ルワンダ
ルワンダ共和国(ルワンダきょうわこく、Rwanda(RW))とは、アフリカ東部に位置する内陸国である。首都はキガリ。政体は共和制。国土面積は2万6000平方キロ(日本の四国の約1.4倍ほど)。人口は2011年の時点で1137万人。人口密度は431.7人/㎢。ルワンダとはバンツー語の「R(土地や領域を意味する接頭語)wanda(人々を意味する)」から由来している。
概要[編集]
歴史[編集]
15世紀にツチ族によるルワンダ王国が成立して存続していたが、1880年にドイツ帝国によって支配下に置かれる。そして1885年にブルンジ、タンガニーカと共にドイツ領東アフリカの一部として編成された。
1918年にドイツ帝国が第1次世界大戦で敗戦し、さらにドイツ革命によって同帝国が倒れると、ルワンダは1923年にベルギーによる委任統治領となった。1961年に王政を廃止して共和制を採択し、1962年7月1日に共和国として独立を果たした。同年9月18日に国連に加盟する。
しかし、この国は独立以前から多数派の農耕民族であるフツ族と、少数派の遊牧民族であるツチ族の流血の民族抗争が続けられており、多くの難民がそれによって生まれる事態に陥っていた。1973年、フツ族のジュベナール・ハビャリマナによる無血クーデターが成功する(ルワンダ・クーデター)。ハビャリマナは5年後の1978年に大統領に就任すると、フツ族とツチ族の融和政策を採用して何とか民族抗争を鎮めようとした。1991年に複数政党制の導入と、三権分立を基本にした新憲法が成立した。
こうして独立後の紛争が収まって軌道に乗り出していたルワンダだったが、この間にツチ族系による反政府組織であるルワンダ愛国戦線(RPF)がルワンダの各地で武装蜂起を行なって、民族紛争の怨念が再発してしまう。その上、1994年4月に紛争を抑えようとしていたハビャリマナが飛行機に搭乗している際にミサイル攻撃を受けて撃墜されて死亡するという事件まで発生(ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件)。ハビャリマナの暗殺という事態により、それまで何とか抑えられていた民族紛争のストッパーが完全に無くなってしまい、同年にはフツ族強硬派がツチ族とフツ族穏健派をまとめて襲撃して虐殺するという大事件まで勃発した(ルワンダ虐殺)。この大虐殺でおよそ107万人が殺されたものと見られている。さらに、この虐殺は隣国のブルンジ、タンザニア、ザイール(コンゴ)を巻き込んで合計220万人の難民を発生させる事態にまで陥った(ルワンダ難民)。そして大統領暗殺からわずか3か月後の7月、ルワンダ愛国戦線がルワンダ全土を制圧し、新政府が発足した。
なお、内戦の原因となったツチ族とフツ族であるが、民族起源は同じであり単に階級差による社会的呼称に過ぎないとの説が近年の研究では有力視されているという。
しかし新政府は内戦を抑えることができずに断続的に流血事件が続いた。2000年、ポール・カガメ政権が発足すると、治安は大幅に回復された。2003年に新憲法が制定され、女性の国会議員比率を3割以上とするように規定した。このため、女性の国会議員が56.3パーセント(2010年統計による。ちなみに日本の同年統計は10.5パーセント)と世界一高い女性比率を誇っている。2009年11月にイギリス連邦に加盟した。
地理[編集]
起伏に富んだ国土で「千の丘の国」と呼ばれている。平均高度は1600メートルで、高原に開けるために気候は常春に近く、温暖でしのぎやすい。
首都・キガリの年平均気温は20.4度で、最高気温が8月の21.6度、最低気温は11月の19.6度であり、年間降水量は1066ミリである。
人口密度はアフリカで随一を誇る。
経済など[編集]
主要産業はコーヒー、紅茶、トウモロコシ、米などの農産物であり、典型的な農業国である。内戦の傷跡がまだまだ深く残っているものの、内戦によって国外に脱出していたルワンダ難民およそ200万人が国外で習得した技術や能力が、内戦終結後の本土帰国によってそれが役立つという皮肉な結果を生んだ。これにより「アフリカの奇跡」とまで言われるほどの近代化がルワンダでは進行している。
宗教[編集]
- キリスト教が93パーセント。
住民[編集]
- バンツー系フツ族が84パーセント。
- バンツー系ツチ族が15パーセント。
言語[編集]
通貨単位[編集]
- ルワンダ・フラン(Rwanda・Franc)
国内総生産[編集]
- 1人当たり国内総生産は562米ドル(2010年)
関連項目[編集]
- 平和維持活動
- ルワンダ国際刑事裁判所
- ルワンダ (小惑星)(ルワンダに因んで命名された小惑星)
- 服部正也(1965年から1971年まで中央銀行総裁をつとめる)
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
- 民間