短命車両

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短命車両(たんめいしゃりょう)は、鉄道車両のうち、何らかの理由により早期廃車となってしまった車両のことを指す。バスや自動車については元々のサイクルが8〜13年程度と短いため扱わない。

概要[編集]

鉄道車両は本来ならば20〜30年程度、長いと40〜50年以上使用されるが、中には諸般の事情により15年程度、時には10年未満で全車廃車になる車両も存在する。

当然、一覧も挙げるが、記事の冗長化を防ぐため、ごく一部の例外を除き15年程度またはそれ以下で廃車になった例を取り上げる。

短命車両になる要因[編集]

路線の廃止・縮小
路線が廃止または縮小され、譲渡先が見つからない場合、製造からわずかしか経っていなくても廃車になってしまう。この場合は保存先が見つからずに解体となる例も少なくはない。
編成組み換えによる余剰
編成組み換えなどが行われ、余剰となった車両が発生した際、転用先が見つからずに廃車になってしまうことも珍しくない。
機器の特殊性
従来車と機器類が異なる場合、整備性が悪くなり、かつ機器の取り替え工事より新造や譲渡車で賄えるという観点から廃車される例も少なくはない。
異端車両
ドア数が違うなどの異端車両も、整備性の都合やホームドア設置・バリアフリー化などの新しい設備に対応できなくなり、廃車される例もある。
事故廃車
事故が起きた場合、修理される例もあるが、代替新造を行ったほうが得策な場合は廃車になってしまう。中にはEF66の55号機のように修理後扱いが悪くなり廃車された例も存在する。
量産中止あるいは試験車
量産が中止となった場合、あるいは試験終了となった場合は余程のことがない限り廃車となる。この場合、廃車後は衝突試験等のデータ取りに使用されて解体される例が多い。

一例[編集]

この一覧は永遠に未完成です この節にある一覧は網羅性がないため永遠に未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を募集中!

本項では、事故廃車、戦前に廃車されたもの、完全な試作車[注釈 1]、貨車については取り扱わない。

当然ながら除籍後、他組織への譲渡や転属などで活躍を続けている車両も扱わない。

なお、ここで言う特殊なパターンは「16年以上在籍した車両」かつ「実働年数10年未満の車両」もしくは「車籍は引き継いでいるものの車体載せ替えから15年足らずで廃車解体された車両」に限定する。

1950年代[編集]

長門鉄道DB170形ディーゼル機関車 (1952年11月落成/1956年5月廃車)
長門鉄道唯1両のディーゼル機関車だったが、長門鉄道が廃線になると譲渡されずに廃車解体された模様。
根室拓殖鉄道キハ3形気動車「銀龍号」 (1949年9月落成/1959年9月廃車)
根室拓殖鉄道に導入された3両の気動車のうちの1両。それ以外の2両は1931年製のキハ1形「ちどり号」、1949年7月製造のキハ2形「かもめ号」であった。根室拓殖鉄道の廃線後は廃車となり、3両とも客室のみがバスの待合室や小学校の遊具として使用されたが、校舎が改築された際に全車が校庭に埋められた。
十勝鉄道DC1形ディーゼル機関車 (1951年9月落成/1959年11月廃車)
帯広部線に導入されたと推測されるディーゼル機関車。1959年の旅客営業廃止に伴い廃車されたと推定される。なお、同型車にDC2が存在した模様だが詳細は不明。

1960年代[編集]

