モルドバ
モルドバ共和国(モルドバきょうわこく、Moldova)は、東ヨーロッパの共和制国家。ウクライナとルーマニアに挟まれた内陸国である。国土面積は3.4万平方キロ(日本の九州の約9割)。人口は2011年の時点で431万4000人。首都はキシナウ(元の呼び名は「キシニョフ」)。人口密度は127.5/㎢。国名の由来はルーマニア東部を縦に流れるモルドバ川の流域名に由来するとされ、その意味はスラブ語のMol(黒い)Dunav(川)である。
概要[編集]
中世には遊牧民が支配していた。5世紀にはフン、7世紀にはアヴァール、9世紀にはブルガール、11世紀にはペチェネグ、12世紀にはクマン、13・14世紀にはモンゴルと、いずれも大陸系の遊牧国家がモルドバを領有していた。
1359年にモルダビア公国が成立するも、16世紀になるとオスマン・トルコによって支配された。しかしオスマン・トルコが次第に衰微し、ロシア・トルコ戦争にオスマン・トルコが敗れると、1812年に東半分をロシアが支配することになる。1918年にこの東側はルーマニアに返還されるが、1939年から開始された第2次世界大戦による1940年の独ソ不可侵条約の協定に基づいて、ヨシフ・スターリンによって強制的にソ連に併合された。そのため、ロシアへの反感、ルーマニアへの帰属意識が非常に強く、民族的にはモルドバ人はルーマニア人とほぼ同一であり、所属する国家の違いから「モルドバ人」と呼ばれるに過ぎない。以後はソ連の1構成国として歩んだが、1990年に主権宣言を採択してモルダビアからモルドバに国名を変更する。そして1991年8月27日にソ連からの独立を宣言した。
1992年3月2日に国連に加盟するも、主権宣言を機に国内において少数民族の動揺が発生し、南部のトルコ系ガガウズ人はガガウズ共和国を、東部のドニエストル川沿岸のロシア系住民は沿ドニエストル共和国(トランスニストリア共和国)を相次いで樹立し、モルドバからの分離独立を宣言したため、内戦に陥ってしまう。1992年になって停戦に合意し、1994年に独立国家共同体(CIS)に正式に加盟し、新憲法の下でロシア系とガガウズ人など少数民族の特別自治制度が承認された。
2001年に議会選挙でモルドバ共産党が過半数を獲得して圧勝すると、CIS初となる共産党政権が復活し、大統領にはウラジーミル・ヴォローニンが就任したが2009年に辞任。その後は2012年から親欧米派のニコラエ・ティモフティ、2016年から親ロシア派のイゴール・ドドンが大統領となるなど紆余曲折があったが、2020年からは親欧米派のマイア・サンドゥが大統領となっっている。
沿ドニエストル共和国は国連未承認国家であり、モルドバの実効支配が及んでいないが国際法上はモルドバの領土である。
経済[編集]
独立前から既に内戦の兆しがあり、内戦により経済は低迷し、そのためにヨーロッパでも最貧国のひとつに数えられている。農業を中心としており、ワインを最大の輸出品としているが、経済の低迷から国外への出稼ぎに向かう労働者が多い。エネルギー資源においてはほぼ完全にロシアに依存しているため、ロシアの従属国のような立場にもある。
気候[編集]
この国の領土の大半は標高200メートル以下の波状の丘陵であり、東をドニエストル川が、西をプルート川が貫通している。海洋性気候から大陸性気候への移行帯にあたり、寒暑の差が非常に激しい国である。
首都・キシニョフの1年の平均気温は9.2度。最高気温は7月の21.2度。最低気温は1月のマイナス3.6度で、年間降水量は471ミリである。
言語[編集]
2013年の憲法改正により、公用語はモルドバ語からルーマニア語へ変更された。「モルドバ語」と呼ばれるものはソ連支配下の政治的事情からルーマニア語をロシア語で用いるキリル文字で表記し、そこにロシア語由来の語彙が加わったものであり、本質的にはルーマニア語である。その他ロシア語、ガガウズ語、ウクライナ語の話者がいる。
民族[編集]
宗教[編集]
交通[編集]
首都キシナウに空港がある。
鉄道も数路線あり、ルーマニア、ウクライナの双方へ直通列車が運行している。全線非電化。
出身者[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
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