国家

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

国家(こっか)という日本語における言葉には、二つの意味がある。

欧米ほか外国語の訳語としての国家
他の何者にも干渉を受けない(内政不干渉[1]政治の最高組織である。領土主権国民の3要素を備えていることを特徴とする。(故に一つでも欠いていると国家でないとされる、ISILも国家として認められていない)。また、国家承認されているか否かも重要である。
日本語における「国家」
日本国という「国家」を「国体」「国家」「領土」「法制」などを含めて指す言葉。

概要[編集]

「国家」という概念は、紀元前4千年紀オリエント地方で生まれ[2]
19世紀までに、定住者のいない南極を除く地球上のほぼすべての地域がどこかの国家に所属することになった。
国家には、統治の最高責任者である元首が存在する。元首がどれほどの権限を持っているかは国家によって様々である。「君臨すれど統治せず」という国もある。
今日(こんにち)においては、「国民は家族である」「国民が飢えているならば、統治者は政治的判断が正しく行えるという範囲内において、贅食は控えねばならない」「民意を政体に反映させなければならない」という日本的な思想が広まっており、ほとんどの国家には議会が存在し、一人だけではなく、「民意を汲みとって」政治を行なう「民主主義」が広く行われている。複数の国家が加盟することによって成り立つ国際組織も存在しており、1か国だけでは解決できない問題に取り組んでいる。国家と別の国家とは国境によって隔てられており、これがしばしば紛争の種になっているが、「この人物は、わが国の国民であり、信用に足る人物であることをわが国が認めますよ」という「通行手形」であるパスポートを発行する。「うん、これなら間違いはない」と受入国が認証すると、「ビザ」が発行される。

沿革[編集]

前述のとおり、紀元前4千年紀に国家の概念が生まれ、同様な地域として南アメリカ、インド、中国、メソポタミア、エジプトで起きた。これらの国は中央集権体制で国王が絶対であり、その命令を受けた総督が各地に赴いて国王の命令を執行した。

漢字[編集]

「國」⇒「圀」・「国」という順番でできたらしい。「或」はもともと「城」だったが、形声文字として用いられたという。したがって「國」は城砦国家の意味であったらしい。「或」は「惑」にも通じるので験が悪いというので「圀」という文字が作られたが、「国家なんだから元首とか王室とか王宮とかあったほうがカッコがつくんじゃねぇ?」というので「国」になった。じつは「王」と「玉」は横画の位置で区別していたのだが、見分けがつかんのでテンをつけて「玉」という字ができたという。「王座」と「玉座」、「王将」と「玉将」のように、だいたい似たような意味で使われるのであまり気にする人はいない。
そんなわけで、東京には江戸城があって小田原には小田原城があって大阪に大阪城があるようなものである。中国の都市にも城塞都市は多かった。ただし城の中では自給自足もままならないので周辺に農地ができたり近くに港ができて港湾都市ができたり市場ができて市場流通都市ができたりして、なんとなく「こっからここまでは内の領土だからうちの法律に従ってくださいよ」というので領土とか領民とか都市条令とかができて、現代の国家の基本スタイルができた。そんなわけで、四十七都道府県はそれぞれ原始的な国家の形態を残している。

国家モデルとしてのシリア[編集]

上記のことを頭に入れると、シリアのアサド政権が崩壊したのも別の風景が見えてくるわけで、アレッポからダマスカスの間の都市部を支配していた地域を反体制派が掌握したのであって、これから親トルコ派とかクルド人とかのグループがどう折り合ってゆくのかが注目される。トルコとレバノンの間の地中海沿岸部を中心にした都市部が経済的に潤ったとして、その影響がシリア東部にどう広がってゆくか見守りたい。「腹が減っては戦ができん」し、「食足りて世は平らか」なのだから、日本が現地に進出して道路や鉄道や上下水道や医療や教育なんかのインフラを整備するとか言い出したら、トルコだって「ここで乗っからないと出遅れる」と思うし、クルド人だってトルコ在住者とか日本在住者とかシリア在住者とかも動きだすかもしれない。とりあえず日本は「人道的支援」とかいって食糧援助とかしておいたらいいかもしれない。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 傀儡国家など、干渉を受けないのが建前だけの国もある。
  2. 一万年前のトルコにはあったらしいという話があり、今上天皇陛下が訪問したという。