国鉄E10形蒸気機関車 (1948年登場/1962年全廃)
板谷峠で運転していた4110形の老朽化が深刻になったため5両が製造された国鉄最後の完全新造の蒸気機関車。転属を繰り返し最後は北陸本線の米原-田村間に落ち着いたが、少数派および戦時規格であったが故に故障も頻発し製造からわずか14年で全車が廃車された。
廃車後は2号機のみが青梅鉄道公園に静態保存されている以外はすべて解体処分された。
豊橋鉄道サハ200形客車 (1955年落成/1962年廃車)
無蓋貨車のトム6000形から改造された2軸客車で、電車の間に挟まれて運用されたが、製造からわずか7年程度で廃車され、田口線廃止直前には客室のみが倉庫として利用されていた。
尾道鉄道デキ30形電車 (1959年3月落成/1964年8月廃車)
台車を和歌山電気軌道から購入し、主電動機を従来車から流用して自社で製造された2両。廃線後に引き取り手が現れることはなくそのまま廃車されている。
山鹿温泉鉄道キハ100形気動車 (1955年3月登場/1965年2月廃車)
GMC製のトラックをベースにして1955年の3月と9月にそれぞれ1両ずつ製造されたユニークな気動車。1960年に路線休止により休車となり、以降1965年の廃止まで一切稼働しなかった。実働5年程度。
この他、キハ1形も製造から9年程度で休車となり、廃止後に譲渡計画があったものの立ち消えとなった。
東京都交通局H形電車 (1957年12月落成/1966年11月廃車)
上野懸垂線の初代車両だが、老朽化により早々と引退し、廃車後は日本車輛製造の豊川工場にて大切に静態保存されている。
呉市交通局2000形電車2001号 (1961年4月落成/1967年12月廃車)
呉市電は合理化のためにワンマン運転を導入したが、それに合わせて3両が製造された形式。しかし赤字幅が年々増加し、呉市電自体が廃止され、2001号のみは譲渡されずに静態保存された。2002号車と2003号車については仙台市電に譲渡されたが、こちらも1976年の廃止直前に廃車解体されている。2001号についても後に解体されており、現存車はない。
国鉄キハ01形/キハ02形/キハ03形 (1953年運用開始/1968年全廃)
国鉄が製造したレールバスだが、バスの設計を流用しているため耐用年数が短く、全車が譲渡されずに廃車となっている。特にキハ02形の16と17は1956年1月から1964年6月までの8年5ヶ月の在籍でいずれも廃車後は解体処分されている。
レールバス自体は後述のLE-Carを除いて他に羽幌炭鉱鉄道キハ10形気動車南部縦貫鉄道キハ10形気動車が存在し、前者は1959年3月から1969年11月までと車齢10年8ヶ月であっさり廃車となっているが、後者は1997年の南部縦貫鉄道休止時まで実に35年にわたって使用され、さらに製造から60年を迎えようとしている2021年現在でも大切に動態保存されている。
小田急3000形電車 (初代) (1957年登場/1968年一部廃車)
特急あさぎりへの転用の際、8両編成4本を5両編成6本に組み替え、余剰となった2両が廃車となったが、車体のみ廃棄されている。
それ以外は耐用年数10年設計ではあったもののそれを大幅に上回り、大井川鐵道への譲渡車を含めると1993年まで車籍を残していた。
北海道拓殖鉄道キハ300形気動車 (1963年5月落成/1968年8月廃車)
木造客車ホハ502から台枠を流用して泰和車両で301の1両が製造されたが、1968年の廃線後は泰和車両に返却され、その後荒廃した状態で留置されていたが、再起することなく解体処分に至っている。
静岡鉄道キハD14形気動車キハD17号 (1961年10月落成/1968年8月廃車と推定)
