鉄道唱歌

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

鉄道唱歌(てつどうしょうか)は、明治時代(1900年)の日本楽曲鉄道を題材としており、地理教育のために作曲された。大和田建樹作詞・多梅稚上真行作曲。鉄道ファンの間では作曲から100年以上経った現在でも強い人気があり、特急列車などの車内チャイムに使われていることがある。

構成[編集]

第1集~第3集の各1番(いずれも多梅稚による作曲)。付点8分+16分のリズムは実際には「4分3連符+8分3連符」のスウィングで演奏されることが多い。

鉄道唱歌は一つの楽曲ではなく、いくつかの楽曲が組み合わさってできている。この時期には鉄道をテーマとする数多くの楽曲が作曲されており、どこまでを鉄道唱歌に含むかには諸説あるが、今のところ有力なのは、次の5篇[1]を含む説である。全て歌うと334番[2]になり、90分以上かかる。

歌詞[編集]

作詞・作曲者の中で最後まで生存していた上真行は1937年に死亡しているため、1988年以降は鉄道唱歌は日本において歌詞・曲ともにパブリックドメインとなっている。()内は口語訳である。上記の通り歌詞が非常に長い歌だ。

東海道篇[編集]

12番から15番の歌詞に、創作当時御殿場経由だった名残りがある。なお大手のカラオケ店では、大抵1番から8番までが収録されている。

  1. 汽笛一聲新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として(自分の乗った汽車は、汽笛を一声鳴らして新橋駅を出発した。愛宕山の上に見えているが、旅友のようなものだ。)
  2. 右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも(右手に、高輪泉岳寺が見える。ここは赤穂浪士47人のどころだ。ここに積もったは消えても、赤穂浪士の名は、1000年後も消えることはないだろう。)
  3. 窓より近く品川の 臺場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ 山は上總か房州か(窓からは近くの品川が見える。ここからは台場も見えていて、白波が立っている。海の遥か遠くに山が見えているが、上総の山だろうか、房州の山だろうか。)
  4. 梅に名をえし大森を すぐれば早も川崎の 大師河原は程ちかし 急げや電氣の道すぐに(梅で有名な大森を過ぎれば早くも川崎に着く。ここから川崎大師までは程近い。電車(大師電気鉄道)に乗ればすぐだ。)
  5. 鶴見神奈川あとにして ゆけば横濱ステーシヨン 湊を見れば百舟の 煙は空をこがすまで(鶴見神奈川を後にして、横浜駅に着く。港を見てみると、多くの舟が見える。その煙は空を焦がすほどだ。)
  6. 横須賀ゆきは乘替と 呼ばれておるゝ大船の つぎは鎌倉鶴が岡 源氏の古跡や尋ね見ん(横須賀駅行の列車は乗り換えとの案内に、大船駅で降りてみる。横須賀線の次の駅は鶴岡八幡宮のある鎌倉駅、源氏政権の旧跡を尋ねてみよう。)
  7. 八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹 別當公曉のかくれしと 歴史にあるは此蔭よ
  8. こゝに開きし頼朝が 幕府のあとは何かたぞ 松風さむく日は暮れて こたへぬ石碑は苔あをし
  9. 北は圓覺建長寺 南は大佛星月夜 片瀬腰越江の島も たゞ半日の道ぞかし
  10. 汽車より逗子をながめつゝ はや横須賀に着きにけり 見よやドツクに集まりし わが軍艦の壯大を(列車より逗子駅を眺めていると、もう横須賀駅に着いてしまった。横須賀港のドックに集まっている、我が国の軍艦の壮大さを見てみよう。)
  11. 支線をあとに立ちかへり わたる相模の相模川 海水浴に名を得たる 大磯みえて波すゞし(横須賀線に別れを告げて、東海道線に戻ると相模川を渡る。海水浴で有名な大磯が近付いてきた。相模湾の波は爽やかだ。)
  12. 國府津おるれば電車あり 酒匂小田原とほからず 箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より(国府津駅で降りると、熱海線(東海道線支線、現在の東海道本線)に乗り換えられる。酒匂川や小田原駅も遠いものではなくなった。箱根峠の山道も雲の合間に見えている)
  13. いでゝはくゞるトン子ルの 前後は山北小山驛 今もわすれぬ鐵橋の 下ゆく水のおもしろさ(現れては潜るトンネルの前後に配される、山北駅と駿河小山駅。鉄橋の下を酒匂川が流れるという景色の面白さを、私は今も忘れない)
  14. はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに來りたり 雪の冠雲の帶 いつもけだかき姿にて
  15. こゝぞ御殿場夏ならば われも登山をこゝろみん 高さは一萬數千尺 十三州もたゞ一目
  16. 三島は近年ひらけたる 豆相線路のわかれみち 驛には此地の名をえたる 官幣大社の宮居あり
  17. 沼津の海に聞えたる 里は牛伏我入道 春は花さく桃のころ 夏はすゞしき海のそば
  18. 鳥の羽音におどろきし 平家の話は昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の歸り舟
  19. 世に名も高き興津鯛 鐘の音ひゞく清見寺 清水につゞく江尻より ゆけば程なき久能山
  20. 三保の松原田子の浦 さかさにうつる富士の嶺を 波にながむる舟人は 夏も冬とや思ふらん
  21. 駿州一の大都會 靜岡いでゝ阿部川を わたればこゝぞ宇津の谷の 山きりぬきし洞の道
