ラトビア
ラトビア共和国(ラトビアきょうわこく、英語: Latvia)とは、ヨーロッパの北東部に位置する国家である。政体は共和制。国土面積は6万5000平方キロ(日本の北海道の8.3割)。人口は2011年の時点で220万5000人。人口密度は34.1人/㎢。首都はリガ。国名の由来は先住民のラトビア人の名にちなんだもので、語義は古ノルマン語の「lette(砂地を意味する)」が転訛したものと言われている。
概要[編集]
ラトビアの国旗は、赤茶色・白・赤茶色の二色旗。
歴史[編集]
12世紀にこの地域にラトビア公国が建国された。13世紀になるとドイツ騎士団の支配下に入る。その後、その地理的要件からロシア、ポーランド、スウェーデンなどの周辺強国による草刈り場と化した。1721年、ロシア皇帝のピョートル1世によって支配下に置かれてロシア領となる。ロシア革命によってロシア帝国が倒れた後の1920年、ラトビアは独立を果たした。ところが、1940年に当時のソ連の指導者・ヨシフ・スターリンがナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーと結んだ独ソの密約に基づいて、第2次世界大戦中にソ連によって併呑されてしまう。
その後はソ連の構成国のひとつとして、経済的には工業化を果たして発展を遂げたが、次第にソ連からの独立を求める声が上がりだした。これは1980年代後半に入るとピーク状態となり、1990年にはソ連からの独立回復を宣言する。1991年9月6日、ソ連においてクーデター騒動が勃発したのを好機と見て即時に独立を宣言し、主権国家として世界からも承認された。そして独立からわずか11日後の9月17日に国連に加盟した。
1994年にはロシアが駐留させていた軍隊20万を完全に撤退させる。1999年にラトビアは世界貿易機関(WTO)に加盟した。2000年には行政、教育の場においてラトビア語を使用することを義務付ける国語法を制定させたが、これはロシア系の住民に猛反発を受けた。しかし、教育現場でのラトビア語の一本化は徐々に進められることになる。
2004年4月に北大西洋条約機構(NATO)に、翌5月には欧州連合(EU)に加盟した。
地理など[編集]
この国の国土の75パーセントは緩やかな波上の平原で、氷河作用による堆石の丘陵や湖沼が点在している。気候は海洋性で、年間降水量は600ミリ前後であるが、蒸発量が少ないため湿地帯が多い。
首都・リガの年平均気温は6.2度で、最高気温が7月の17.9度、最低気温は1月のマイナス4度であり、年間降水量は589ミリである。
経済など[編集]
主要産業は電気、電子、車両などの製造業である。旧ソ連の時代にリトアニアと共に最も工業化の進んだ地域であり、1人当たりの年収も3000ルーブルとソ連の構成国の中では第3位の高水準を誇っていた。しかし、2008年のリーマン・ブラザーズの破綻による世界的な金融危機の影響により、この国の経済は大きく悪化。2011年の統計では失業率が17.8パーセントとEU加盟国の中ではスペインに次ぐ高さを記録している。
宗教[編集]
住民[編集]
- ラトビア人が59パーセント。
- ロシア人が28パーセント。
言語[編集]
通貨単位[編集]
国内総生産[編集]
- 1人当たり国内総生産は1万695米ドル(2010年)
国旗[編集]
関連項目[編集]
- ラトビア関係記事の一覧
- ラトビア人の一覧
- リヴォニア(リボニア、リーフラント)
- ラトビアの歴史
- クールラント
- リヴォニア帯剣騎士団
- ドイツ騎士団
- ドイツ植民(東方植民)
- プロイセン(プロシア)
- ハンザ同盟
- バルト海
- バルト帝国、スウェーデン
- バルト三国、エストニア、リトアニア
- バルト海諸国理事会
- 独ソ戦
- ロシア
- シェンゲン圏、シェンゲン協定
- ソ連崩壊
- バルト海クルーズ
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
- ラトビア政府観光局
- 地理
欧州連合加盟国 |