キハD14形は1959 - 61年にかけて駿遠線向けに7両が製造されたボギー車で、変速方式はD15, D19, D20が液体式である以外は機械式であった。そのうちキハD18〜20の3両が全線廃止まで走り続け、D17は1968年の部分廃止の際に余剰廃車されたと言われている。
東京都交通局2500形電車 (1958年登場/1968年9月全廃)
杉並線の旧2000形の鋼体化名義で8両が製造された車両でバスの工法を用いている。これにより木造車をすべて淘汰し、杉並線廃止後は荒川営業所、早稲田営業所を転々としたが、老朽化が早く2503が事故廃車となった以外は早稲田営業所廃止に伴い製造から9~10年程度で廃車となっている。
この他、都電では8000形など車齢10〜15年程度で廃車された例が多数存在する。
遠州鉄道クハ60形電車初代61号 (1955年10月登場/1968年11月廃車)
戦後の黎明期に製造された16m級の全鋼製片運転台制御車で、モハ15とペアを組んだが、30形クハ79に機器を供されて廃車となった。
編成を組んでいたモハ15についてもモハ29に機器を提供されて車齢15年で廃車された。
川崎市交通局200形電車203・204号 (いずれも2代目) (1962年9月落成/1969年3月廃車)
半鋼製ボギー車300形を鋼体化した2両。川崎市電自体がバスとの競争に負けてしまい、1969年をもって廃止となったが、引き取り手は現れず廃車解体となった。
大阪市電2601形電車 (1955年登場/1969年3月全廃)
木造車の置き換えのために足回りだけを流用し全鋼製車体を製造して登場した形式。最短命は2683で、1958年10月に製造されたものの、1968年7月の部分廃止によりわずか9年9ヶ月で廃車となっている。それ以外や3001形にも車齢10年未満で廃車されたものが多数存在するが、2601形は14両が広島電鉄に、32両が鹿児島市交通局に譲渡されている。ただし、2021年現在は広島電鉄に譲渡された913号車(旧2638号車)のみが現役である他、鹿児島譲渡車の機器が9500形に流用されているが、機器類については製造からすでに100年を迎えようとしている。
東急デハ200形電車 (1955年竣工/1969年5月全廃)
東急玉川線の老朽車置き換えのために2車体連接6本が製造されたが、機器の特殊性により運用陣、保守陣からも嫌われ、玉川線廃止時に世田谷線への転属はなされず全車廃車となっている。
廃車後は静態保存されるデハ204と206を残してすべて解体のために搬出、のち206号も解体となっている。
花巻電鉄デハ20形電車デハ22号 (1962年登場/1969年9月廃車)
鉄道線のデハ2号を鋼体化した車両だったが、軌道線の廃止時に車齢わずか7年程度で廃車された。
この他のデハ21やデハ28、サハ200形、サハ100形の一部が軌道線廃止時や1972年の全線廃止時に車齢10年未満で廃車になっている。
定山渓鉄道モ2300形電車 (1964年10月落成/1969年11月廃車)
2両製造。コストカットを優先したため、非冷房で窓が開かないうえ、主要機器が旧性能車からの流用ということもあり、エチケット袋を車内に用意されたため、「ゲロ電」という有り難くないあだ名がつけられた。1969年に定山渓鉄道自体が廃止となったが、このような低性能サウナ電車を引き取る者は誰も現れず、2両ともわずか5年で廃車解体に至っている。
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なお、定山渓鉄道では他にもキハ7000形やモハ2100形等多くの車両が車齢15年以下で廃止時に廃車解体されている。また、定鉄車で唯一十和田観光電鉄に譲渡されたモハ1200形とクハ1210形についても1990年に廃車解体となっている。

