石見国
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石見国(いわみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つである。石州の別称がある。山陰道に属していた。
概要[編集]
地理[編集]
周辺の令制国は以下の通り。
江戸期 - 明治維新[編集]
関ヶ原の戦い後、幕藩体制下では鹿足郡が外様大名の亀井氏の支配下だったが、他の地域は浜田藩の支配となった。
明治維新後、隠岐とともに浜田県となり、1876年4月に島根県の西部となって今日に至っている。
現状[編集]
現在は島根県西部の地域区分として石見地方が使われている。さらに、石東(大田市・邑智郡)、石央(江津市・浜田市)、石西(益田市・鹿足郡)の三区分に分けられることもある。
気候は浜田市以東で日本海側の大勢と同じく冬季に多雪の傾向があるが、益田市の平野部では雪は少ない。
新聞の全国紙は、かつて全て北九州市本社のエリアだったが、現在は毎日新聞のみである。
その他[編集]
脚注[編集]
- 注
- 出典