下津井電鉄2000系電車

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下津井電鉄2000系電車(しもついでんてつ2000けいでんしゃ)は、かつて下津井電鉄線を走行していた下津井電鉄の鉄道車両の1形式。愛称は「メリーベル号」。日本の鉄道車両の中でも極めて伝説級の車両として語り継がれている。

登場の経緯[編集]

下津井電鉄線では昭和末期の時点でモハ1001、モハ103-クハ24(以下、103F)、モハ102-サハ2-クハ22(以下、102F)の3編成6両が運用に就いていたが、うち102Fの3両はワンマン化もなされずほとんど予備車状態となっており、老朽化も進み早急な置き換えが求められていた。そこで1988年に103F以来27年ぶりの新車として本系列が3連1本製造された。

構造[編集]

大正ロマン電車をモチーフとしており、塗装は赤一色とされ、運転台寄りの前半分が冷房付き、それ以外とサハはオープンデッキとなっており、前面にはダミーのデッキが設けられた。

対して主要機器は工場予備品の直流モーターに吊り掛け駆動方式・HL制御の組み合わせとされたが、ブレーキ方式はHRD電気指令式ブレーキとしてメンテナンスフリー化を図っている。台車はオイルダンパ付きコイルばね式のFS538を採用。補助電源装置もSIVを採用している。

運用[編集]

モハ2001-サハ2201-クハ2101を組み、3連での運用の他、サハを抜いた2連での運用も可能であり、実際に瀬戸大橋博覧会終了後に2連での運用が行われた。

しかし、直後に瀬戸大橋線開通によって下津井電鉄の運営していたバスが大打撃を受け、下津井電鉄線の赤字を支えきれず、下津井電鉄線が1991年に廃止され、同時に行き場を失った本系列も車齢わずか3年弱で廃車となり、形式消滅した。

廃車後[編集]

廃車後は下津井駅構内において、廃線時まで運用されたモハ1001や103F、井笠鉄道の車両などとともに大切に静態保存されている。なお、一度窓ガラスが割られるなど状態が悪化したが、アクリル板で修復されている。

また、2003年に北勢線三岐鉄道に移管された際は、車齢の若い本系列を譲受して運行させようと沿線の支援会が提案したが、機器類の改造が必須であることや、観光路線化に三岐鉄道自体が消極的であったことからボツになった。

関連項目[編集]