短命駅

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短命駅(たんめいえき)は、何らかの事情で開業から短期で廃止された駅のこと。本項では鉄軌道駅の事例を主に挙げるが、主に開業から15年以下で廃止となった例を示すが、路線の開業かつ廃止と運命をともにしたもの(路線開業後の設置は除く)は短命路線を参照のこと。

短命駅になる要因[編集]

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関東[編集]

東小平駅[編集]

現在の公立昭和病院の西寄りにあった客貨駅だったが、開業時より貨物輸送が主体で、貨物輸送が無くなると存在意義を失い、約14年で廃止された。

平沼駅[編集]

  • 1931年開業、1944年廃止
  • 京急本線(廃止時は東急湘南線)の駅
横浜駅の西方で約13年間の現役で、廃止後に横浜空襲に遭い、戦後の横浜市長の方針で痕跡を大きく残して放置保存されたが、老朽化で撤去が進んでいる。

中部[編集]

フォトデッキ駅[編集]

  • 1986年7月26日開業、同年9月1日廃止
  • 小海線の駅
1シーズンのみ設置された、乗降不可能な臨時駅だったが、地元の観光業界からクレームが来て乗降可能にしなかった経緯がある。

ときめき駅[編集]

ときめきタウン黒埼の最寄り駅として自治体の負担で設置されたが、わずか1ヶ月後に新潟交通電車線自体の全廃が発表され、最終的に建設費の返還がなされる形でわずか2年後に消えた。

関駅[編集]

新関 - 美濃間の部分廃止で長良川鉄道との乗換駅として設置されたが、わずか6年後に名鉄の600V路線廃止の方針で消えてしまった。

ナゴヤ球場正門前駅[編集]

当初はナゴヤ球場での試合観戦の帰りのために設置された臨時駅で、名鉄から客を2 - 3割奪うくらいにあまりにも好評であったが、1994年シーズン終了で一旦営業終了。ナゴヤ球場1軍戦最終前年、最終年の翌シーズン、翌々シーズンは、1995年3月から常設の尾頭橋駅に代替。

柱町、東若松、西若松の各駅[編集]

西尾鉄道線として1911年に開業後、1943年に休止したが、その時は駅が無く、1951年〜1952年に軌道線と直通する福岡線として再開する際に増設するも1962年の廃止と共に廃駅。その後はバス専用道路の停留所として存続した。

近畿[編集]

万国博中央口駅[編集]

  • 1970年2月24日開業、同年9月14日廃止
  • 会場線の駅
1970年の大阪万博の際にのみ設置された駅。万博終了で廃止となり、直ちに施設ごと撤去されている。

関連項目[編集]

注釈[編集]

出典[編集]