ハイチ共和国

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ハイチ共和国(ハイチきょうわこく、Repiblik of Haïti)とは、中米中部、西インド諸島イスパニョーラ島西側の3分の1を占める山がちな国家である。首都ポルトープランス。国土の面積は2.8万平方キロ(2万7700平方キロとも)で日本四国の約1.5倍。ハイチとはの多い土地を意味する。

概要[編集]

1492年クリストファー・コロンブスが来航したことを契機にスペインの領土となる。1697年フランスに割譲され、アフリカから黒人奴隷およそ50万人が移入された。しかしフランスの統治に反発した黒人奴隷の反乱を契機にした暴動により、1804年1月1日、中南米では初めて、世界では初めてアフリカ系黒人による近代国家として独立を果たした。1822年ドミニカを併合したが、1844年に再度分離している。

1915年からアメリカが債務不履行と自国民保護を理由にして、1934年までの19年間にわたって軍事介入して占領する。1945年9月27日、国連に加盟した。

1957年からはフランソワ・デュヴァリエジャン=クロード・デュヴァリエの父子が独裁的な恐怖政治を展開し、トントン・マクートという秘密警察を常設して強権的な独裁政治を続けてきたが、1986年にその反動による大暴動が起こってこの政権は崩壊し、1987年国民投票が行なわれて民主憲法が承認された。1988年からは民政に移行したものの、それまでの独裁政治の弊害は非常に大きくて政情は安定せず混乱。1990年には国連監視下の下でハイチ初となる民主的な大統領選挙が実施されて「解放の神学」を唱える神父ジャン=ベルトラン・アリスティドが当選するも、1991年にはジャン=クロード・デュヴァリエを支持するデュヴァリエ派残党のクーデターによりアメリカに亡命した。これにより軍政に逆戻りする。

1994年、アメリカを中心とした多国籍軍の圧力など外部的な助力もあって軍事政権は崩壊し、文民政権が復活するが、ジャン=ベルトラン・アリスティドの政権は結局、経済の低迷並びに黒人至上主義という悪循環から抜け出すことができずに国政改革に失敗し、2004年には反政府の大暴動が発生して政権は崩壊した。2010年1月にはマグニチュード7.0のハイチ地震が発生して首都を中心にインフラ機能が壊滅的な被害を受け、死者も23万人を超える大惨事となり、ただでさえ経済が低迷しているハイチの経済がさらに大打撃を受けることになった。

人口[編集]

2002年の時点での人口は811万1000人。2011年時点の人口は972万人である。

アフリカ以上にアフリカ的な国とされ、黒人奴隷の歴史と土俗的な信仰が結びついて生贄を捧げる呪術的信仰色の濃いブードゥー教をはじめ、悪霊伝説のゾンビ、素朴なナイーブアート、民族音楽のコンパ、ブードゥー音楽や伝統音楽をポップス調にしたミュージック・ラシーンといった独自の文化が花開いている。

地理[編集]

西インド諸島のイスパニョーラ島西側の3分の1を占める山がちな国家であり、貿易風の影響でしのぎやすいが、熱帯性低気圧ハリケーンの通り道となっている。

経済[編集]

長期に渡る独裁政権や土地の生産効率の低さなどから、西半球における最貧国と知られ、貧困や独裁政治を嫌って1991年以降におよそ4万人のボートピープルがアメリカなどに流出している。なお、初等教育の就学率は2005年の時点で26パーセントとアフリカの最貧国より低いワースト1位である。

ハイチの通貨単位はGourde(グールド)である。1人当たりの国内総生産は2010年の時点で673米ドルである。

宗教[編集]

キリスト教カトリックが71パーセント、プロテスタントが17パーセントである。

住民[編集]

  • アフリカ系黒人が95パーセント。
  • ムラート(白人と黒人の混血)が5パーセント。

言語[編集]

外部リンク[編集]