1970年代[編集]

静岡鉄道ハ100形客車ハ108号 (2代) (1962年6月落成/1970年7月廃車)
駿遠線の車両の1つ。ハ100形は1956年から1962年にかけて12両が製造された半鋼製客車で、ハ112号がこのグループの最終増備車となった他、ハ113〜115の3両を草軽電気鉄道から譲り受けている。
このハ112号はハ108号と車号を入れ替え、1970年の廃止まで110以降の車両とともに使用され、廃止後は解体されている。
静岡鉄道DD500形ディーゼル機関車 (1965年8月落成/1970年7月廃車)
501の1両のみが製造された駿遠線用のB-B型のディーゼル機関車。当初は3両製造予定だったが、部分廃止により増備は取りやめとなった。1970年の駿遠線廃止後は廃車解体されたが、エンジンは漁船に転用された。
南海321形電車 (1963年9月落成/1971年3月全廃)
和歌山軌道線用に7両が製造されたが、軌道線自体がバスにとってお荷物となり、1971年1月の部分廃止時に324が伊予鉄道に譲渡され、残りの6両も全線廃止時に用途を失い、うち321と322の2両以外は保存されることなく解体処分された。324は譲渡後同社のモハ81となったが、使い勝手の悪さから1987年に廃車、1993年に解体となっている。なお、322は集会所兼倉庫として使用されており、321については定期的に整備を行い保存状態は良い。
井笠鉄道ホジ100形気動車 (1962年10月落成/1971年4月廃車)
井笠鉄道最後の新造車で、2両在籍。最高時速75kmのスプリンターであった。廃止後、1両が経ヶ丸グリーンパークに引き取られて大切に保存されている。もう1両は個人に売却されたが、消息は不明である。
近鉄10000系電車 (1958年6月落成/1971年5月廃車)
初の2階建て特急車で、7両編成1本のみの存在であったが、冷房装置の老朽化が著しく、かつ座席指定のオンライン化が困難であったため車齢13年弱で廃車された。廃車後は電装品の一部が2680系の製造に流用されているが、2680系自体が2020年に全廃され、10000系由来のものは現存しない。
もっとも、両端の4両は改造の上で10400系などとの固定編成化も可能だったように思える。
富山地方鉄道クハ90形電車 (1962年2月落成/1971年8月廃車)
1962年に製造された両開きドアを片側3箇所に備えるノーシル・ノーヘッダーの車体をもつ2両。戦前製の手動加速制御車両に増結される形で使用されたため、14710形が投入されるとこれらの手動加速制御車の淘汰により行き場を失い製造からわずか9年で2両とも廃車された。
札幌市電の路面ディーゼルカー (1958年4月登場/1971年10月全廃)
鉄北線は開業当初非電化であったため、軌道線では珍しく気動車が16両導入されて運用に就いていたが、1968年に全線の電化が完了した際に大半が電車に改造され、残留車両についても最後まで残った4両が車齢6 - 8年程度で1971年10月の鉄北線部分廃止に伴い廃車となっている。
電車に改造された車両についても1987年に全廃され、2021年現在は車齢7年弱で廃車されたD1041号車のみが静態保存されている。
札幌市電Tc1形電車 (1961年7月落成/1971年10月廃車)
M100形とともにラッシュ時の増発用として1両が製造され、親子電車と呼ばれたが、連接車を導入したほうが得策ということもあり以降の増備は行われず、Tc1形のみ鉄北線部分廃止前後に廃車となり、札幌市交通資料館に静態保存されている。
M100形はジャンパ線や連結器の撤去などを経て約60年間大切に運用されてきたが、2021年10月31日21時24分の中央図書館前電停到着をもってついに引退。その後は2022年秋リニューアルオープン予定の札幌市交通資料館にて既廃車のTc1形とともに保存されることが決定している。
大阪市交通局900形電車911号車 (1964年10月落成/1972年3月廃車)
大阪メトロ(当時の大阪市営地下鉄)中央線の弁天町-本町間開業に伴い11両が製造されたが、編成組み替えの際に余剰となった911のみが1972年3月に廃車となっている。それ以外についても運転台撤去の上5900形に改番された後1991年に全廃となった。
大分交通1100型電車 (1963年9月落成/1972年4月廃車)
別大線に投入された2両連結車で、2編成4両が在籍したが、廃止時に廃車解体されている。
水間鉄道モハ250形電車 (1958年登場/1972年10月廃車)
南海1201形電車の譲受により従来車として全数淘汰の対象となり廃車となった2両。モハ252は製造から10年弱で廃車された。
国鉄10系客車オシ16形 (1962年登場/1973年2月全廃)
夜行列車に連結されていた通称サロンカーであったが、特急格上げにより用途を失いすべて廃車された。
越後交通モハ212形・クハ100形電車 (1957年登場/1975年4月全廃)
栃尾線の最終増備車グループで計9両が製造され、全線廃止時まで使用された車両。最短命はクハ102と103で1967年10月の落成からわずか7年6ヶ月で廃車されている。この他、モハ217とクハ104が車齢9~10年程度で廃車された。
国鉄20系客車ナシ20形22・23号 (1968年8月落成/1975年11月廃車)
食堂車全廃の一環で余剰廃車されたナシ20形のうちの2両。それ以外の多くは国鉄分割民営化直前に廃車されている。
国鉄181系電車クハ180形1 - 3号 (1966年6月落成/1975年11月廃車)
特急あさま向けに製造されたが、189系に置き換えられ、転属することなく廃車解体された181系新造車のうちの3両。3号車は他の2両よりわずかに短命であった。
国鉄DD54形ディーゼル機関車 (1966年登場/1978年全廃)
三菱重工がドイツのマイバッハ社との技術提携で40両が製造したがアフターサービスに対する国情の違い、労使対立も絡んだ保守現場の新技術に対する冷淡さから欠陥機関車の代名詞とされた。最短在籍車は35号機で、1971年9月から1976年6月までの4年10ヶ月間の在籍であった。最長在籍車の1号機についても1966年6月24日から1976年6月30日までの10年間の在籍で、それ以外の多くも落成から5〜6年程度で廃車となり、国会で問題として取り上げられ、国鉄からの天下り癒着の指摘もあった。
なお、静態保存されている33号機以外はすべて解体廃棄されている。
新幹線0系電車1・2次車 (1964年10月運用開始/1978年淘汰完了)を含む多くの新幹線電車
後述の500系やE3系を除いても新幹線の電車は高速で長距離を走るため摩耗が激しく、被災車両を除くと多くの車両が車齢15年程度で廃車になっている。特に0系の初期車の一部やN700系の一部などは車齢12年程度で廃車されている。
また、その中でも941形と922形T1編成は車両解体の試運転に供されるためという理由で廃車された。
姫路市交通局100形・200形電車 (1965年12月登場/1979年3月全廃)
営業不振に陥り、1974年の路線休止後廃車まで全く稼働しなかった姫路モノレールの4両。2021年現在も一部車両が静態保存されている。実働9年弱

1980年代[編集]

国鉄[編集]

