ウクライナ
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国旗 | |
名称 | |
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国の標語と国歌 | |
国の標語 |
Воля, злагода, добро (自由、調和、善良) |
国歌 |
Ще не вмерла Україна (ウクライナは滅びず) |
基本情報 | |
政治体制 | 共和制 |
首都 | キーウ(キエフ) |
最大都市 | キーウ(キエフ) |
公用語 | ウクライナ語 |
独立年月日 | ソビエト連邦から独立(1991年8月24日) |
人口/面積 | |
人口 | 43,467,000人[1](2021年) |
面積 | 603,500km2[1](2021年) |
水面積率 | 7% |
人口密度 | 75.5人/平方km(2021年) |
経済 | |
通貨 | フリヴニャ |
通貨コード | UAH |
コード | |
政府 | |
大統領 | ウォロディミル・ゼレンスキー(大統領) |
首相 | デニス・シュミハリ |
副首相 | オリハ・ステファニシナ |
歴史 | |
備考 | |
ウクライナ(uk:Україна(ラテン文字化:Ukraina),英:Ukraine )は、ヨーロッパの東部に位置する国である。
かつて、ソビエト連邦を構成していた国である。
概要[編集]
首都はキーウ(元の呼び名は「キエフ」)。政体は共和制。国土面積は60.4万平方キロ(日本の約1.6倍)。人口は2011年の時点で4513万5000人。人口密度は74.8人/㎢。ウクライナとは、ウクライナ語の「U(地名接頭語)krayi(辺境を意味する)na(地名接頭語)」からの造語である。
ウクライナの国旗は、横2分割の色で、上半分は明るい青(水色)、下半分は黄色。黄色は豊かな麦畑と小麦、水色は空を表す。詳細は「ウクライナ国旗」の記事を参照。
地理[編集]
東はロシア連邦、北はベラルーシ、西はポーランド、スロバキア、ハンガリー、西南はルーマニア、モルドバと国境を接しており、南は黒海に面し、トルコなどと向かい合う。
ドニプロ川下流域を中心とした国土で、大部分が平野である。小麦の生産が盛ん。西端にカルパティア山脈があり、山脈の南側にも領土があるが、山脈南側(カルパティア・ルテニア)はハンガリー盆地ということもあり、かつてはハンガリー領であった。
歴史[編集]
- 古代は東方の騎馬民族が移動して来ることが多く、5世紀にはフン族が、7,8世紀にはアヴァール族が支配した。
- 882年、ロシア建国の祖となったキエフ大公国が成立したことが、ウクライナの起源と見られている。キエフ大公国建国当時は、ロシア・ウクライナ・ベラルーシに民族的な違いも無く、同じ国であったが、王族兄弟での分割相続により小国に分裂し、これがロシア、ウクライナ、ベラルーシそれぞれの起源である。13世紀になると東からチンギス・ハーンが建国したモンゴル帝国の勢力が迫り、チンギスの3男・オゴデイが甥のバトゥを総司令官とした大西征を開始すると、東欧の大半は瞬く間にモンゴル帝国の支配下に置かれてしまう。結果的にウクライナの辺りも、バトゥのジョチ・ウルスによって支配下に置かれた。
- その後、ジョチ・ウルスが内訌などで衰退すると、ベラルーシとともに、ポーランド王国やリトアニア大公国の支配下に、クリミア半島付近はクリミア・ハン国の支配下に置かれるようになり、独立を維持したモスクワ大公国、後のロシアと別の国として歩むことになる。ポーランド・リトアニア共和国の支配下で、ウクライナではコサックと呼ばれる集団が生まれ、ベラルーシと別民族として意識される様になっていった。露土戦争でのロシアの勝利の結果、1793年からはエカチェリーナ2世のロシア帝国の支配下に置かれた。
- ロシア帝国崩壊後にはウクライナ人民共和国などが成立し、ウクライナは内戦状態となったが、1921年にボリシェヴィキ勢力であるウクライナ社会主義ソビエト共和国の勝利により終結し、ソ連の結成に参加し、1945年10月24日の国連創設の際には議席権をもって加盟した。
- 1986年、北部のチョルノービリ(チェルノブイリ)で大規模な原発事故が発生(チェルノブイリ原発事故)。この放射能汚染でベラルーシなど周辺諸国にも甚大な被害を及ぼすことになった。1991年8月、ソ連で8月クーデターが起こった直後に独立を宣言し、12月のソ連解体による独立国家共同体(CIS)の結成に参加した。ただし、CIS憲章には未承認で、厳密にはオブザーバーの資格である。1996年に核弾頭ミサイルをロシアへ移送し、非核保有国となった。
- ただ、このウクライナとは地理的、歴史的にロシアの弟分のように生きてきた国家であり、そのためキエフ大公国の時代からロシア人の故郷であるように見られることも多い。ソ連崩壊後は国内の政情、経済は非常に不安定で人口動態も低迷している。その上、ウクライナ独立後に成立した長期政権であるレオニード・クチマの時代に行なわれた強権支配で、政治的な腐敗が進んで社会構造も不安定化。2004年のウクライナ大統領選挙では不正が表面化して大混乱となり、やり直し選挙が行なわれて、親欧米・改革派のヴィクトル・ユシチェンコが当選し、これによりクチマ長期政権は終わりを告げた(オレンジ革命)。ユシチェンコは欧州連合(EU)加盟を目指す動きに入るも、ウクライナの政情は内訌が続いて民心は離れ、2010年2月の大統領選挙では親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチが当選した。
- その後も政情は安定せず、オレクサンドル・トゥルチノフ(大統領代行)、ペトロ・ポロシェンコと大統領がめまぐるしく交代し、2022年3月現在はウォロディミル・ゼレンスキーが大統領である。2022年2月24日以降、ロシアとウクライナは戦争状態となっている。
主要な出来事[編集]
- 1932年~1933年 - ウクライナ大飢饉(ホロドモール)
- 1991年8月24日 - 独立
- 2014年3月18日 - ロシアによるクリミアの併合
- 2022年2月24日 - 2022年のウクライナ軍事侵攻
地域[編集]
24個の州に分かれる。
- なお、ガリツィア(リヴィウ州など)はポーランド・リトアニア共和国→(ポーランド分割)→オーストリア帝国/オーストリア・ハンガリー帝国→(第一次世界大戦)→西ウクライナ人民共和国->ポーランド第二共和国→(第二次世界大戦)→ソビエト連邦→ウクライナ共和国。カルパティア・ルテニア(ザカルパッチャ州)はオーストリア帝国->(アウスグライヒ)->オーストリア・ハンガリー帝国→(第一次世界大戦)→チェコスロバキア共和国→カルパト・ウクライナ->ハンガリー王国->(第二次世界大戦)→ソビエト連邦→ウクライナ共和国という変遷でウクライナに併合された。
- 国の東半分は、露土戦争の結果、オスマン帝国からロシアに割譲された地域が中心で、元々人口が少なかった土地が「新ロシア」と呼ばれて多くのロシア人が入植した地域である。そのため、ロシア人としての意識を持つ人が多い。
主な都市[編集]
なお、一部はウクライナ語読みで表す。
題材作品[編集]
映画[編集]
- 『ウクライナ・クライシス』
- ウクライナの内戦を描いた作品。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b “Ukraine - UNData”. 2025年2月12日確認。
関連項目[編集]
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