遠州鉄道30形電車
遠州鉄道30形電車(えんしゅうてつどう30がたでんしゃ)は、かつて遠州鉄道に在籍していた鉄道車両の1形式。
概要[編集]
1958年から22年かけて制御電動車モハ30形16両、制御車クハ80形12両の合計28両が製造された。当初は30番台、80番台の車両のみであったが、増備が進むにつれて20番台、70番台に転落していったという経緯がある。
最終増備車はモハ51-クハ61の組み合わせとなっており、50形としているブログも存在する。
約60年もの長きにわたり遠州鉄道の主力として活躍を続けてきた[1]が2018年までに1000形、2000形の増備ですべて代替廃車されている。
構造[編集]
車体は17 - 18m級片側2扉の全鋼製車体で、増備の途中で片開扉から両開き扉に変更された。
主電動機については増備途中で出力こそ変更されたものの、モハ51を除きすべて吊り掛け駆動の抵抗制御で統一されている。モハ51は中空軸平行カルダン駆動の抵抗制御であった。
制動方式は一部はM弁で、それ以外はA弁を使用しているが、いずれもすべて自動空気ブレーキで統一されていた。
台車については当初トーションバー台車という国内では珍しいタイプの台車を履いていた車両もあったが、後の増備でインダイレクトマウント空気ばね台車に変更されている。機器流用車については種車の台車を履いた車両も後に空気ばね台車に交換されている。最終増備車はダイレクトマウント空気ばね台車とされた。
なお、これらについては一部を除いて完全新造品となっており、当時の中小私鉄でも極めて異例であった。
増備の変遷[編集]
1958年に登場したモハ31-クハ81は、主電動機出力が68kWとなっており、車体長も17m級とやや短めであった。
1960年に登場したモハ32、クハ82、クハ83は主電動機出力を112kWに引き上げられ、車体長も18m級となり、これが以降の標準となった。当初クハ83はモハ21とペアを組み、モハ32-クハ82でペアを組んだ。
1962年にはモハ34-クハ84のペアが登場。この編成のみ当初はミュージックホーンを搭載していたが、後に撤去されている。
同年、機器流用車であるモハ36-クハ86およびモハ37-クハ87のペアも登場。主電動機出力こそ112kWであったが、なんと1両に2個しか搭載せず発電ブレーキもないという低性能車であった。
翌1963年にはモハ38-クハ88およびモハ39-クハ89のペアが、機器流用の上で登場している。こちらの主電動機出力はたったの60kWで、発電ブレーキも持たなかった。
1966年には完全新造車モハ33とモハ35が登場。モハ33はモハ21と編成を組んでいたクハ83とペアを組み、モハ35は増結用とされた。
1967年には完全新造のモハ30-クハ80のペアが登場。このグループから両開き扉に変更された。
1968年にはモハ15-初代クハ61からの機器流用車であるモハ29-クハ79のペアが登場。機器流用グループであったことから電制こそもたなかったが、主電動機出力112kW×4とそこそこの性能は確保できた。機器流用車の製造はこのグループをもって終了している。これ以降の新造車の主電動機出力はモハ25まで112kWとされている。
1973年にはモハ28が、翌74年にはモハ26, 27が登場。当時の大手私鉄ではすでにカルダン駆動が当たり前になっていたが、吊り掛け駆動で製造された。このグループから運転台を全室構造とされた。これらについては順にクハ88, 86, 89とペアを組み、モハ36はモハ37とペアを組み、モハ39とモハ38はお互いにペアを組むことになり、クハ87については増結用となっていたモハ35とペアを組んだ。
1978年にはモハ25-クハ85のペアが落成した。台車は空気ばね台車で、このグループから当初より冷房装置を搭載した。このグループについては遠州鉄道最後の吊り掛け駆動の車両のみならず、日本の普通鉄道における最後のノーズ・サスペンション式の吊り掛け駆動の完全新車となった。
1980年にはモハ31-クハ81の置き換えのために遠鉄初のカルダン車モハ51-クハ61のペアが落成。主電動機出力は120kWで設定された。
モハ51-クハ61のペアの増備をもって、遠鉄30形の増備は終了した。
改造[編集]
主電動機交換[編集]
モハ38とモハ39のペアは時期不詳ではあるものの主電動機を出力135kWのものに交換され、同時に1両あたり2個に減らされた。
冷房化[編集]
冷房車の増加後、当面の間使用される26 - 30Fについては冷房化がなされ、同時に28Fのクハ88については32Fのクハ82と車両を振り替えられた。30Fについては冷房能力がやや小さかった。
廃車[編集]
31Fについては主電動機出力が小さく、電制を停止せざるを得なくなるなど老朽化が進み、かつ4両運転に対応していなかったため1980年に51Fに置き換えられて廃車解体された。
それ以降の車両も1983年以降1000形の増備により廃車が進み、機器流用車の36F、38Fに次いで1996年までに非冷房で残った32 - 35Fの4編成が廃車された。
冷房車については1999年の2000形登場に伴い機器流用車の29Fを皮切りに廃車が始まり、2014年までに新製冷房車の25Fと51Fを残して全車廃車となった。
51Fについては2017年12月16日のラストランをもって引退し廃車。最後まで残った25Fについても2018年4月末にラストランを行い廃車解体された。
これをもって30形は形式消滅となり、遠州鉄道における2ドア車や吊り掛け駆動の営業車両も全滅した。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 全編成合計。車両単位では20 - 50年程度で引退。