ボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia・Hercegovina)とは、バルカン半島の北西部に位置する国家。政体は共和制。国土面積は5万1000平方キロ(日本の九州の1.4倍)。人口は2011年の時点で462万2000人。人口密度は90.3人/㎢。首都はサラエボ。
概要[編集]
名称[編集]
国名の由来は北部のボスニア地方と南部のヘルツェゴビナ地方の合成語によるものである。国土の中央を縦貫するディナルアルプス山脈を境に、北側のドナウ川流域がボスニア、南側のアドリア海沿岸がヘルツェゴビナである。ボスニアとは北部を縦貫する「ボスナ(清い流れを意味する)川」の国という意味のラテン語であり、ヘルツェゴビナとは15世紀頃にこの地に統一された国家を「ヘルツェグ(軍司令官の領地を意味する)」と呼んだことから名付けられたという。
歴史[編集]
紀元前2世紀頃よりローマの版図に入る。以降、8世紀頃まで、帝政ローマ・ビザンツ帝国が支配した。9世紀から11世紀頃までクロアチア王国領であった。その後ハンガリー王国の支配下になる。
12世紀後半にセルビア王国が成立し、一時支配を受けていたが、1250年からハンガリー王国に支配される。14世紀後半~15世紀にかけてはボスニア王国として独立していたが、1482年にはオスマン朝によって征服され、その400年にわたる支配下において先住民の多くはイスラム教に改宗せざるを得なくなった。1878年に露土戦争に敗れたオスマン朝の支配下を脱し、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下に入る。1908年には同帝国に併合されることになった。ところが、これに不満を抱いた同地の過激派によって1914年にオーストリア皇太子・フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステが暗殺される事件が勃発する。いわゆるサラエボ事件であり、これを契機として第1次世界大戦が勃発する。この大戦でオーストリア・ハンガリー帝国は敗れて解体し、この地はセルブ・クロアート・スロベーン王国の一領域となった。
1945年にユーゴスラビア連邦を構成する1共和国として発足し、その後は次第に民族の対立構造が先鋭化していくことになる。1991年に国家としての主権を宣言し、1992年3月3日にはセルビア住民がボイコットする中で国民投票を強行して、ユーゴスラビア連邦からの離脱を宣言して独立した。同年4月にはヨーロッパ共同体(EU)が独立を承認し、それにより5月22日には国連に加盟して、以降は多数派であるモスレム人主導の国家体制づくりに着手する。だが、これに反対するセルビア系住民がセルビア軍の支援を得てボスニア全土で本格的な内戦を開始した。しかもこれを機にボスニアでの権益拡大を狙うクロアチアの介入も受けて、この国は建国早々にセルビア・モスレム・クロアチアの3勢力による領土分捕り合戦になる。この内戦は第2次世界大戦以降においては最悪と言われる熾烈な内戦になってしまい、「ユーゴスラビアの中のバルカン」とまで呼ばれることになる。内戦は拡大して激化し、セルビア系住民はエスニック・クレンジング(民族浄化を意味する)などによってモスレム人やクロアチア人の民族を一掃しようと図る強硬策に出る始末で、一時は国連軍の本格的な介入も検討されていたのだが、1995年にアメリカ主導で泥沼状態を断ち切り、各勢力は停戦に合意することになる。この結果、モスレム人とクロアチア人で作るボスニア連邦と、セルビア人だけで作るスルプスカ(セルビア人を意味する)共和国の準国家からなる1国家2政府という変則的な国家制度を維持することで、和平協定への調印が成立した。この3年半に及んだボスニア内戦で、25万人が犠牲になり、国外難民はおよそ70万人を含む280万人が難民化したといわれている。この内戦の原因は、もともとこの地域にイスラム教とキリスト教の宗教対立に、セルビア系とトルコ人、アルバニア人などの混血が入り混じった民族的憎悪によるところが大きい。現在ではモスレム人はボスニャクと呼ばれているが、このボスニャクという言葉にしても、そしてボスニア語も国民国家の定義に沿って作り上げられた概念に過ぎず、実態はセルビア文化とほとんど変わりが無い状態である。
1996年に史上初となる統一選挙が実施され、2000年には新ユーゴスラビアと外交関係を樹立している。
地理など[編集]
この国は内陸国に見えがちだが、実はアドリア海に面した海岸線が10キロ足らずだが存在しているので内陸国ではない(ほとんど内陸国同然とも言えるが)。この国の中部・南部は石灰岩質の山地で不毛な土地が多く、平地は北部のサバ川流域にわずかに見られるのみである。海洋性から大陸性への移行帯に当たる気候で、冬季はやや寒冷である。
首都・サラエボの年平均気温は9.7度で、最高気温が7月の18.7度、最低気温は1月のマイナス1.3度であり、年間降水量は1104ミリである。
最高峰は、モンテネグロとの国境にある、標高2,386mのマグリチ山。
経済など[編集]
3年半にわたる内戦の傷跡は現在でも色濃く、産業施設は破壊され、経済も十分に再建されているとは言えず、国際社会からの援助に依存している状態である。鉄鉱や亜鉛などの鉱物資源がそこそこ採掘できる状態である。
宗教[編集]
住民[編集]
言語[編集]
上記3言語は、方言程度の違いしか無く、お互いの意思疎通は十分可能である。この3言語を総称してセルビア・クロアチア語とも呼ばれる。日本語に例えると標準語、名古屋弁、大阪弁ぐらいのイメージに近い。
通貨単位[編集]
国内総生産[編集]
- 1人当たり国内総生産は4319米ドル(2010年)
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
- 観光
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