  22. 鞘より拔けておのづから 草なぎはらひし御劍の 御威は千代に燃ゆる火の 燒津の原はこゝなれや
  23. 春さく花の藤枝も すぎて島田の大井川 むかしは人を肩にのせ わたりし話も夢のあと
  24. いつしか又も暗となる 世界は夜かトン子ルか 小夜の中山夜泣石 問へども知らぬよその空
  25. 掛川袋井中泉 いつしかあとに早なりて さかまき來る天龍の 川瀬の波に雪ぞちる
  26. この水上にありと聞く 諏訪の湖水の冬げしき 雪と氷の懸橋を わたるは神か里人か
  27. 琴ひく風の濱松も 菜種に蝶の舞坂も うしろに走る愉快さを うたふか磯の波のこゑ
  28. 煙を水に横たへて わたる濱名の橋の上 たもと凉しく吹く風に 夏ものこらずなりにけり
  29. 右は入海しづかにて 空には富士の雪しろし 左は遠州洋ちかく 山なす波ぞ碎けちる
  30. 豐橋おりて乘る汽車は これぞ豐川稻荷道 東海道にてすぐれたる 海のながめは蒲郡(豊橋で降りて乗り換える汽車は豊川稲荷に続いている。東海道線を更に進んで蒲郡に着くと優れた海を眺められる)
  31. 見よや徳川家康の おこりし土地の岡崎を 矢矧の橋に殘れるは 藤吉郎のものがたり
  32. 鳴海しぼりの産地なる 鳴海に近き大高を 下りておよそ一里半 ゆけば昔の桶狹間(鳴海絞りの産地である鳴海の近くで降りて約一里半下って行くと昔桶狭間と呼ばれる場所に着く)
  33. めぐみ熱田の御やしろは 三種の神器の一つなる その草薙の神つるぎ あふげや同胞四千萬(熱田神宮には三種の神器の一つが祭られている。その草薙の剣は4000万の人々に崇められている)
  34. 名たかき金の鯱は 名古屋の城の光なり 地震のはなしまだ消えぬ 岐阜の鵜飼も見てゆかん(名古屋城の金鯱は名前がよく知られている。濃尾地震が起こってまだ月日が経っていないが岐阜の鵜飼いも見ていこうか)
  35. 父やしなひし養老の 瀧は今なほ大垣を 三里へだてゝ流れたり 孝子の名譽ともろともに
  36. 天下の旗は徳川に 歸せしいくさの關が原 草むす屍いまもなほ 吹くか膽吹の山おろし
  37. 山はうしろに立ち去りて 前に來るは琵琶の海 ほとりに沿ひし米原は 北陸道の分岐線(山を抜け、前には琵琶湖が海のように広がっている。そのほとりにある米原駅からは北陸本線が分岐している)
  38. 彦根に立てる井伊の城 草津にひさぐ姥が餅 かはる名所も名物も 旅の徒然のうさはらし
  39. いよいよ近く馴れくるは 近江の海の波のいろ その八景も居ながらに 見てゆく旅の樂しさよ
  40. 瀬田の長橋横に見て ゆけば石山觀世音 紫式部が筆のあと のこすはこゝよ月の夜に
  41. 粟津の松にことゝへば 答へがほなる風の聲 朝日將軍義仲の ほろびし深田は何かたぞ
  42. 比良の高嶺は雪ならで 花なす雲にかくれたり 矢走にいそぐ舟の帆も みえてにぎはふ波の上
  43. 堅田におつる雁がねの たえまに響く三井の鐘 夕ぐれさむき唐崎の 松には雨のかゝるらん
  44. むかしながらの山ざくら にほふところや志賀の里 都のあとは知らねども 逢坂山はそのまゝに
  45. 大石良雄が山科の その隱家はあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稻荷山
  46. 東寺の塔を左にて とまれば七條ステーシヨン 京都々々と呼びたつる 驛夫のこゑも勇ましや
  47. こゝは桓武のみかどより 千有餘年の都の地 今も雲井の空たかく あふぐ清凉紫宸殿
  48. 東に立てる東山 西に聳ゆる嵐山 かれとこれとの麓ゆく 水は加茂川桂川
  49. 祗園清水智恩院 吉田黒谷眞如堂 ながれも清き水上に 君がよまもる加茂の宮
  50. 夏は納凉の四條橋 冬は雪見の銀閣寺 櫻は春の嵯峨御室 紅葉は秋の高雄山
  51. 琵琶湖を引きて通したる 疏水の工事は南禪寺 岩切り拔きて舟をやる 智識の進歩も見られたり
  52. 神社佛閣山水の 外に京都の物産は 西陣織の綾錦 友禪染の花もみぢ
  53. 扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺しらず みやげを提げていざ立たん あとに名殘は殘れども
  54. 山崎おりて淀川を わたる向ふは男山 行幸ありし先帝の かしこきあとぞ忍ばるゝ
  55. 淀の川舟さをさして くだりし旅はむかしにて またゝくひまに今はゆく 煙たえせぬ陸の道
  56. おくり迎ふる程もなく 茨木吹田うちすぎて はや大阪につきにけり 梅田は我をむかへたり
  57. 三府の一に位して 商業繁華の大阪市 豐太閤のきづきたる 城に師團はおかれたり
  58. こゝぞ昔の難波の津 こゝぞ高津の宮のあと 安治川口に入る舟の 煙は日夜たえまなし
  59. 鳥も翔らぬ大空に かすむ五重の塔の影 佛法最初の寺と聞く 四天王寺はあれかとよ
  60. 大阪いでゝ右左 菜種ならざる畑もなし 神崎川のながれのみ 淺黄にゆくぞ美しき
  61. 神崎よりはのりかへて ゆあみにのぼる有馬山 池田伊丹と名にきゝし 酒の産地もとほるなり
  62. 神戸は五港の一つにて あつまる汽船のかずかずは 海の西より東より 瀬戸内がよひも交じりたり
  63. 磯にはながめ晴れわたる 和田のみさきを控へつゝ 山には絶えず布引の 瀧見に人ものぼりゆく
  64. 七度うまれて君が代を まもるといひし楠公の いしぶみ高き湊川 ながれて世々の人ぞ知る
  65. おもへば夢か時のまに 五十三次はしりきて 神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩
  66. 明けなば更に乘りかへて 山陽道を進まゝし 天氣は明日も望あり 柳にかすむ月の影

