1204年
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1204年(せんにひゃくよねん)は、1200年代の4年目ことであり、日本の元号では建仁4年であったが2月20日に改元されて元久元年となる。日本の天皇は土御門天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第3代将軍・源実朝である。執権は初代・北条時政である。
日本の出来事[編集]
- 2月 - 幕府が諸国荘園の所務などは源頼朝の生前の旧例による命令を出す。源実朝が由比浜で笠懸・遠笠懸を観る。
- 3月 - 平賀朝雅が伊勢・伊賀の平氏の残党を討伐する。
- 4月 - 法隆寺金堂を修理する。
- 5月 - 幕府が山野河海得分の国司・地頭の配分などを定める。
- 7月 - 北条時政によって源頼家が暗殺される(23歳)。
- 11月 - 源実朝が画工に将門合戦絵を描かせる。藤原俊成が死去(91歳)。
- 12月 - 幕府が筑前宗像神社領に守護使の入ることを停止する。源実朝が藤原信清の娘を娶る。