国鉄72系電車モハ72970 (1954年落成/1972年改造/1980年廃車)
特殊なパターン。モハ72587の車体を更新し、鶴見線に投入されたが、101系に置き換えられた際に仙石線への転用が計画されていたものの立ち消えとなり廃車解体された。車齢としては26年前後だったものの車体は事実上8年程度しかもたなかった。
なお、同時期には国鉄103系電車の高運転台仕様の車体と組み合わされて国鉄72系電車970番台となった車両が存在し、仙石線に投入された後、1984年に103系の台車と電装品が組み込まれて103系3000番台となり、川越線八高線に投入された。
国鉄181系気動車キサシ180形7号車 (1969年12月登場/1980年10月廃車)
キサシ180の中で最短命だった車両。それ以外のキサシ180についても、特に1 - 5号車は車齢11年前後で用途を失い廃車となっている。全廃は1985年で、国鉄分割民営化後に引き継がれたものは皆無である。
国鉄DD16形ディーゼル機関車 (1971年登場/1984年以降用途喪失車発生)
乙線よりさらに路線規格の低い簡易線向けに65両が製造されたが、国鉄分割民営化前に多くの簡易線が三セク化もしくは廃止となったため、JR化後に残った10両以外は国鉄分割民営化前に全て廃車された。なお、倉吉線のように適所なのに投入されず、路線の存在価値を貶めたケースもあった。
2022年現在は11号機の廃車が完了しているためJRでの稼働車はなく、八戸臨海鉄道に譲渡された303号機とデンカ向けに製造された同型機1機が稼働している。
カニ25 (1975年3月改造/1984年全廃)
特殊なパターン。カニ22形を改造し2両が登場したが、改造から9年弱で完全に用途を失い廃車され形式消滅となった。なお、模型でも再現されているためしっかりとした(寝台特急明星のような)本線運用を再現する人も少なくないとか。
国鉄62系電車 (2代) (1974年登場/1986年全廃)
身延線向けに72系から4連3本が改造されて登場したが115系に置き換えられ、103系3000番台のような高性能化や105系1000番台のように119系1000番台として1M高性能化が行われることなく全車廃車解体された。
国鉄DE50形ディーゼル機関車 (1970年7月落成/1986年5月廃車)
特殊なパターン。国鉄唯一の大出力DE機だったが、オイルショックに伴い1両しかも1号機のみの製造で終わった。この1号機は伯備線のDD51と共通運用を組まれたが、故障後修理はなされず休車となり、以降廃車まで稼働しなかった。表向きの廃車時期は上記だが、実勤は5年程度だったらしい。
郵政省クモユ143形電車 (1982年9月落成/1986年10月全廃)
客車列車の一部電車化に伴い3両が郵政省私有車として製造されたが、1986年の鉄道郵便廃止に際して、国鉄は受託運行だったため、一度も全般検査を受けず、荷物電車転用の123系と違い、全車が譲渡転用されることなく廃車解体となった。
国鉄DE10形ディーゼル機関車1757号機 (1977年12月落成/1987年2月廃車)
DE10の中で最短命だった車両。逆に長寿の代表格は西濃鉄道に譲渡された501号機。この501号機は元148号機と現役車唯一の0番台ルーツであり、2021年まで車籍を残していた。

私鉄[編集]

京阪600系電車 (2代)680型691号車 (1970年11月落成/1983年12月廃車)
吊り掛け駆動方式の旧型車1284の機器を流用して製造された車両で、当初は700系780型799号車を名乗っていた。1977〜78年にかけて700系は1000系に改造されたが、780型の781およびこの799のみは改造の対象外となり、600系の680型690・691に編入されたが、その後は2代目1800系への改造対象から外され、昇圧を以て廃車となり、しばらくして解体処分の運命を辿った。
なお、781についても1970年2月に落成しており、こちらも車齢13年10ヶ月で廃車されたことになる。
ドリーム交通10形電車 (1964年登場/1985年11月全廃)
特殊なパターン。ドリームランドモノレール向けに6両が製造されたが、原設計の東芝が設計ミスを犯し故障や事故が頻発したため営業休止となり、以降廃車まで稼働しなかった。実働1年半程度。
阪神3801形電車3901F (1974年登場/1986年全廃)
西大阪線の難波延伸に備えて3本12両が製造されたが、3901Fのみは脱線事故が頻発して廃車された。それ以外については8801形7890形に組み替えられ、前者は2009年、後者は2020年まで使用された。
なお、西大阪線は2009年にようやく難波まで延伸されたが、皮肉にも難波乗り入れはこの形式では実現しなかった。
阪急2800系電車2897号車 (1972年8月落成/1988年6月廃車)
2800系の中で最短命だった車両。2800系自体も特急時代の長距離走行と無闇矢鱈な3ドア化改造により老朽化が著しく進み、先に登場した2300系を差し置いて2001年に全廃された。

1990年代[編集]