山陽・九州篇[編集]

[]内は営業キロを示す(現在基準)。

  1. 夏なほ寒き布引の 瀧のひゞきをあとにして 神戸の里を立ちいづる 山陽線路の汽車の道
    [0.0](夏でも寒さのある布引の滝の響きを後にして、神戸の里を出発する、山陽本線の汽車の道。)
  2. 兵庫鷹取須磨の浦 名所舊蹟かずおほし 平家の若武者敦盛が 討たれし跡もこゝと聞く
    [1.8, 5.1, 7.3](兵庫鷹取須磨の浦と、名所旧跡が数多い。平家の若武者敦盛が討たれた跡もここと言われている。)
  3. その最期まで携へし 青葉の笛は須磨寺に 今ものこりて寶物の 中にあるこそあはれなれ
    [7.3](平敦盛が最後まで持っていた青葉の笛は、須磨寺に今も残っていて、宝物の中にあり、悲しさを伝えている。)
  4. 九郎判官義經が 敵陣めがけておとしたる 鵯越やいちのたに 皆この名所の内ぞかし
    [7.3](九郎判官義経が敵陣をめがけて駆け下りた鵯越や一ノ谷は、全てこの名所のうち。)
  5. 舞子の松の木の間より まぢかく見ゆる淡路島 夜は岩屋の燈臺も 手に取る如く影あかし
    [15.1](舞子の松の木の間から、近くに見える淡路島。夜は岩屋の灯台も、手に取るように光がよく見える。)
  6. 明石の浦の風景を 歌によみたる人麿の 社はこれか島がくれ こぎゆく舟もおもしろや
    [19.4](明石の海岸の風景を和歌に詠んだ人麿をまつる神社がある。これか、島に隠れていく船は。漕ぎ行く船が面白い。)
  7. 加古川おりて旅人の 立ちよる陰は高砂の 松のあらしに傳へくる 鐘も名だかき尾上寺
    [39.1](加古川で降りて、旅人が立ち寄る雰囲気が、高砂の松の嵐で伝わってくる。尾上寺は鐘も有名。)
  8. 阿彌陀は寺の音に聞き 姫路は城の名にひゞく こゝより支線に乘りかへて ゆけば生野は二時間餘
    [44.4, 54.8](阿弥陀(曽根の旧駅名)は寺の音で、姫路は城の名で有名。ここから支線に乗り換えると、2時間余りで生野まで行ける。)
  9. 那波の驛から西南 一里はなれて赤穗あり 四十七士が仕へたる 淺野内匠の城のあと
    [65.5](那波(相生の旧駅名)から西南に一里離れて、赤穂の町がある。浅野内匠頭の城跡が、四十七士を言い伝えている。)
  10. 播磨すぐれば燒物の 名に聞く備前の岡山に これも名物吉備團子 津山へ行くは乘かへよ
  11. 水戸と金澤岡山と 天下に三つの公園地 後樂園も見てゆかん 國へ話のみやげには
  12. 靈驗今にいちじるく 讃岐の國に鎭座ある 金刀比羅宮に參るには 玉島港より汽船あり
  13. 疊おもての備後には 福山町ぞ賑はしき 城の石垣むしのこす 苔にむかしの忍ばれて
  14. 武士が手に卷く鞆の浦 こゝよりゆけば道三里 仙醉島を前にして 煙にぎはふ海士の里
  15. 淨土西國千光寺 寺の名たかき尾道の 港を窓の下に見て 汽車の眠もさめにけり
  16. 絲崎三原海田市 すぎて今つく廣島は 城のかたちもそのまゝに 今は師團をおかれたり
  17. 日清戰爭はじまりて かたじけなくも大君の 御旗を進めたまひたる 大本營のありし土地
  18. 北には饒津の公園地 西には宇品の新港 内海波も靜なり 呉軍港は近くして
  19. 己斐の松原五日市 いつしか過ぎて嚴島 鳥居を前にながめやる 宮嶋驛につきにけり
  20. 汽笛ならして客を待つ 汽船に乘れば十五分 早くもこゝぞ市杵島 姫のまします宮どころ
  21. 海にいでたる廻廊の 板を浮べてさす汐に うつる燈籠の火の影は 星か螢か漁火か
  22. 毛利元就この島に 城をかまへて君の敵 陶晴賢を誅せしは のこす武臣の鑑なり
  23. 岩國川の水上に かゝれる橋は算盤の 玉をならべし如くにて 錦帶橋と名づけたり
  24. 風に絲よる柳井津の 港にひゞく産物は 甘露醤油に柳井縞 からき浮世の鹽の味
  25. 出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は 山陽線路のをはりにて 馬關に延ばす汽車のみち
  26. 少しくあとに立ちかへり 徳山港を船出して 二十里ゆけば豐前なる 門司の港につきにけり
  27. 向の岸は馬關にて 海上わづか二十町 瀬戸内海の咽首を しめてあつむる船の數
  28. 朝の帆影夕烟 西北さしてゆく船は 鳥も飛ばぬと音にきく 玄界洋やわたるらん
