ヨシフ・スターリン

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ヨシフ・スターリン(ロシア語: Иосиф Сталин、英語: Joseph Stalin)は、ソビエト連邦の第2代最高指導者。1924年のウラジーミル・レーニンの死後、30年近くに渡りソビエト連邦の最高指導者を務めた。ソビエト連邦及び共産主義を象徴する人物である。冷酷な独裁者であり、ナチス・ドイツアドルフ・ヒトラー中華人民共和国毛沢東とともに世界3大独裁者・大量殺戮者の1人とされ、その筆頭格でもある。

出自、権力の掌握[編集]

1879年、グルジアで靴職人の家に生まれる。本名Иосиф В Джугашвли(ヨシフ・B・ジュガシヴィリ)。神学校に入学したが、在学中にマルクス主義に接近、退学処分になる。1912年からは、共産党機関紙の編集を担当した。二月革命後は政権内で重要な役職に就き、影響力を強めた。1922年、党書記長に就任。1924年にレーニンが没した後には五か年計画による工業化を推進する一方、トロツキーをはじめとする政敵を排除、権力基盤を固めた。1934年以降、所謂「大粛清」を行いつつも、1936年にソビエト憲法を制定した。

第2次世界大戦[編集]

領土拡大という利害の一致したヒトラーと共に独ソ不可侵条約を結び、日本とも日ソ不可侵条約を結んだ。

ヒトラーに裏切られ、独ソ戦が開始された(バルバロッサ作戦)。1941年11月、モスクワにドイツ軍が間近に迫る中、スターリンは周囲の反対を押し切ってモスクワにおいて革命記念日の軍事パレードを盛大に執り行い、兵士らの士気を高め国民の結束をよびかける演説を行ったことは語り草となった。パレードに参加した兵士はそのまま最前線に送られ、冬将軍の到来もありそれまで快進撃を続けていたドイツ軍は木端微塵に殲滅されることとなる。

その後、1942年にスターリンの出身地であるグルジアに近く1925年よりスターリンの名前を冠していた都市スターリングラードにおいて、同都市の占領を目論むドイツ軍とソ連軍との間でスターリングラードの戦いが勃発。この戦いでヒトラーのあまりの無能さ・無茶な命令発動により60万人ものドイツ軍が戦死、ドイツは敗北した。一方で、ソ連軍も同程度の戦死者を出したとされる。スターリンによる軍人の粛清もあり弱体化していたソ連軍もこのころには力を盛り返し、圧倒的な戦力差をもってドイツを降伏させた。その後はアメリカ合衆国と対立し、全面核戦争に備えソビエト連邦の核開発を推し進めた。

死去[編集]

1953年3月5日、死去。満74歳没。晩年の人間不信の進んだスターリンは自分の医者まで粛清(銃殺)していたため、自分を治療する者がおらずそのため死を早まらせてしまったとも言える。

スターリンの死の5ヶ月前にウラジーミル・プーチンが生まれている。

死後、2年程度は集団指導体制と権力争いが続けられたが、1955年にはニキータ・フルシチョフが権力を掌握、スターリンの事実上の後継者となった。フルシチョフはスターリン批判を行った。1961年、レーニンと同じようにミイラ化され保管されていたスターリンの遺体は燃やされ、埋葬された。

スターリンの死後11年の経った1964年、フルシチョフは失脚した。スターリンの死から僅か38年でソビエト連邦は崩壊することとなる。

動画[編集]

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