日蓮
日蓮(にちれん、1222年生 - 1282年没)は、鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。
生涯[編集]
鎌倉時代の1222年(承久4年)に安房国片海(現在の千葉県鴨川市安房小湊)で生まれた。幼名は「善日麿(ぜんにちまろ)」。その後「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」と名乗った。16歳で出家し、初め天台宗を学び比叡山や高野山などで仏教を修行した。1253年(建長5年)に安房国(現在の千葉県)の清澄寺で、32歳の時に初めて「南無妙法蓮華経」の題目を唱えて立宗宣言した。この時から「日蓮(にちれん)」と称するようになった。仏教の経典『法華経』が仏法の真髄であると主張した。念仏宗・禅宗・真言宗・律宗などの仏教の他宗派を批判した(四箇の格言)。その為に、他宗派の信徒たちから「法難(ほうなん)」の宗教的な迫害を受けた。「松葉ヶ谷の法難」(まつばがやつのほうなん)や「伊豆流罪」(いずるざい)や「小松原の法難」(こまつばらのほうなん)や「龍ノ口の法難」(たつのくちのほうなん)と「佐渡流罪」(さどるざい)など「四大法難(よんだいほうなん)」を受けた。鎌倉幕府の執権の北条時頼に対して自らの著書『立正安国論』を提出した。1261年(弘長元年)に鎌倉幕府により伊豆国伊東(現在の静岡県伊東市)に伊豆流罪された。その後、赦免されて鎌倉で法華経の布教活動を行うが、言動を改めず、佐渡国(現在の新潟県佐渡島)に2度目の佐渡流罪された。1274年(文永11年)に赦免されて鎌倉に帰るが、甲斐国身延(現在の山梨県身延町)に身延山 久遠寺を建立して弟子の僧侶を育成した。晩年に高弟の六老僧(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)の6人を定めた。1282年(弘安5年)に武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の在家信徒の池上宗仲の屋敷(現在の池上本門寺)で61歳で没。著書に『観心本尊抄』や『開目抄』などがある。大正時代になって「立正大師」の諡号(しごう)が贈られた。