  29. 滿ち引く汐も早鞆の 瀬戸と呼ばるゝ此海は 源平兩氏の古戰場 壇の浦とはこれぞかし
  30. 世界にその名いと高き 馬關條約結びたる 春帆樓の跡とひて 昔しのぶもおもしろや
  31. 門司よりおこる九州の 鐵道線路をはるばると ゆけば大里の里すぎて こゝぞ小倉と人はよぶ
  32. これより汽車を乘りかへて 東の濱に沿ひゆかば 城野行橋宇島を すぎて中津に至るべし
  33. 中津は豐後の繁華の地 頼山陽の筆により 名だかくなりし耶馬溪を 見るには道も遠からず
  34. 白雲かゝる彦山を 右にながめて猶ゆけば 汽車は宇佐にて止まりたり 八幡の宮に詣でこん
  35. 歴史を讀みて誰も知る 和氣清麿が神勅を 請ひまつりたる宇佐の宮 あふがぬ人は世にあらじ
  36. 小倉に又も立ちもどり ゆけば折尾の右左 若松線と直方の 道はこゝにて出あひたり
  37. 走る窓より打ち望む 海のけしきのおもしろさ 磯に貝ほる少女あり 沖に帆かくる小舟あり
  38. おとにきゝたる箱崎の 松かあらぬか一むらの みどり霞みて見えたるは 八幡の神の宮ならん
  39. 天の橋立三保の浦 この箱崎を取りそへて 三松原とよばれたる その名も千代の春のいろ
  40. 織物産地と知られたる 博多は黒田の城のあと 川をへだてゝ福岡の 町もまぢかくつゞきたり
  41. まだ一日とおもひたる 旅路は早も二日市 下りて見てこん名にきゝし 宰府の宮の飛梅を
  42. 千年のむかし太宰府を おかれしあとは此處 宮に祭れる菅公の 事蹟かたらんいざ來れ
  43. 醍醐の御代の其はじめ 惜しくも人にそねまれて 身になき罪をおはせられ つひに左遷と定まりぬ
  44. 天に泣けども天言はず 地に叫べども地もきかず 涙を呑みて邊土なる こゝに月日をおくりけり
  45. 身は沈めども忘れぬは 海より深き君の恩 かたみの御衣を朝毎に さゝげてしぼる袂かな
  46. あはれ當時の御心を おもひまつればいかならん 御前の池に鯉を呼ぶ をとめよ子等よ旅人よ
  47. 一時榮えし都府樓の あとをたづねて分け入れば 草葉をわたる春風に なびく菫の三つ五つ
  48. 鐘の音きくと菅公の 詩に作られて觀音寺 佛も知るや千代までも つきぬ恨の世がたりは
  49. 宰府わかれて鳥栖の驛 長崎ゆきのわかれ道 久留米は有馬の舊城下 水天宮もほどちかし
  50. かの西南の戰爭に その名ひびきし田原坂 見にゆく人は木葉より おりて道きけ里人に
  51. 眠る間もなく熊本の 町に着きたり我汽車は 九州一の大都會 人口五萬四千あり
  52. 熊本城は西南の 役に名を得し無類の地 細川氏のかたみとて 今はおかるゝ六師團
  53. 町の名所は水前寺 公園きよく池ひろし 宮は紅葉の錦山 寺は法華の本妙寺
  54. ほまれの花もさきにほふ 花岡山の招魂社 雲か霞か夕ぞらに みゆるは阿蘇の遠煙
  55. わたる白川緑川 川尻ゆけば宇土の里 國の名に負ふ不知火の 見ゆるはこゝの海と聞く
  56. 線路分るゝ三角港 出で入る船は絶えまなし 松橋すぎて八代と 聞くも心のたのしさよ
  57. 南は球磨の川の水 矢よりも早くながれたり 西は天草洋の海 雲かとみゆる山もなし
  58. ふたゝびかへる鳥栖の驛 線路を西に乘りかへて ゆけば間もなく佐賀の町 城にはのこる玉のあと
  59. つかれてあびる武雄の湯 みやげにするは有田燒 めぐる車輪の早岐より 右にわかるゝ佐世保道
  60. 鎭西一の軍港と その名しられて大村の 灣をしめたる佐世保には わが鎭守府をおかれたり
  61. 南の風をハエと讀む 南風崎すぎて川棚の つぎは彼杵か松原の 松ふく風ものどかにて
  62. 右にながむる鯛の浦 鯛つる舟もうかびたり 名も諫早の里ならぬ 旅の心やいさむらん
  63. 故郷のたより喜々津とて おちつく人の大草や 春日長與のたのしみも 道尾にこそつきにけれ
  64. 千代に八千代の末かけて 榮行く御代は長崎の 港にぎはふ百千船 夜は舷燈のうつくしさ
  65. 汽車よりおりて旅人の まづ見にゆくは諏訪の山 寺町すぎて居留地に 入ればむかしぞ忍ばるゝ
  66. わが開港を導きし 阿蘭陀船のつどひたる みなとはこゝぞ長崎ぞ 長くわするな國民よ
  67. 前は海原はてもなく 外つ國までもつゞくらん あとは鐵道一すぢに またゝくひまよ青森も
  68. あしたは花の嵐山 ゆふべは月の筑紫潟 かしこも樂しこゝもよし いざ見てめぐれ汽車の友

