遠江国

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遠江国(とおとうみのくに)とは、日本旧国名である。現在の静岡県西部地方および大井川以西の中部地方を指す。その昔は遠淡海と書かれた。別称は遠州(えんしゅう)で、こちらで使われることのほうが多かった。東海道15国の1つである。

概要[編集]

延喜式』では上国とされており、13郡が存在した。国府は現在の磐田市見付に存在した。遠江の名は、琵琶湖が存在する近江に対し、浜名湖を遠淡海(とおつおうみ)と呼んだことに由来するとされている。

なお、浜名湖は1498年に地震と高潮で外海と繋がり汽水湖になるまで淡水湖だった。

地理[編集]

周辺の令制国は以下の通り。

遠江国に隣接する令制国
信濃国
三河国 遠江国 駿河国
太平洋

太平洋(遠州灘)に沿った海沿いの令制国である。

西は浜名湖豊川の間の丘陵地や弓張山地三河国との境界である。北は赤石山脈信濃国との境界になっている。東は大井川駿河国との境界である。

歴史[編集]

室町時代以降、斯波氏が守護となった。戦国時代、駿河の今川氏親が西に領土を伸ばし、1500年頃より今川領となった。今川家の支配は70年弱い続いたが、桶狭間の戦い以降は流れが変わり、1569年に今川家より独立した三河の徳川家康が1569年に遠江国を平定した。翌1570年より、遠江の浜松城が徳川家康の居城となった。その後は、三方ヶ原の戦いなど、徳川と武田の勢力争いの場となる。

1582年の武田氏滅亡で、徳川氏の支配が確立。しかし、豊臣秀吉の天下統一により、徳川家康は関東に国替えとなって、遠江は堀尾吉晴山内一豊など豊臣系の大名の領地となった。関ヶ原合戦後、堀尾吉晴は出雲国に、山内一豊は土佐国に加増転封され、江戸幕藩体制下では、浜松、横須賀、掛川の3藩が置かれ、井上氏や太田氏など譜代の小大名が配置された。

廃藩置県後の府県統廃合で、駿河国および伊豆国の本土部と合わせて静岡県となった。

藩の一覧[編集]

駿河国に藩庁を置いた藩の一覧を示す。

  • 浜松藩 - 太田氏、井上氏など(譜代)。藩主は頻繁に入れ替わっており、水野忠邦幕閣入りのため、九州唐津から転封。
  • 掛川藩 - 太田氏(譜代)。ただし17世紀は藩主が頻繁に入れ替わっていた。
  • 横須賀藩 - 西尾氏(譜代)。ただし17世紀は藩主が頻繁に入れ替わっていた。

郡の一覧[編集]

関連項目[編集]

律令制下の国名(旧国名)一覧
畿内 山城国 / 大和国 / 河内国 / 和泉国 / 摂津国
東海道 常陸国 / 下総国 / 上総国 / 安房国 / 武蔵国 / 甲斐国 / 相模国 / 伊豆国 / 駿河国 / 遠江国 / 三河国 / 尾張国 / 伊賀国 / 伊勢国 / 志摩国
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