ブルンジ共和国

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国旗

ブルンジ共和国(ブルンジきょうわこく)とは、東アフリカ内陸国である。首都ブジュンブラ政体共和制。国土面積は2万8000平方キロ(日本四国の約1.5倍ほど)。人口2011年の時点で1021万6000人。人口密度は367.1人/㎢。ブルンジとはバンツー語の「Bu(国を意味する接頭語)Rundi(ルンディ族を意味する)」が由来するとされており、ルンディの語義は「ふくらはぎの人々」という。

概要[編集]

歴史[編集]

16世紀にツチ族がブルンジ王国を建国したのが、この国の起源である。1880年ドイツ帝国によって支配下に置かれ、1885年ルワンダタンガニーカと共にドイツ領東アフリカに編入された。

1918年第1次世界大戦によってドイツ帝国が敗戦、さらにドイツ革命により崩壊すると、ブルンジはルワンダと共にベルギー委任統治領になった。後に同国の信託統治領となる。1962年7月1日にブルンジ王国が再度独立を果たし、同年9月18日には国連に加盟するなど、独立国としてようやく軌道に乗り出したのも束の間、わずか4年後の1966年に軍事クーデターが勃発して共和制に移行することになった。

そして、この国は独立以前の複雑な経緯から、ルワンダと同じように多数派の農耕民族であるフツ族と、少数派支配層の牧畜民族であるツチ族による抗争が、独立後も続けられた。1972年にはフツ族15万人が大虐殺される事件が発生している。16年後の1988年、今度はツチ族兵士によるフツ族2万4000人に及ぶ無差別の虐殺が断行された。この事件により6万人以上が難民になってルワンダに避難する事態にまで陥っている。

このような事態を受けて、1992年には多元主義に基づく新憲法を制定して複数政党制に移行する。そして1993年には初の民主選挙が行われて、フツ系の大統領であるメルシオル・ンダダイエが選出されることになった。ところが、ブルンジの軍隊は相変わらずツチ族が掌握していたことから、同年にツチ族の反乱が発生してメルシオル・ンダダイエは暗殺されてしまった。この事件の翌年である1994年にはルワンダ内戦が発生し、それによって難民が今度はブルンジに流入する事態になり、ブルンジでは難民にツチ族、フツ族によるブルンジ内戦がスタートすることになった。この内戦は激化して断続的な武力衝突が繰り返され、多くの血が流れて惨事を極めた。記録によると1996年までにおよそ10万人が殺され、1か月に平均で1000人が殺されていた(つまり1日に30人は殺されていた計算になる)と見られるなど、ブルンジ全土は地獄と化した。

2000年、この内戦に対してようやく和平協定が成立、調印された。2001年には暫定政権が成立。2003年にはフツ系の大統領・ドミシアン・ンダイゼイエが今度は平和裏に誕生して政権交代が成されている。

地理[編集]

国土の大半が標高1500メートルを超える高原上にある東アフリカの内陸国で、アフリカ大陸部ではルワンダに次ぐ人口密集国である。1500メートルの高原上に位置することから「1001の丘のある国」「アフリカのスイス」と称されている。気候は熱帯雨林から高山気候まで多様であり、赤道直下にありながら高度のため温暖でしのぎやすい。

首都・ブジュンブラの年平均気温は23.2度で、最高気温が9月の24度、最低気温は7月の22.5度であり、年間降水量は832ミリである。

経済[編集]

この国はコーヒー綿花などを産する典型的な農業国。農業就業率は93パーセントの高水準で堂々の世界一を誇る。ただし、独立以前から以後にかけての長期にわたる政治不安、内戦によって国土は荒廃しており、内戦の後遺症は根深く経済回復には程遠いとされている。1人当たりの国内総生産(GDP)規模でも世界の最貧国クラスである。

住民[編集]

  • バンツー系フツ族が85パーセント。
  • バンツー系ツチ人が14パーセント。

言語[編集]

宗教[編集]

通貨単位[編集]

国内総生産[編集]

  • 1人当たり国内総生産は180米ドル(2010年

外部リンク[編集]