短命路線

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短命路線(たんめいろせん)は、何らかの事情で開業から短期間で廃止となってしまった路線のことを指す。本項では主に鉄道・軌道・バスのうち、開業から20年未満で運行を取り止めた事例(認可上の廃止まで20年以上もあり)を挙げる。

短命路線になる要因[編集]

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  1. ライバル交通機関に短期間で乗客がさらわれた。
  2. 短期間で大口の貨物、旅客輸送が激減、もしくは予想された大口輸送が見込を大幅に下回った。
  3. 地上施設や車両の不具合が短期間で発生。
  4. 短期間で当初の建設目的を喪失。
  5. 戦時不要不急線などの国策。
  6. (鉄建公団建設線に多かったが)建設予算がなかなか付かず、付いた頃にはバス、マイカー定着で時代遅れになった。

北海道[編集]

国鉄根北線[編集]

  • 1957年開業、1970年廃止
斜里 - 根室標津で計画され、越川まで開業したが、沿線は既に国道244号などの道路が充実しており、いわゆる赤字83線の対象となって僅か13年で廃止された。

国鉄白糠線[編集]

  • 1964年(上茶路以北は1972年)開業、1983年廃止
白糠 - 足寄間で計画され、上茶路まで開業。その後、炭田が閉山したにも関わらず、鉄建公団によって北進まで延伸したが、炭田閉山で貨物が見込めない上に、人口希薄地帯で旅客も不振で、特定地方交通線廃止第一号として廃線となった。なお、上茶路以北の延伸区間は後述の大隅線海潟温泉以北の僅か1日前の開業である。

札幌市電鉄北線 北24条 - 新琴似間[編集]

  • 1959 - 65年開業、1974年廃止
地下鉄に代替され廃止となった例。北27条以北は短命電化、かつ71年以降は市電として孤立路線となっていた。

東北[編集]

増東軌道[編集]

  • 1926年開業、1939年廃止
増田(現・名取)駅と閖上(ゆりあげ)を結んだ軽便鉄道。バスに押されてわずか13年余りで廃止。

関東[編集]

国鉄長野原線 長野原 - 太子間[編集]

  • 1954年旅客営業開始、1970年休止、1971年廃止
鉄鉱石運搬線としての役割が主で、旅客は1968年時点で4往復だった。大前方面の路線開業に伴い休止後廃止。

京成白鬚線[編集]

  • 1928年開業、1936年廃止
押上線にあった向島駅から玉ノ井経由で王子電気軌道(現・都電荒川線)連絡のために建設されたが、町屋経由で上野延長の見込みが立つと不要路線となりわずか8年で廃止。

ドリーム開発ドリームランド線[編集]

  • 1966年開業、2003年廃止、ただし1967年の休止以降復活せず
特殊なパターン。設計ミスにより橋桁に亀裂が入るなどしてわずか1年程度で休止となり、HSSTとしての復活が計画されるもボツになり廃止まで復活することはなかった。

中部[編集]

桃花台新交通桃花台線[編集]

  • 1991年開業、2006年廃止
開業当初から赤字だった新交通路線。2003年に名古屋からのアクセスが良くなるものの、JR春日井駅へのバスアクセスが定着して、乗客が戻らず、累積赤字によりわずか15年で廃止された。

名古屋市電覚王山線 東山公園 - 星ヶ丘間[編集]

  • 1959年開業、1961年休止、1967年廃止
千種区で開発の進んだ星ヶ丘まで延伸したものの、地下鉄東山線の延伸が決定して、2年で市電を休止して「市電代行バス」が運行され、地下鉄開通時に廃止された。

名鉄安城支線[編集]

  • 1951年旅客営業開始、1961年廃止
1939年に国鉄安城駅南安城駅を接続する貨物線として開業したのを旅客営業したが、僅か10年余で廃止。ただ、現在の三河海線の刈谷駅接続でのJR流出の惨状を考えるとあながち得した判断と言えなくもない。

名古屋鉄道渥美線 三河田原 - 黒川原間[編集]

  • 1926年開業、1944年休止、1954年廃止
渥美電鉄によって開業し、1940年に名鉄路線に。しかし、施設を他線区に転用するため、1944年に休止。戦後に復活せず、さらに豊橋鉄道にも譲渡されずに1954年に廃止。

国鉄飯田線 (西豊川支線)[編集]

  • 1942年開業、1956年廃止(線路は2023年時点も現存)
豊川海軍工廠の資材や工員輸送のために開業したが、1945年8月の空襲で工廠が破壊。その後も周辺の開発が無く、1956年に廃止。但し、日本車輌専用線としてはなお現存。旧西豊川駅近くにイオン豊川店があり、廃止時よりも存在価値が上がっている。

近畿[編集]

三重交通朝熊線[編集]

  • 1925年開業、1944年休止、1962年廃止
「朝熊参り」鉄道として、楠部 - 平岩間の鉄道線と平岩 - 朝熊山間の鋼索線が開業したが、戦時不要不急路線として19年余りで休止。その後廃止した。現在の近鉄鳥羽線の五十鈴川 - 朝熊間は当線にほぼ沿っているが、別線扱いで建設された。

兵庫電気軌道 明石 - 明石駅前[編集]

  • 1917年開業、1931年廃止
山陽電鉄の前身の一つである兵庫電気軌道は、当時の明石市中心街であった明石港前交差点、現在の魚の棚バス停付近にターミナル駅を設けていた。しかし、神姫電鉄との直通運転が始まると、直通路線上の明石駅前停留所を電鉄明石駅に改称、明石市の中心駅として、盲腸線となった明石駅前-明石間は廃止された。

中国[編集]

玉野市営電気鉄道[編集]

  • 1953年開業、1972年廃止
三井造船の専用鉄道発だが、備南電鉄としての開業当初から赤字であり、開業後まもなく玉野市に移譲、1965年には気動車化されるなど、廃止まで安定した経営ができなかった。

九州[編集]

国鉄大隅線 海潟温泉以北[編集]

  • 1972年開業、1986年廃止
1972年まで桜島付近で鉄路が繋がらない盲腸線だったが、鉄建公団によって全通。しかし、沿線の垂水市での鹿児島市へのルートは錦江湾を短絡する船が主流で、国分を遠廻りする鉄道は通学や帰省輸送以外は閑散で、僅か14年で廃止。せめて志布志方面への輸送に使えなかったかという意見もあるが、海潟温泉以東も古江 - 鹿屋 - 大隅高山間で道路より大廻りで人口10万超の鹿屋都市圏で日中の交通に使われなかった現実の前では無力である

短命電化の例[編集]

福塩線 府中 - 下川辺間[編集]

  • 1954年電化、1962年電化撤去
一度電化されたは良いものの、列車運用に支障をきたしたためわずか8年で撤去された。

短命高架の例[編集]

名鉄三河線 三河楠 - 寺津間[編集]

  • 1998年高架化、2004年に路線自体が廃止
交差する県道41号の関係で高架化され、廃止後、2021年になっても遺構は残されている。今からでも遅くないのでBRTの専用道として使えないものだろうか

関連項目[編集]