 1294年
1245年 1295年
1246年 1296年
1247年 1297年
1248年 1298年
1249年 1299年
1250年 1300年

1231年(せんにひゃくさんじゅういちねん)は、1200年代の31年目ことであり、日本元号では寛喜3年である。日本の天皇後堀河天皇である。鎌倉幕府征夷大将軍は第4代将軍・藤原頼経である。執権は第3代執権北条泰時である。

日本の出来事[編集]

  • 1月 - 幕府が御家人の奢侈を戒める。京都西洞院室町の商家が焼ける。
  • 2月 - 京都疫病が流行し、盗賊も頻繁に発生する。
  • 3月 - 北条泰時が伊豆駿河両国の出挙米を出して窮民を救う。京都で飢饉のため、餓死者が拡大する。
  • 4月 - 幕府が新補地頭の得分などについて細則を六波羅探題に指示する。
  • 5月 - 幕府が守護に大犯3か条以外のことに容喙することをやめ、また新補地頭が領内の犯罪者処罰の法などを定めることを認める。諸国の国分寺に風雨などの災害の消滅を祈願させる。京都の飢民が富裕層を襲って金銭や食糧を強奪し、六波羅探題により取り締まりが強化される。
  • 6月 - 幕府が地頭が海岸に漂着した難破船を奪取することを禁止する命令を出す。
  • 7月 - 飢饉が拡大して全国的に餓死者が続出する。
  • 9月 - 飢饉の拡大により窮民らが家屋を破壊して薪にすることを認める。
  • 10月 - 土御門法皇阿波池谷で崩御する(37歳)。
  • 月不明 - 俊賀神護寺真言八祖像を描く。

前後[編集]

前年 当年 後年
1230年 1231年 1232年