奥州・磐城篇[編集]

  1. 汽車は烟を噴き立てゝ 今ぞ上野を出でゝゆく ゆくへは何く陸奧の 青森までも一飛に(汽車は煙を吹き立てて、今上野駅を出て行く。ここから一気に陸奥青森まで行ける。)
  2. 王子に着きて仰ぎみる 森は花見し飛鳥山 土器なげて遊びたる 江戸の名所の其一つ
  3. 赤羽すぎて打ちわたる 名も荒川の鐵の橋 その水上は秩父より いでゝ墨田の川となる(赤羽を過ぎて、荒川鉄橋を渡る。その水源は秩父より出て、隅田川となる。)
  4. 浦和に浦は無けれども 大宮驛に宮ありて 公園ひろく池ふかく 夏のさかりも暑からず(浦和に海はないが、大宮駅には神社がある。公園は広く、池は深い。真夏でも暑くない。)
  5. 中山道と打わかれ ゆくや蓮田の花ざかり 久喜栗橋の橋かけて わたるはこれぞ利根の川(中山道と分かれて行くと、花盛りの蓮田だ。久喜栗橋と行き、利根川にかかる橋を渡る。)
  6. 末は銚子の海に入る 坂東太郎の名も高し みよや白帆の絶間なく のぼればくだる賑を
  7. 次に來るは古河間々田 兩手ひろげて我汽車を 萬歳と呼ぶ子供あり おもへば今日は日曜か
  8. 小山をおりて右にゆく 水戸と友部の線路には 紬産地の結城あり 櫻名所の岩瀬あり
  9. 左にゆかば前橋を 經て高崎に至るべし 足利桐生伊勢崎は 音に聞えし養蠶地
  10. 金と石との小金井や 石橋すぎて秋の田を 立つや雀の宮鼓 宇都宮にもつきにけり
  11. いざ乘り替へん日光の 線路これより分れたり 二十五マイル走りなば 一時半にて着くといふ
  12. 日光見ずは結構と いふなといひし諺も おもひしらるゝ宮の樣 花か紅葉か金襴か
  13. 東照宮の壯麗も 三代廟の高大も みるまに一日日ぐらしの 陽明門は是かとよ
  14. 瀧は華嚴の音たかく 百雷谷に吼え叫ぶ 裏見霧降とりどりに 雲よりおつる物すごさ
  15. 又立ちかへる宇都宮 急げば早も西那須野 こゝよりゆけば鹽原の 温泉わづか五里あまり
  16. 霰たばしる篠原と うたひし跡の狩場の野 たゞ見る薄女郎花 殺生石はいづかたぞ
  17. 東那須野の青嵐 ふくや黒磯黒田原 こゝは何くと白河の 城の夕日は影赤し
  18. 秋風吹くと詠じたる 關所の跡は此ところ 會津の兵を官軍の 討ちし維新の古戰場
  19. 岩もる水の泉崎 矢吹須賀川冬の來て むすぶ氷の郡山 近き湖水は猪苗代
  20. こゝに起りて越後まで つゞく岩越線路あり 工事はいまだ半にて 今は若松會津まで
  21. 日和田本宮二本松 安達が原の黒塚を 見にゆく人は下車せよと 案内記にもしるしたり
  22. 松川すぎてトン子ルママを いづれば來る福島の 町は縣廳所在の地 板倉氏の舊城下
  23. しのぶもじずり摺り出だす 石の名所も程近く 米澤ゆきの鐵道は 此町よりぞ分れたる
  24. 長岡おりて飯坂の 湯治にまはる人もあり 越河こして白石は はや陸前の國と聞く
  25. 末は東の海に入る 阿武隈川も窓ちかく 盡きぬ唱歌の聲あげて 躍り來れるうれしさよ
  26. 岩沼驛のにぎはひは 春と秋との馬の市 千里の道に鞭うちて すゝむは誰ぞ國のため
  27. 東北一の都會とて 其名しられし仙臺市 伊達政宗の築きたる 城に師團は置かれたり
  28. 阿武隈川の埋木も 仙臺平の袴地も 皆この土地の産物ぞ みてゆけこゝも一日は
  29. 愛宕の山の木々青く 廣瀬の川の水白し 櫻が岡の公園は 花も若葉も月雪も
  30. 多賀の碑ほどちかき 岩切おりて乘りかふる 汽車は鹽竈千賀の浦 いざ船よせよ松島に
  31. 汽車に乘りても松島の 話かしまし鹿島臺 小牛田は神の宮ちかく 新田は沼のけしきよし
  32. 水は川瀬の石こして さきちる波の花泉 一の關より陸中と きけば南部の舊領地
  33. 阿部の貞任義家の 戰ありし衣川 金色堂を見る人は こゝにておりよ平泉
  34. すぎゆく驛は七つ八つ 山おもしろく野は廣し 北上川を右にして つくは何くぞ盛岡市
  35. 羽二重おりと鐵瓶は 市の産物と知られたり 岩手の山の峰よりも 南部の馬の名ぞ高き
  36. 好摩川口沼宮内 中山小鳥谷一の戸と すぎゆくまゝに變りゆく 土地の言葉もおもしろや
  37. 尻内こせば打ちむれて 遊ぶ野馬の古間木や 今日ぞ始めて陸奧の 海とは是かあの船は
  38. 野邊地の灣の左手に 立てる岬は夏泊 とまらぬ汽車のすゝみよく 八甲田山も迎へたり
  39. 渚に近き湯野島を 見つゝくゞれるトン子ルママの 先は野内か浦町か 浦のけしきの晴れやかさ
  40. 勇む笛の音いそぐ人 汽車は著きけり青森に むかしは陸路廿日道 今は鐵道一晝夜
  41. 津輕の瀬戸を中にして 凾館ママまでは二十四里 ゆきかふ船の煙にも 國のさかえは知られけり
  42. 汽車のりかへて弘前に あそぶも旅の樂しみよ 店にならぶは津輕塗 空に立てるは津輕富士
  43. 歸りは線路の道かへて 海際づたひ進まんと 仙臺すぎて馬市の 岩沼よりぞ分れゆく
  44. 道は磐城をつらぬきて 常陸にかゝる磐城線 ながめはてなき海原は 亞米利加までやつゞくらん
  45. 海にしばらく別れゆく 小田の緑の中村は 陶器産地と兼ねて聞く 相馬の町をひかへたり
  46. 中村いでゝ打ちわたる 川は眞野川新田川 原の町より歩行して 妙見まうでや試みん
  47. 浪江なみうつ稻の穗の 長塚すぎて豐なる 里の富岡木戸廣野 廣き海原みつゝゆく
  48. しばしばくゞるトン子ルママを 出てはながむる浦の波 岩には休む鴎あり 沖には渡る白帆あり
  49. 君が八千代の久の濱 木奴美が浦の波ちかく をさまる國の平町 並が岡のけしきよし
  50. 綴湯本をあとにして ゆくや泉の驛の傍 しるべの札の文字みれば 小名濱までは道一里
  51. 道もせに散る花よりも 世に芳ばしき名を留めし 八幡太郎が歌のあと 勿來の關も見てゆかん
  52. 關本おりでママ平潟の 港にやどる人もあり 岩の中道ふみわけて 磯うつ波も聞きがてら
  53. あひて別れて別れては またあふ海と磯の松 磯原すぎて高萩に 假るや旅寢の高枕
  54. 助川さして潮あびに ゆけや下孫孫も子も 驛夫の聲におどろけば いつしか水戸は來りたり
  55. 三家の中に勤王の その名知られし水戸の藩 わするな義公が撰びたる 大日本史のその功
  56. 文武の道を弘めたる 弘道館の跡とへば のこる千本の梅が香は 雪の下よりにほふなり
  57. つれだつ旅の友部より わかるゝ道は小山線 石岡よりは歌によむ 志筑の田井も程ちかし
  58. 間もなく來る土浦の 岸を浸せる水海は 霞が浦の名も廣く 汽船の笛の音たえず
  59. 雲井の空に耳二つ 立てたる駒の如くにて みゆる高嶺は男體と 女體そびゆる筑波山
  60. 峰にのぼれば地圖一つ ひろげし如く見えわたる 常陸の國のこゝかしこ 利根のながれの末までも
  61. 松戸をおりて國府の臺 ゆけば一里に足らぬ道 眞間の手兒名が跡といふ 寺も入江ものこるなり
  62. 車輪のめぐり速に 千住大橋右に見て 環の端の限なく ふたゝびもどる田端驛
  63. むかしは鬼の住家とて 人のおそれし陸奧の はてまでゆきて時の間に かへる事こそめでたけれ
  64. いはへ人々鐵道の ひらけし時に逢へる身を 上野の山もひゞくまで 鐵道唱歌の聲立てゝ

