1231年
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1231年(せんにひゃくさんじゅういちねん)は、1200年代の31年目ことであり、日本の元号では寛喜3年である。日本の天皇は後堀河天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第4代将軍・藤原頼経である。執権は第3代執権・北条泰時である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 幕府が御家人の奢侈を戒める。京都西洞院室町の商家が焼ける。
- 2月 - 京都で疫病が流行し、盗賊も頻繁に発生する。
- 3月 - 北条泰時が伊豆・駿河両国の出挙米を出して窮民を救う。京都で飢饉のため、餓死者が拡大する。
- 4月 - 幕府が新補地頭の得分などについて細則を六波羅探題に指示する。
- 5月 - 幕府が守護に大犯3か条以外のことに容喙することをやめ、また新補地頭が領内の犯罪者処罰の法などを定めることを認める。諸国の国分寺に風雨などの災害の消滅を祈願させる。京都の飢民が富裕層を襲って金銭や食糧を強奪し、六波羅探題により取り締まりが強化される。
- 6月 - 幕府が地頭が海岸に漂着した難破船を奪取することを禁止する命令を出す。
- 7月 - 飢饉が拡大して全国的に餓死者が続出する。
- 9月 - 飢饉の拡大により窮民らが家屋を破壊して薪にすることを認める。
- 10月 - 土御門法皇が阿波池谷で崩御する(37歳)。
- 月不明 - 俊賀が神護寺真言八祖像を描く。