軍艦
軍艦 (ぐんかん) とは、平時に於いては密漁、密貿易、海賊の取り締まり、国境警備、戦時に於いては敵艦の拿捕を行う軍隊に所属する武装した船である。国家によっては前者の平時の行為を沿岸警備隊や国境警備隊が行っているところもある。
名称[編集]
大型の船を「艦」、小型の船を「艇」と呼び、両方を合わせて「艦艇」と呼ぶ。「艇」や駆逐艦は軍艦として扱われない。
概要[編集]
目的を達成するために武装し、また、敵の攻撃から守るために装甲を施している。軍艦は国外にあってもその所属する国の法の支配下にあり、その内部は治外法権の特権がある。
沿革[編集]
古代[編集]
国家の誕生により、その軍隊に所属する船として登場した。このときは武装商船との区別がなく、戦争になったときに商船に武装を施して使用することもあった。ただし、専門の軍艦もあり、船形はスマートで帆はあるが、多くの櫂を持ち、風に関係なく小回りの効くガレー船であった。ギリシアではガレー船の漕ぎ手は市民からなる兵士であり、投石器や弩による攻撃の後に衝角攻撃によって敵の船に衝突した。そのあとは兵士が敵の船に乗り込み、白兵戦を行った。一方、ペルシア帝国やローマ帝国は漕ぎ手は囚人や捕虜であり、戦闘時は反乱や逃亡が起きないよう、漕ぎ手を鎖で繋いだ。
中世[編集]
軍艦の構造は古代と変わらなかった。ビザンツ帝国、オスマン帝国、ヴェネツィア共和国の海軍が地中海で制海権を争っているなか、スペインとポルトガルの大型商船がインドの香料を求めて外洋に出た。この大型商船が軍艦の建造に大きな影響を与えた。
近世[編集]
1571年のレパントの海戦でスペインがオスマン帝国を破り、1588年のアルマダ海戦でイギリスがスペインを破って、ガレー船は軍艦から引退し、大型の帆船が主役となった。やがて、海の主役はイギリスとオランダ、後にフランスが加わった。この大型の帆走軍艦は舷側に多くの大砲を備え付け、敵艦の帆装破壊、乗組員の殺傷を行った。このガレオン船が後に戦列艦となったほか、索敵、船団護衛、通商破壊、沿岸警備を行う小型の帆船やガレー船はフリゲートとなった。
19世紀前半[編集]
蒸気機関の発明により、帆船の時代から機帆船の時代となった。大砲の弾丸に使用される火薬が黒色火薬からニトロセルロースをはじめとする高性能爆薬が使われるようになり、敵艦の砲撃から身を守るために木製の船体に鉄板を貼るようになり、戦列艦は装甲艦へと姿を変えていった。
19世紀後半[編集]
さらに蒸気機関の信頼性向上と推進機関が効率の良いスクリューの採用により帆装を廃止するようになった。また、衝角攻撃の復活と魚雷の登場によって砲撃以外の攻撃方法が確立した。
20世紀初頭[編集]
装甲艦の船体は完全な鋼製となり、装甲艦は戦艦に、フリゲートは巡洋艦となった。イギリスのドレッドノートの登場は建造中の戦艦を含め、それ以前の戦艦をすべて旧式化してしまった。大砲は副砲を廃止して主砲のみとなって巨大化し、TNTの採用とも重なり、威力が大きくなった。機関は効率の良い蒸気タービンとディーゼルエンジンが使われるようになった。潜水艦が登場し、戦いの舞台は水中にも広がった。
第一次世界大戦[編集]
第一次世界大戦では弩級戦艦同士による無視界での戦闘が行われた。ドイツ海軍のUボートによる魚雷攻撃は多くの艦船を沈め、連合国側を恐怖に陥れた。さらに大戦後半には航空母艦が登場した。
戦間期[編集]
海軍軍縮条約によって軍艦の保有に制限がかけられた。その中で大日本帝国海軍は軍用機の所有に力を入れた。
第二次世界大戦[編集]
戦艦が軍用機に沈められ、戦艦の時代は終わった。航空母艦と潜水艦が重視され、巡洋艦はこれらを護衛する脇役になった。
乗組員[編集]
士官、准士官、下士官、兵のほか、民間人も軍属として乗艦した。
関連項目[編集]
- 近世イギリス海軍の食生活
- 海軍
- 海軍軍縮条約
- 機帆船
- 航空母艦
- コルベット
- 商船
- 巡洋艦
- 巡洋戦艦
- 戦艦
- 潜水艦
- 大日本帝国海軍
- 大日本帝国海軍の食生活
- 大砲
- 帆走軍艦
- 帆船
- 船
- 武装商船
- フリゲート