北陸篇[編集]

  1. 車輪のひびき笛の聲 みかへる跡に消えて行く 上野の森の朝月夜 田端は露もまださむし
  2. 見あぐる岸は諏訪の臺 それにつゞきて秋の夜は 道灌山の虫のねを こゝまで風や送るらん
  3. 見よや王子の製紙場 はや窓ちかく來りたり すきだす紙の年にます 國家の富もいくばくぞ
  4. 春はさくらの飛鳥山 秋は紅葉の瀧の川 運動會の旗たてゝ かける生徒のいさましさ
  5. まもなくきたる赤羽は 品川ゆきの乘替場 目白目黒の不動へも よれや序の道なれば
  6. 蕨すぐれば浦和にて その公園は調の宮 埼玉縣の縣廳も この地にこそは置かれたれ
  7. 大宮おりて八九町 ゆけば氷川の公園地 園は螢に名も高く 宮は武藏の一の宮
  8. 上尾桶川鴻の巣に 近き吉見の百穴は 古代穴居の人のあと 見るも學びの一つなり
  9. 吹上すぎてながめやる 熊谷土手の花ざかり 次郎直實生れたる 村の名今につたへたり
  10. 深谷本庄神保原 左に雲のあひだより みゆる秩父のふもとなる 大宮までは馬車もあり
  11. はや新町も倉賀野も またゝくひまに行きすぎて 今ぞ上州高崎の 繁華の町につきにける
  12. 町の東北前橋へ 汽車にてゆけば十五分 群馬縣廳所在の地 上野一の大都會
  13. 若葉紅葉によしときく 伊香保の温泉榛名山 高崎よりは程ちかし 避暑にも人のゆくところ
  14. みわたすかぎり青々と 若葉波うつ桑畑 山のおくまで養蠶の ひらけしさまの忙がしさ
  15. 線路わかれて前橋の かたにすゝめば織物と 製絲のわざに名も高き 桐生足利とほからず
  16. 高崎いでゝ安中の つぎは磯部の温泉場 うしろをゆくは碓氷川 まへに立てるは妙義山
  17. 鉾か劍か鋸か 獅子か猛虎か荒鷲か 虚空に立てる岩のさま 石門たかく雲をつく
  18. あとに見かへる松井田の 松のみどりもかげきえて はや横川につきにけり おりよ人々水のみに
  19. これより音にきゝゐたる 碓氷峠のアブト式 齒車つけておりのぼる 仕掛は外にたぐひなし
  20. くゞるトン子ルママ二十六 ともし火うすく晝くらし いづれば天地うちはれて 顏ふく風の心地よさ
  21. 夏のあつさもわすれゆく 旅のたもとの輕井澤 はや信濃路のしるしとて 見ゆる淺間の夕煙
  22. くだる道には追分の 原とよばるゝ廣野あり 桔梗かるかや女郎花 秋の旅路はおもしろや
  23. 御代田小諸とすぎゆけば 左に來る千曲川 立科山をながれ出て 末は越後の海に入る
  24. 諏訪の湖水をみる人は 大屋をおりて和田峠 こゆれば五里の道ぞかし 山には馬も駕籠もあり
  25. 上田をあとに走りゆく 汽車は坂城に早つきぬ 川のあなたにながめやる 山は姥捨月見堂
  26. 田毎の月の風景も 見てゆかましを秋ならば 雲をいたゞく冠著の 山はひだりにそびえたり
  27. 屋代篠井うちすぎて わたる千曲と犀川の 間の土地をむかしより 川中島と人はよぶ
  28. こゝに龍虎のたゝかひを いどみし二人の英雄も おもへば今は夢のあと むせぶは水の聲ばかり
  29. 長野に見ゆる大寺は 是ぞしなのゝ善光寺 むかし本田の善光が ひろひし佛なりとかや
  30. こゝにとゞまるひまあらば 戸隱山にのぼり見ん 飯綱の原のほとゝぎす なのる初音もきゝがてら
  31. 豐野と牟禮と柏原 ゆけば田口は早越後 軒まで雪の降りつむと きゝし高田はこゝなれや
  32. 雪にしるしの竿たてゝ 道をしへしも此あたり ふゞきの中にうめらるゝ なやみはいかに冬の旅
  33. 港にぎはふ直江津に つきて見そむる海のかほ 山のみなれし目には又 沖の白帆ぞ珍しき
  34. 春日新田犀潟を すぐれば來る柿崎の しぶしぶ茶屋は親鸞の 一夜宿りし跡と聞く
  35. 鉢崎すぎて米山の くゞるトン子ルママ七つ八つ いづれば廣きわたの原 佐渡の國までくまもなし
  36. みわたす空の青海川 おりては汐もあみつべし 石油のいづる柏崎 これより海とわかれゆく
  37. 安田北條來迎寺 宮内すぎて長岡の 町は名たゝる繁花の地 製油の烟そらにみつ
  38. 汽車の窓より西北に ゆくゆく望む彌彦山 宮は國幣中社にて 參詣男女四時たえず
  39. 彌彦にゆくは三條に おりよと人はをしへたり 吾身は何も祈らねど いのるは君が御代のため
  40. 加茂には加茂の宮ありて 木の間の鳥居いと清く 矢代田驛の近くには 金津の瀧の音たかし
  41. 十一年の御幸の日 かたじけなくも御車を とゞめ給ひし松かげは 今この里にさかえたり
  42. もみぢは新津秋葉山 櫻は龜田通心寺 わするな手荷物傘鞄 はやこゝなるぞ沼垂は
  43. おるればわたる信濃川 かゝれる橋は萬代の 名も君が代とときはにて 長さは四百數十間
  44. 川のかなたは新潟市 舟ゆく水の便よく わたせる橋をかぞふれば およそ二百もありとかや
  45. 春は白山公園地 一つににほふ梅櫻 夏は凉しき日和山 鯛つる舟も目の前に
  46. 汽船の煙海をそめ 商家の軒は日をおほふ げにも五港の一つとて 戸數萬餘の大都會
  47. 新潟港を舟出して 海上わづか十八里 佐渡に名高き鑛山を 見てかへらんも益あらん
  48. 佐渡には眞野の山ふかく 順徳院の御陵あり 松ふく風は身にしみて 袂しぼらぬ人もなし
  49. 波路やすけく直江津に かへりてきけば越中の 伏木にかよふ汽船あり いざ乘りかへて渡海せん
  50. 富山は越中繁華の地 こゝよりおこる鐵道は 加賀越前をつらぬきて 東海道にであふなり
  51. 藥に名ある富山市は 神通川の東岸 はるかに望む立山は 直立九千九百尺
  52. 商業繁華の高岡を すぎて福岡石動の 次に來るは津幡驛 七尾にゆかば乘りかへよ
  53. 加賀越中の境なる 倶梨伽羅山は義仲が 五百の牛に火をつけて 平家せめたる古戰場
  54. 津幡七尾の其間 すぎゆく驛は八九箇所 邑智の潟の青波に さをさす舟も羨まし
  55. 七尾は能登の一都會 入海ひろく舟おほし ちかき輪倉の温泉は 町きよらかに客たえず
  56. 津幡にかへり乘りかへて ゆけば金澤ステーシヨン 百萬石の城下とて さすが賑ふ町のさま
  57. 名も兼六の公園は 水戸岡山と諸共に かぞへられたる吾國の 三公園の其一つ
  58. 柳みどりに花赤く おちくる瀧の水白し 雲にそびゆる銅像は 西南役の紀念碑よ
  59. 第九師團も縣廳も 皆此町にあつまりて 海の外までひゞきたる その産物は九谷燒
  60. 松任美川うちすぎて わたる手取の川上に 雪を常磐の白山は 雲まにたかく聳えたり
  61. 小松の北におとたかく ながるゝ水は安宅川 安宅の關は何くぞと 問はば嵐やこたふらん
  62. 折りたく柴の動橋 武士が帶びたる大聖寺 こゝろ細呂木すぎゆけば いろはの金津むかへたり
  63. 三國港の海に入る 日野川こえて福井驛 こゝに織り出す羽二重は 輸出の高も數千萬
  64. 大土呂鯖江あとにして 武生鯖波はしりゆく 汽車は今こそ今庄に つきて燧の城も見つ
  65. 海のながめのたぐひなき 杉津をいでてトン子ルママに 入ればあやしやいつのまに 日はくれはてゝ暗なるぞ
  66. 敦賀はげにもよき港 おりて見てこん名どころを 氣比の松原氣比の海 官幣大社氣比の宮
  67. 身を勤王にたふしたる 耕雲齋の碑をとへば 松の木かげを指さして あれと子供はをしへたり
  68. 疋田柳瀬中の郷 すぎゆく窓に仰ぎ見る 山は近江の賤が嶽 七本鎗の名も高し
  69. 豐太閤の名をとめし 轡の森は木の本の 地藏と共に人ぞ知る 汽車の進みよ待てしばし
  70. 縮緬産地の長濱に いでゝ見わたす琵琶の海 大津にかよふ小蒸汽は 煙ふきたて人をまつ
  71. 驛夫の聲におどろけば 眠はさめて米原に つきたる汽車の速かさ みかへる伊吹雲ふかし
  72. おもへば汽車のできてより 狹くなりたる國の内 いでし上野の道かへて いざやかへらん新橋に

