ソビエト連邦

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ソビエト社会主義共和国連邦
Union of Soviet Socialist Republics
ソビエト連邦国旗.png
国旗
首都モスクワ
公用語ロシア語
建国1922年12月30日
解体1991年12月26日
通貨ソビエト連邦・ルーブル(SUR)
国歌ソビエト社会主義共和国連邦の国歌(時代に合わせ変化あり)

ソビエト連邦(ソビエトれんぽう、: Union of Soviet Socialist Republics、USSR)は、かつてユーラシア大陸北部に存在した社会主義国。正式名称はソビエト社会主義共和国連邦、略称はソ連

概要[編集]

ロシアウクライナベラルーシモルドバ、西アジアの一部(コーカサス)、中央アジアおよび北アジア(カザフスタンシベリア)、そしてバルト三国(第二次世界大戦中の1940年に併合)がソ連の領域だった。1917年ロシア革命によって生まれ、1922年12月30日ロシア白ロシアウクライナザカフカスの4共和国でソビエト社会主義共和国連邦の樹立を宣言し、成立した世界最初の社会主義国である。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国をはじめとする15の社会主義共和国で構成された。首都はモスクワ。世界最大の国土面積で人口は世界第3位。資本主義国アメリカ合衆国と並ぶ超大国であったが、1989~91年に東欧中欧民主化革命が起きた煽りを受けて冷戦を経て70年足らずで解体した。解体後はロシアベラルーシ等が独立し、独立国家共同体(CIS諸国、NIS諸国)を創設し、全部で15の国に別れている。ソ連から独立した国々のうち、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国は、独立国家共同体には加わらず、完全にヨーロッパの範囲の国になった。

冷戦中の時点では、ルーマニアハンガリーチェコスロバキアポーランドスウェーデン(海上)、フィンランドノルウェーカナダ(海上)、米国(海上)、日本(海上)、北朝鮮中国モンゴルアフガニスタンイラントルコと数多くの国に接していた。

ソビエト連邦は、ヨーロッパとアジアの2つにまたがる地理区域を統合させて建国されていた。

歴史[編集]

第二次世界大戦まで[編集]

前身はロシア帝国第一次世界大戦での相次ぐ敗戦と戦争の長期化により国民生活が逼迫。日に日に不満が溜まってゆく状況だった。1917年3月の二月革命で帝政が打倒され、ケレンスキーを首脳とするブルジョワ民主主義の立場に立つ臨時政府が形成された。しかし、欧米との協調を図りたい臨時政府は戦争を継続、更に中央同盟国への大攻勢(ケレンスキー攻勢)を行ったが、ことごとく失敗。同年11月の十月革命ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが臨時政府を打倒し、ソビエト政権を樹立した。1918年7月にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が成立し、反革命派との内戦の末、1922年12月30日にロシア・ザカフカスウクライナベラルーシの各共和国がソビエト社会主義共和国連邦を結成した。 ボリシェヴィキは1918年にロシア共産党、1925年に全連邦共産党、1952年にソビエト連邦共産党と改称され、一党独裁体制を築いた。

第二次世界大戦後[編集]

第二次世界大戦では大きな被害を受け、戦死者は世界一であった。スターリングラードレニングラードでは悲惨な攻防戦包囲戦があった。戦後、武装宣言を行い、アメリカ合衆国に先駆けて人工衛星を打ち上げ人類を宇宙に送った1979年アフガニスタン侵攻によって1980年モスクワオリンピックがボイコットされ、それに対抗して1984年ロサンゼルスオリンピックをボイコットした。 1986年チェルノブイリ原子力発電所事故ミハイル・ゴルバチョフ書記長主導のペレストロイカグラスノスチを経て、9月クーデターが起き、これによって1991年12月に解体した。

後身[編集]

経済[編集]

1929年全世界で大規模な不況が発生し列強の経済が軒並み落ち込む中、外国と貿易をほとんど行っていなかったソ連は我関せずと言わんばかりに発展を遂げ、世界2位の経済大国となり、1989年に日本に抜かれるまでその地位にあった。その後ロシアとなり10位ほどまで下がる。2010年以降はアメリカ1位と中国2位でソ連に代わり資本主義社会主義の対立となる。

計画経済なる価格や供給量は全てソ連政府が設定するという特殊なシステムを採用していた為、全期間を通して慢性的な品不足が生じることとなった。

ヨシフ・スターリンの推し進めた重工業化により主に軍需産業が発展する[1]も、民生品などの軽工業は軽視され、民衆の生活は貧しかった。60年代になると生活水準は次第に改善していった。質素ではあるが食生活に困ることはなかった。

共産主義思想は競争を否定的に捉えており、技術が余り進歩しなかったので、アメリカからは「ソ連製の商品は安かろう悪かろう」と評される事が多かった。

余談[編集]

  • 南極大陸で氷点下89.2度の世界最低気温を観測した基地は本国である。
  • スポーツ分野でもステート・アマ制を導入し、社会主義国家の特色が出ている。とりわけオリンピックに力を入れており、宿敵のアメリカと激しいメダル争いを繰り広げていた。
    • ただし、ソ連崩壊後は(他の東側諸国も含めて)ドーピング問題も浮き彫りになった。

旅行[編集]

外国人[編集]

北朝鮮と同様に、外国人の旅行は高額でソ連の国営旅行社に手配してもらう必要があり、旅行中はガイドが付く[2]

ソ連国民[編集]

ソ連の国民が外国に旅行に行くことは社会主義国に限り許可される場合があった。それ以外は禁止されていた。

娯楽[編集]

音楽に関しては、プロの音楽家を目指すものは「VIA(ВИА, Vokalno-instrumentalny ansambl=Vocal and Instrumental Ansemble)」への参加が義務付けられていた。音源はメロディヤしかなかった。だが、皆国立の音楽養成所を出ていたのでテクニックだけはすごかったという[3]

音楽[編集]

ドラマ[編集]

ソ連風子供向けSFドラマ 内容が実現するかはプーチンの勝利次第である

アニメ[編集]

歴代最高指導者[編集]

レーニン系の頭髪の少ない指導者と、スターリン系の頭髪の多い(ただし白髪)指導者が交互に現れた。これを「つるふさの法則」あるいは「ハゲ・白髪の法則」と呼ぶ。

国旗[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]