下津井電鉄2000系電車 (1988年4月落成/1991年2月廃車)
老朽化の進んでいたモハ102-サハ2-クハ22の編成を置き換えるために製造されたが、1991年2月に下津井電鉄線が廃線になると廃車となり、2021年現在は旧下津井駅構内にて静態保存されている。
下津井電鉄線廃止後、軌間が同じ三岐鉄道北勢線沿線の支援会が北勢線に導入して観光誘客を狙った[注釈 2]が、保安装置等の改造費が嵩むのと、三岐鉄道が北勢線のイロモノ路線化に消極的だったためボツになった。
営団1500NN形電車 (1981年登場/1993年全廃)
1981年に2000形のうちの8両が丸ノ内線に転属した際にその不足分を補うために8両が製造された。しかし、01系への置き換えの進行により残っている2000形やこの1500NN形等も淘汰の対象となり、1500NN形は1993年に車齢わずか12年で全廃された。
大阪市交通局30系電車3043・3543・3597号車 (1984年3月落成/1993年7月廃車)
中央線向けに4両のみが製造された新30系電車[注釈 3]のうちの3両で、上記の車両は中央線の30系淘汰後転属することなくそのまま廃車解体に至っている。3両の中で3597号車のみ他の2両よりわずかに長生きした。残りの1両の3097号車は中間車化および冷房化が行われて3493となり谷町線に転属し2013年3月まで使用された。
アルファコンチネンタルエクスプレス (1985年改造/1995年廃車)
特殊なパターン。1980年代、大量に作られたジョイフルトレインだが、老朽化で1990年代から2000年の初期にかけて大量に処分されている。その中でも早期に廃車されたのはキハ56からの改造車アルファコンチネンタルエクスプレスで、改造から10年後に廃車された。
名鉄キハ10形気動車 (1984年9月落成/1995年3月運用終了)
名鉄は戦前から戦後に行われた合併により広大な路線網を持つこととなった。その中には、モータリゼーションの進行に伴い著しく利用者が減少した区間が存在した。そこで、同区間の運行経費削減のために電化設備を撤去し、気動車による運行を開始した際に導入されたのがこのキハ10形である。
車体はバスの車体を応用した富士重工業製のレールバス(LE-Car)となっている。不採算路線のうち、特に利用者が減少していた八百津線・三河線末端区間用に1984年から翌年にかけて計6両が投入された。しかし、バスを応用した車体故の整備の煩雑さや乗り心地の悪さ、車体長が短いことから、現場からの評判はあまり良いものではなかった。加えて、老朽化が進行したことから1995年に後述するキハ30形に置き換えられた。
名鉄での運用終了後、15と16の2両がくりはら田園鉄道に譲渡され同線の通学用車両として2007年まで活躍した。最短命は14であり、車齢10年前後で廃車されたことになる。
なお、他路線のLE-Carも名鉄同様の問題に加え、近江鉄道では軽量による踏切鳴動異常の問題があったため、車齢10 - 15年程度で廃車になっており、30年間の使用となると紀州鉄道キテツ1形の1・2号程度で、これらのみ車齢30年を超えても使用されていた。更には、LE-Carが事故を起こした場合わたらせ渓谷鐵道のわ89-102のように運用開始から1ヶ月半でも修復されずに廃車となった例があった。

2000年代[編集]