關西・參宮・南海篇[編集]

  1. 汽車をたよりに思ひ立つ 伊勢や大和の國めぐり 網島いでゝ關西の 線路を旅の始にて
  2. 造幣局の朝ざくら 櫻の宮の夕すゞみ なごりを跡に見かへれば 城の天守も霞みゆく
  3. 咲くや菜種の放出も 過ぎて徳庵往の道ママ 窓より近き生駒山 手に取る如く聳えたり
  4. 四條畷に仰ぎみる 小楠公の宮どころ ながれも清き菊水の 旗風いまも香らせて
  5. 心の花も櫻井の 父の遺訓を身にしめて 引きは返さぬ武士の 戰死のあとは此土地よ
  6. 飯盛山をあとにして 星田すぐれば津田の里 倉治の桃の色ふかく 源氏の瀧の音たかし
  7. 柞の森と歌によむ 祝園すぎて新木津の 左は京都右は奈良 奈良は歸りに殘さまし
  8. 京都の道に名を得たる 驛は玉水宇治木幡 佐々木四郎の先陣に 知られし川もわたるなり
  9. 共仁の都の跡と聞く 加茂を出づれば左には 木津川しろく流れたり 晒せる布の如くにて
  10. 川のあなたにながめゆく 笠置の山は元弘の 宮居の跡と聞くからに ふるは涙か村雨か
  11. 水をはなれて六丈の 高さをわたる鐵の橋 すぐればこゝぞ大河原 河原の岩のけしきよさ
  12. 上野は伊賀の都會の地 春はこゝより汽車おりて 影もおぼろの月が瀬に 梅みる人の數おほし
  13. 月は姥捨須磨明石 花はみよしの嵐山 天下一つの梅林と きこえし名所は此山ぞ
  14. 伊賀燒いづる佐那具の地 芭蕉うまれし柘植の驛 線路左にわかるれば 迷はぬ道は草津まで
  15. 鈴鹿の山のトン子ルママを くぐれば早も伊勢の國 筆捨山の風景を 見よや關より汽車おりて
  16. 愛知逢坂鈴鹿とて 三つの關所と呼ばれたる むかしの跡は知らぬども 關の地藏は寺ふるし
  17. 巖にあそぶ龜山の 左は尾張名古屋線 道にすぎゆく四日市 舟の煙や絶えざらん
  18. 萬古の燒と蛤に 其名知られし桑名町 日も長島の西東 揖斐と木曾との川長し
  19. 龜山城をあとにして 一身田も夢のまに 走ればきたる津の町は 參宮鐵道起点の地
  20. 町の社に祭らるゝ 神は結城の宗廣と きこえし南朝忠義の士 まもるか今も君が代を
  21. 阿漕が浦に引く網の 名も高茶屋の雲出川 わたりながらも眺めやる 桃のさかりやいかならん
  22. 木綿産地の松坂は 本居翁の墳墓の地 國學界の泰斗とて あふがぬ人はよもあらじ
  23. 田丸の驛に程ちかき 齋宮村は齋王の むかし下りて此國に 住ませ給ひし御所の跡
  24. 轟きわたる宮川の 土手の櫻の花ざかり 雲か霞か白雪か にほはぬ色の波もなし
  25. 伊勢の外宮のおはします 山田に汽車は着きにけり 參詣いそげ吾友よ 五十鈴の川に御祓して
  26. 五十鈴の川の宇治橋を わたればこゝぞ天照す 皇大神の宮どころ 千木たかしりて立ち給ふ
  27. 神路の山の木々あをく 御裳濯川の水きよし 御威は盡きじ千代かけて いづる朝日ともろともに
  28. 伊勢と志摩とにまたがりて 雲井に立てる朝熊山 のぼれば冨士の高嶺まで 語り答ふるばかりにて
  29. 下りは道を踏みかへて 見るや二見の二つ岩 畫に見しまゝの姿にて 立つもなつかし海原に
  30. 今ぞめでたく參宮を すまして跡に立ちかへる 汽車は加茂より乘りかへて 奈良の都をめぐりみん
  31. はや遠ざかる奈良の町 帶解寺も打ちすぎて 渡るながれは布留の川 石の上とはここなれや
  32. 都のあとを教へよと いへど答へぬ賤の男が 歸るそなたの丹波市 布留の社に道ちかし
  33. 三輪の杉むら過ぎがてに なくか昔のほとゝぎす 今は青葉の櫻井に 着きたる汽車の速かさ
  34. こゝよりおりて程ちかき 長谷の觀音ふし拜み 雄略帝が朝倉の 宮の遺跡もたづねみん
  35. 初瀬列樹の宮のあと 問はんとすれば日は落ちて 初瀬の川の夕波に ふくや初瀬の山おろし
  36. さぐる名所の樂しさに 思はずのぼる多武の峰 峰にかがやく鎌足の 社のあたり花おほし
  37. 櫻井いでてわが汽車は 畝傍耳無香山の 鼎に似たる三山を 前後に見つゝ今ぞゆく
  38. 畝傍の麓橿原に 始めて都したまひし 御威も高き大君が 御陵をがめ人々よ
  39. 高田わかれて右ゆけば 河内に走る線路あり 路にすぎゆく柏原の 名高き寺は道明寺
  40. 右の窓よりながめやる 葛城山の南には 楠氏の城に名を擧げし 金剛山もつゞきたり
  41. 新庄御所を打ちすぎて 掖上ゆけば神武帝 國を蜻蛉と宣ひし ロ兼間の丘ぞ仰がるゝ
  42. 終れば起る鐵道の 南和と紀和の繋口 五條すぐれば隅田より 紀伊の境に入りにけり
  43. 瞬くひまに橋本と 叫ぶ驛夫に道とへば 紀の川わたり九度山を すぎて三里ぞ高野まで
  44. 弘法大師この山を ひらきしよりは千餘年 蜩ひびく骨堂の あたりは夏も風さむし
  45. 木隱をぐらき不動坂 夕露しげき女人堂 みれば心もおのづから 塵の浮世を離れけり
  46. ふたゝび渡る紀の川の 水上とほく雲ならで 立てるは花の吉野山 見て來んものを春ならば
  47. あはれ暫は南朝の 假の皇居となりたりし 吉水院の月のかげ 曇るか今も夜な夜なは
  48. 夕べ悲しき梟の 聲より猶も身にしむは 如意輪堂の寶藏に のこる鏃の文字の跡
  49. 親のめぐみの粉河より 又乘る汽車は紀和の線 船戸田井の瀬うちすぎて 和歌山みえし嬉しさよ
  50. 紀の川口の和歌山は 南海一の都會にて 宮は日前國懸 旅の心の名草山
  51. 紀三井寺より見わたせば 和歌の浦波しづかにて こぎゆく海士の釣船は うかぶ木の葉か笹の葉か
  52. 蘆邊のあしの夕風に 散り來る露の玉津島 苫が島には燈臺の 光ぞ夜は美しき
  53. 密柑ママのいづる有田村 鐘の名ひゞく道成寺 紀州名所は多けれど 道の遠きを如何にせん
  54. みかへる跡に立ちのこる 城の天守の白壁は 茂れる松の木の間より いつまで吾を送るらん
  55. 北口いでて走りゆく 南海線の道すがら 窓に親しむ朝風の 深日はこゝよ夢のまに
  56. 尾崎に立てる本願寺 樽井にちかき躑躅山 やまず來て見ん春ふけて 花うつくしく咲く頃は
  57. 佐野の松原貫之が 歌に知られし蟻通 蟻のおもひにあらねども とゞく願は汽車の恩
  58. 貝塚いでしかひありて はや岸和田の城の跡 こゝは大津かいざゝらば おりて信太の楠も見ん
  59. かけじや袖とよみおきし その名高師が濱の波 よする濱寺あとに見て ゆけば湊は早前に
  60. 堺の濱の風景に 旅の心もうばはれて 汽車のいづるも忘れたり 霞むはそれか淡路島
  61. 段通刄物の名産に 心のこして又も來ん 沖に鯛つる花の春 磯に舟こぐ月の秋
  62. 蘇鐵に名ある古寺の 話きゝつゝ大和川 渡ればあれに住吉の 松も燈籠も近づきぬ
  63. 遠里小野の夕あらし ふくや安倍野の松かげに 顯家父子の社あり 忠死のあとは何方ぞ
  64. 治まる御代の天下茶屋 さわがぬ波の難波驛 いさみて出づる旅人の 心はあとに殘れども

北海道編[編集]

