下津井電鉄線
下津井電鉄線 | |
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概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 | 起点:下津井駅 終点:茶屋町駅 |
駅数 | 15駅 |
運営 | |
開業 | 1913年11月11日 |
全通 | 1914年3月15日 |
部分廃止 | 1972年4月1日 |
全廃 | 1991年1月1日 |
所有者 | 下津井電鉄 |
使用車両 | 下記参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 21.0 km (13.0 mi) |
軌間 | 762 mm (2 ft 6 in) |
電化 | 直流600 V, 架空電車線方式 |
最急勾配 | 25パーミル |
外部リンク | |
下津井電鉄線(しもついでんてつせん)は、かつて下津井電鉄が運営していた、岡山県内の下津井駅と茶屋町駅を結んだ鉄道路線のこと。
概要[編集]
平成にまで残った、数少ないナローゲージの軽便鉄道路線の1つ。直流600V電化こそなされていたが、末期は赤字経営となり、さらに瀬戸大橋線開業でバス事業が大打撃を受けて赤字補填ができなくなり廃止に至ったという哀れな経緯がある。
歴史[編集]
当初、下津井の港は丸亀と結ばれ、本州から四国への玄関口となっていたが、1910年の宇野線開業により廃れ始める。そこで国鉄が下津井まで鉄道を伸ばして利用客を戻そうとした。
そして1911年に下津井軽便鉄道設立、1913年に茶屋町 - 味野町(後の児島駅)間が先行開業。1914年に下津井まで延伸開業し全通した。
しかし、この路線は宇野線の茶屋町駅から更に乗り換えが必要とされたことから当初の利用客は伸び悩んだ。そこで改軌計画も度々検討されたが、立地条件の悪さからその度に没になっている。
一方で、児島周辺で繊維産業が発展したことからガソリンカーが合計14両増備され、輸送力も大幅に増加した。
その後、戦中戦後は物資統制により木炭で気動車を走らせることもあった。しかしその後の燃料費がバカ上がりしたことから一度バス化を検討されたものの電化により存続することになり、1949年に電化された。
電化後は気動車を電車に改造した上で運用に入り、総括制御の導入も実は軽便鉄道ではここが初めてとなった。
その後、1951年からは新造電車も運用に入るようになり、栗原電鉄や赤穂鉄道の中古車も有効活用された。
しかし、山陽新幹線開業により道路が整備されるようになると乗客が減少し、1972年に茶屋町 - 児島間が廃止され、孤立路線と化した。対して残りの区間は立地条件が悪く、道路をうまく整備できなかったことからバス代替せずに残された。
その後は交換設備の全廃やワンマン化など、運用の合理化が進められ、1983年には赤いクレパス号の運用を開始したり、ドラマや映画の撮影には積極的に誘致したりと、集客の努力はなされたが、依然として利用客は低迷し、赤字経営だったが、従業員が少ないこの会社だとほとんど影響はなく、バス事業で赤字を補填して経営できている状態となっていた。
1988年に入り、瀬戸大橋線が開通すると、最後の砦としてメリーベル号を導入するも、JRの児島駅からは1km弱とかなり離れており、立地条件が極めて悪くバスツアーにも来てくれる者はわずかしかおらず、逆に瀬戸大橋を渡るバスを自社内で運行した際、通行料金の高さから大失敗に終わったため、赤字補填ができなくなり、1991年をもって残りも廃止され、これをもって同線は80年近くにわたる歴史に幕を閉じた。
廃線後、下津井駅は下津井電鉄が引き続き所有し、廃車車両の保存場所となった他、廃線跡の大部分が遊歩道として活用されている。
なお、児島 - 下津井間の代替バスについては2020年9月30日に運用終了しており、100年以上に渡る、下津井連絡の公共交通は途絶えてしまっている。
駅一覧[編集]
全線廃止時点では下津井駅、琴海駅、児島駅を除き1面1線で、下津井駅以外無人駅となっていた。この3駅のうち琴海駅が1面2線、残り2駅は2面3線の配置であった。
1991年廃止区間[編集]
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 列車交換 | 所在地 |
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下津井駅 | ‐ | 0.0 | ◇ | 倉敷市 | |
東下津井駅 | 2.0 | 2.0 | | | ||
鷲羽山駅 | 0.5 | 2.5 | | | ||
琴海駅 | 0.9 | 3.4 | ◇ | ||
阿津駅 | 1.3 | 4.7 | | | ||
備前赤崎駅 | 0.5 | 5.2 | | | ||
児島駅 | 1.1 | 6.3 | ※本四備讃線の児島駅とは1km弱離れていた | ∧ |
1972年廃止区間[編集]
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 列車交換 | 所在地 |
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児島小川駅 | 1.4 | 7.9 | 下津井電鉄:下津井電鉄線 | ◇ | 倉敷市 |
柳田駅 | 0.9 | 8.8 | | | ||
稗田駅 | 1.4 | 10.2 | ◇ | ||
福南山駅[1] | 2.0 | 12.2 | |||
福田駅 | 1.9 | 14.1 | | | ||
林駅 | 2.5 | 16.6 | ◇ | ||
藤戸駅 | 1.9 | 18.5 | ◇ | ||
天城駅 | 0.5 | 19.0 | | | ||
茶屋町駅 | 2.0 | 21.0 | 日本国有鉄道:宇野線 | ∧ | 都窪郡茶屋町 (現:倉敷市) |
児島駅は部分廃止直後と最終期との2度にわたり移転している。2009年(平成21年)現在残されている児島駅は、1987年(昭和62年)以降の最終期の児島駅であり、部分廃止前の1972年以前、部分廃止直後の1972年(昭和47年)から1987年(昭和62年)までとは場所が異なっている。そのため、上記の表中において児島駅の累計キロ(1991年〈平成3年〉時点)と児島小川駅の累計キロ(1972年〈昭和47年〉時点)の差は児島小川駅の駅間キロと合致しない。なお、下津井電鉄線の児島駅はJR瀬戸大橋線の児島駅とは別地点である。列車運行上は茶屋町・児島から下津井へ向かう方が「下り」、逆方向が「上り」であった。
車両[編集]
- 2000系
- モハ100形・モハ1000形
- モハ50形 - 廃止前に全廃。
脚注[編集]
- ↑ 下津井電鉄 1971年4月その1 - ウェイバックマシン(2020年7月18日アーカイブ分)当時の運賃表に「福南山」の駅名がある。