JR北海道キハ130形気動車6・7・9・11号車(1990年6月登場/2000年3月廃車)
キハ130の中で最短命だった車両。キハ130自体も、日高本線向けにわざわざ本州仕様のものをぶち込んだことや、事故の際に軽量車体ゆえ大破して廃車になる車両が出たことなどによりキハ40を引き戻すことで淘汰が進められ、2003年までに全車が車齢10年前後で廃車されている。
国鉄415系電車クハ411-335 (1975年登場/2001年3月廃車)
事故廃車となったクハ421-43の代わりに製造された415系の制御車。このクハ411-335の登場でクハ411系の番号がグチャグチャとなってしまった。423系に組み込まれて他の423系と同じように扱われ、他の423系と同時期の2001年に廃車されてしまった。享年25。
国鉄50系客車一般仕様およびマニ50形の大半 (1977年登場/一般型は2002年全廃)
「マル生運動」排斥に成功した労組が、旧型客車の電車・気動車化による動力近代化でなく、要員合理化に繋がらない新型客車への置き換えを求めたことから投入されたが、東北・上越新幹線開業等による急行列車や夜行列車の大幅な削減で余剰となった58形気動車583系電車を活用して動力近代化する事になり、1989年以降廃車が進み、製造からわずか7年程度で廃車された車両も存在する。2002年快速海峡の運用がなくなって以降はノロッコ号、SL人吉、救援車、気動車化改造車、一部のマニ50のみの所属となり、一般車は全廃された。
マニ50形についても国鉄分割民営化の際に大量に廃車が発生し、中には登場から4年程度で廃車された車両も存在する。
国鉄やJR旅客会社は、あくまで動力分散方式による動力近代化に固執していたが、鉄道工学者の曽根悟のように、欧州のように制御客車を用いて、機関車後ろ押しのプッシュプル運転で延命可能だったのではと論評した有識者がいたのは特筆される。
JR貨物EF500形電気機関車 (1990年7月落成/2002年廃車)
EF200形の交直流版として1両だけ落成したが、試験結果が芳しくなかったため、量産されることなく1994年以降は休車となり、2002年の廃車後は広島車両所にて保管されている。実働4年程度。
伊豆急行2100系電車サロ2180形2181, 2183, 2184号車 (1990年登場/2003年廃車)
ロイヤルボックスが好評であったためリゾート21の全車に連結されたが、2003年の普通運用のロイヤルボックス廃止時に該当する3両が廃車された。
名鉄キハ30形気動車 (1995年2月落成/2004年3月運用終了)
1995年に従来から運行されてきた上記のキハ10形を置き換える目的で4両が製造された。従来のキハ10・20とは異なり、バスの車体を応用したLE-Carではなく、軽量鉄道車両を基にしたLE-DCと呼ばれるシリーズの一つであった。従来車で問題とされた車体長や乗り心地の問題も幾分改善した。2001年(平成13年)9月の八百津線廃止により全車が三河線に転属となり、2004年(平成16年)3月の同線末端区間の廃止まで活躍した。
運用終了後は、キハ20形とともにミャンマー国鉄に移譲されたものの、2018年現在、全車が除籍されている。
蛇足だが、三河線南部末端区間には、「短命の高架線」も存在する。
JR東日本415系電車クハ415形1901号車 (1991年3月落成/2006年3月廃車)
試験的に2階建て普通車として1両のみが落成したが、ラッシュ時に不便であったことから増備はなされず、2005年に運用離脱、翌年に廃車解体された。
しかし、この試験結果は215系の製造に寄与したが、215系自体も2021年までに全滅している。
桃花台新交通100系電車 (1991年3月登場/2006年10月全廃)
桃花台新交通の開業時から使用されていたが、開業からわずか15年で廃止となり、同じシステムを採用した山万への譲渡も規格の相違から不可能だったため、5両が個人や企業に売却された以外はすべて解体廃棄された。
くりはら田園鉄道KD95形気動車 (1994年12月登場/2007年3月全廃)
くりはら田園鉄道線電化撤去時に3両が新製されたが、廃線後は廃車となり、2両が動態保存、残る1両も静態保存されている。
なお、ひたちなか海浜鉄道への譲渡も計画されたが、2008年に起きた岩手・宮城内陸地震により、検討委員会のメンバーのうち、現地入りしていた2名が宿泊先で被災し亡くなられたため、実現には至らなかった。
JR東日本209系電車ウラ73編成/ウラ75編成の一部中間車 (1997年8月と9月に落成/2008年7月と8月に廃車)を含む多くの209系
短命車両走ルンですシリーズの代表格。上記2編成については落成から11年足らずで廃車となっている。
名鉄1600系電車ク1600形 (1999年4月落成/2008年8月廃車)
支線区特急用に3両編成4本が製造されたが、2008年の特急政策の見直しによりク1600形のみすべて廃車され、残る8両は2300系一般車と編成を組んだ。しかし、性能の不均衡等により2021年までに特別車を2230系に差し替えられてこちらも車齢20年程度で全車廃車搬出となった。
なお、この特急政策の見直しにより1000系全車特別車編成も製造から10 - 20年程度で廃車になっている。
三陸鉄道36-500形気動車 (1994年12月落成/2009年3月廃車)
事故廃車の代替として1両のみ製造されたが、以降の増備は行われなかったため、使い勝手が悪く、製造からわずか14年程度で廃車され、2012年11月に解体された。

2010年代[編集]