  • 北の巻
  1. 黒煙天に靡かせて 出で行く汽車の窓ちかく 見かへる小樽の港には 集まる船舶四時絶えず
  2. 市街は人口八萬餘 商業漁業繁昌し それに續ける手宮町 崖には奇形の文字あり
  3. 間もなくくゞる熊碓の トンネル出でゝ廣々と 北に見渡す日本海 末は雲路を浸すらん
  4. 海水浴と温泉の 錢函輕川過ぎ行けば 右には手稻の山高く 左に石狩原廣し
  5. 琴似の次の札幌は 道廳所在の大都會 農學校に博物館 ビール製麻の會社あり
  6. 春は圓山官幣社 秋は中島遊園地 豐平橋の月の夜 藻岩の山の雪の朝
  7. 稻田さかゆる厚別は 野幌山の裾の原 雪間に雁のおるゝ日は 獵する人の行く處
  8. 石狩川に打ち注ぐ 千歳の川の落口に おかれて賑ふ江別町 石狩行の汽船あり
  9. 幌向原野岩見澤 眞直に行けば幾春別 幌内太と幌内と 三炭山のありどころ
  10. 岩見澤にて交叉せし 室蘭線を左へと ゆけば峰延美唄には 兵村ありて地味ゆたか
  11. 奈井江の次の砂川に おかるゝ三井の木工場 ここは名高き歌志内 炭山ゆきの別れ道
  12. 雪に若葉に紅葉に 風景すぐれし神居古潭 こゝに地形は狹まりて 上川原野ぞ開けゆく
  13. 原野の西に位して 師團おかるゝ旭川 離宮は美瑛忠別の 二川の間の神樂岡
  14. 再びもどる室蘭線 栗山由仁の農場を 過ぐれば來る追分の 夕張行の乘替場
  15. 時節は秋よ入日さす 夕張川の夕げしき 名所は河端瀧の上 また紅葉山鹿の谷
  16. 見つゝ分け入る炭山は 北海富源のその一つ 積み出す石炭もろともに 我等も歸るもとの驛
  17. 早來おりて右行けば 雁鴨おほき千歳沼 惠庭樽前支笏湖も 皆その附近の名所なり
  18. 白鳥おるゝ沼の端 鰯の取るゝ苫小牧 降り積む雪の白老は アイヌ土人の部落の地
  19. 建築材に必要の 石切り出だす登別 山には全國たぐひなき 壯觀奇絶の出湯あり
  20. 幌別輪西打ち過ぎて はや室蘭に着きにけり 青森までは海一つ 海膽は此地の名産ぞ
  • 南の卷
  1. 千里の林萬里の野 四面は海に圍まれて わが帝國の無盡庫と 世に名ざさるゝ北海道
  2. 四月に雪の消えしより 夏まで春の花さきて わが帝國の樂園と 人に呼ばるゝ北海道
  3. いざ一めぐり見て來んと 津輕海峽跡にして 巴の形に漕ぎ入れば こゝぞ渡島の函館港
  4. 出船入船ひまもなく 商業貿易北海の 關門占めたる土地ぞとは 知らるゝ市街の賑しさ
  5. 是より乘り込む汽車の窓 見かへる臥牛の山消えて 緑果てなき牧場も 秋は桔梗の花ざかり
  6. 人參植ゑて杉植ゑて 百年ぢかくの昔より 開墾せられし七飯村 農産よそには勝れたり
  7. 馬車の便ある本郷の 十四里西に江差あり 岩内壽都と諸共に 北海屈指の良き港
  8. トンネル出でゝながむれば 周回八里の大沼に 裳裾をかけて聳え立つ 渡島の富士も面白や
  9. 森に出づれば旅人の 眠氣もさむる噴火灣 晴れたる日には薄青く 有珠の高嶺も仄みえて
  10. 海邊づたひに早いつか 過ぐる膽振の國境 八雲に續く國縫は 滿俺鑛山所在の地
  11. 鰯鰈に法貴貝 海産おほき長萬部 南部陣屋の跡すぎて はや後志の黒松内
  12. 尻別川の水の聲 聞きつゝ上る岸づたひ 岩おもしろく山深く 若葉紅葉のながめあり
  13. 紅葉の如き赤心を 櫻の如く香らせし 阿部の比羅夫の忠勇を 紀念に殘す比羅夫驛
  14. 仰ぐ雲間に雪しろく つもるは蝦夷富士羊蹄山 登れ人々陸奧灣も 一目に見ゆる高嶺まで
  15. 裾野は俱知安の大原野 オンコ椴松楢桂 林は天を打ち掩ひ 面積ほとんど三十里
  16. こゝを開きて耕して 作りし村は年々に 榮えて朝夕立ちまさる 煙あまねく民ゆたか
  17. されど秋すぎ冬の來て 北風雪を吹く時は 汽車ゆく道さへ埋もれて 寒さに泣くは此附近
  18. 鑛山名たかき然別 林檎の實のる餘市村 夕風さむく秋ふけて 紅ならぬ枝もなし
  19. 蘭島鹽谷の海邊には 樂しき海士の里見えて 鰊あみ引く春の日の 賑言葉につくされず
  20. 土地の話を耳に聞き かはる景色を目に見つゝ 慰む程に呼ぶ聲を 聞けば小樽か早こゝは

車内メロディー[編集]

485系や185系、381系などといった国鉄型車両を中心に使用されていたが、現在は搭載車両の廃車や車内チャイムの変更等が進み、聞くことのできる車両は激減している。様々な種類が存在しており、いかに違いについて示した。

オルゴールVer(高音)[編集]

485系や185系などに搭載されているグループである。一般的に鉄道唱歌のオルゴールチャイムと聞くとこちらを思い浮かべる人が多いであろう。メロディーの音程は「レ」から始まるものとなっている。現在は廃車や後述の電子音チャイム等への変更等が行われた結果、現在聞くことの可能な車両は団体用の185系が唯一と思われる。

オルゴールVer(低音)[編集]

583系などに搭載されていたグループで、メロディー自体は高音オルゴールVerと同じだがこちらは1音ぶん低い音程となっている。搭載車両の廃車により現在は消滅済み。

新幹線Ver[編集]

東海道新幹線の開業当初に使用されていたものである。しかし新幹線に古風なメロディーはふさわしくないとされ、黛チャイムに変更される形で消滅した。

くろしおVer[編集]

381系特急くろしおにおいて、天王寺駅の発着時に使用されていたものである。音程は後述の電子音VerBに近いが、音源が異なっているところが特徴である。くろしおで使用していた381系が全車廃車されたため消滅済み。

電子音VerA[編集]

789系などのJR北海道電車特急を中心に使われているチャイム。基本的に鉄道唱歌のチャイムはメロディーラインはほぼ統一されているのだがこの曲は異なり、東海道篇1番で言う「新橋を」の部分が異なっている。789系や785系の他、JR東日本の651系のも搭載されているが、こちらはあまり使用されない。

電子音VerB[編集]

185系や485系などで使用されているチャイムで、最初の音は「ソ」となっている。一般的に鉄道唱歌の電子音Verと言われているものであり、現在も485系リゾートやまどりや885系などに搭載されており、偶に聞くこともできる。

489系Ver[編集]

通称フンガフンガチャイム。軽い感じのアレンジとなっている。また車内メロディーの鉄道唱歌は基本的に「はやわが汽車は離れたり....」の部分で終わりとなっているがこの曲は1番の最後までアレンジされている。489系の金沢所属車に搭載されていたが廃車により消滅。

富山地鉄Ver[編集]

かつて富山地方鉄道で使用されていたチャイム。現在は使用されていない。

サウンドサイレンとして[編集]

2014年頃まで、愛媛県宇和島市宇和島城に設置されていたサウンドサイレンは毎朝6時に鉄道唱歌を演奏していた。 なお、現在は録音された音源がFMがいやなどで、毎朝6時に放送されているらしい。

脚注[編集]

  1. 戦後の当用漢字表制定による「同音の漢字による書きかえ」対象として「篇→編」も掲載された。本記事では初版に従い「篇」と記載する。
  2. な阪関無
  3. a b c 現在は一部が第三セクターとなっている。

関連項目[編集]