新幹線500系電車 (1996年登場/2007年以降2010年3月までに一部廃車)
先に登場した300系や同時期に登場した700系に比べ運用上不都合が生じ、8両編成化が進められ、余剰中間車が車齢10 - 12年程度で廃車されている。この他、W1編成が改造されないまま2012年と2014年の2回に分けて廃車されたが、こちらは廃車時点ですでに全車が車齢15年を超えていた。
それ以外の64両は2021年時点ですべて車齢20年を超え、一部が車齢25年を迎えようとしており、新幹線としては異例の長寿命車両となっている。
JR東日本253系電車モハ253-111, 112他6両 (1997年2月運用開始/2010年5月廃車)
253系の中で最も短命であった車両。1992〜97年にかけて3両編成12本が6連化されたが、2010年のE259系置き換えにより製造から15年未満であった該当する6両も廃車に至った。
新幹線700系電車C4編成(1999年3月登場/2011年7月廃車)
2011年当時は700系の先代車両である300系の淘汰を進める予定だったが、JR西日本は計画通りに廃車が進まず、その促進としてJR東海の700系がJR西日本に数本譲渡されることになり、その部品取り用としてC4編成が使われ、あっさり廃車解体されてしまった。そのほか、JR西日本所属車のB13編成やB15編成も車齢13年程度で廃車解体されている。
JR東日本E231系電車サハE230形500番台 (2002年1月登場/2011年9月全廃)
ホームドア整備の上で厄介となった6扉車で、2010年より置き換えが開始され、2011年9月までに除籍が完了した。最短在籍車は603および604であり、いずれも2005年4月に落成し、2010年3月に車齢わずか5年弱で廃車された。
この他、サハE231形4600番台のうちE235系に改造されなかった4両が車齢9年程度で、総武緩行線のミツB80~82編成のサハ6両が車齢14年程度で廃車解体の憂き目となった。
JR東日本E331系電車 (2006年3月落成/2014年4月廃車)
短命車両の代表的存在。2002年に製造された試験用車両であるE993系の要素を取り入れ、試作車1編成14両が製造された。2006年に登場したものの、先進的な技術を詰め込んだことが故に故障が頻発し、長期にわたる運用離脱を余儀なくされた。2011年1月以降は営業運転に就くことがなくなり、2014年4月にあっさりと廃車解体された。実働1年3ヶ月。
新幹線E3系電車R23〜26編成 (2003年12月R23編成落成/2013年12月以降2014年7月までに一部廃車)
秋田新幹線向けのE3系R23〜26編成の24両のうち14両が山形新幹線向けに改造されL54および55編成となったが、余剰となった10両が廃車されている。特にR25編成のE328-25号車は2005年7月から2013年12月までと製造から8年5ヶ月で廃車を迎えている。
組み換え後のL54・55編成も2024年以降E8系への置き換え計画があるが、その頃には全車が車齢18年を超えている。
JR北海道キハ285系気動車 (2014年10月落成/2015年3月廃車)
次世代特急型として開発されたが、試作車製造中にJR北海道を取り巻く事情により開発中止が決まり、用途が見つからずあっさり廃車となり、2017年3月に解体されている。実働0ヶ月。
東京都交通局10-300R形電車 (2004年12月登場/2017年2月全廃)
10-000形初期車の置き換えの際、車齢の若い一部の中間車を有効活用するために先頭車のみ6編成分12両が製造されたのがこの10-300R形である。しかし、その中間車の老朽化も進み、10-300R形は先頭車も淘汰の対象となり、転用先が見つからず全車が車齢10~12年程度で廃車となっている。最短命は10-340および349で、2005年2月から2015年5月までの10年3ヶ月間の在籍であった。
東急5000系電車6扉車 (2005年2月運用開始/2017年4月運用終了)
東急田園都市線では、平日の朝・夕ラッシュ時に激しい混雑が発生しており、2002年当時の池尻大橋 → 渋谷間では朝ラッシュ時ピークに毎時28本が運行されていたものの、混雑率は198%と高止まり状態であり遅延が頻発していた。そこで乗降時間の短縮と混雑の緩和を図るために2005年2月から当時の最新鋭車両5000系の10両のうち2両に6扉・座席収納車両を連結した。その後、2009年からは10両中3両が6扉の車両も登場した。この6扉車の登場や平日朝の準急の運行、大井町線の複々線化と急行運転開始により、2011年には混雑率は181%にまで緩和された。
2015年以降、田園都市線内のホームドアの設置に伴い4扉車との乗車位置が異なることが仇となり、2016年から2017年にかけて4扉車に置き換えられ、全車廃車解体となった。特にサハ5404は2010年8月から2016年7月までとたったの6年弱で廃車となっている。
余談だが、2016年のエイプリルフールの際、東急はこの車両をフィリピンに譲渡すると言っていた。

総括[編集]

生物も非生物もそうであるが、寿命というものはいつやってくるのかは不明であり、個々で異なる。とにかく1日1日を大切に生きていき、物も大切に使っていきたいものである。

関連項目[編集]

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ピックアップを編集
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脚注[編集]

注釈
  1. 量産されずに終わったものは一例に入れる。
  2. 北勢線沿線支援組織は、北勢線沿線で名古屋直結高速バスなど三重交通のバス路線が充実している現状を踏まえ、定期外収入を得る手段として下津井2000系導入や蒸気機関車の運転を要望したが、元々産業鉄道で観光鉄道のノウハウの無い三岐鉄道は『最低限の日常運行の確保』を条件に近鉄から経営を引き継いだ経緯もあり、観光目的の車両導入には消極的だった。
  3. うち3043と3543は外観のみ新30系だが、機器類を30系に合わせており、分類上は30系に含まれる模様。
出典

参考[編集]