深見東州
深見 東州 ふかみ とうしゅう | |||||||||||||||||||
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深見 東州(ふかみ とうしゅう、本名:半田 晴久(はんだ はるひさ)1951年3月18日 - )は神道系新宗教団体「ワールドメイト」教祖。
他に芸術家[9][10]、福祉活動家[11]、実業家[12][13]、宗教家[13]、フィランソロピスト(慈善活動家)[14]、評論家[11]。歌手[15]、オペラ歌手[10][14]、画家[10][14]、書家[10][14]、能楽師[14]、詩人[10][14]、作曲家[14]などとして、幅広い活動をしている[16][11]。
深見東州(ふかみ とうしゅう)という通名を使用して、芸術活動や宗教活動を行う。一方、公益活動や実業家として、また学術活動や評論活動を行う際は、本名の半田晴久(はんだ はるひさ)で活動している。また、劇団団長や小説家、詩人等の文芸活動を行う際は、戸渡阿見(とと あみ)というペンネームを使用している。ほか、上記のあらゆる活動を行う人物として、レオナルドTOSHU(レオナルドとうしゅう)というペンネームをラジオパーソナリティ名やTwitterで使用している。過去には、深見青山(ふかみ せいざん)というペンネームを使用していた[17]。複数の名を使う理由は、深見によれば、「それぞれの世界で成り切るため」だという[18]。
来歴[編集]
学生時代[編集]
1951年、兵庫県西宮市で生まれる[19]。生家は代々酒樽製造業を営んでおり、最盛期には灘五郷の酒蔵の酒樽作りを一手に引き受けていた日本一の酒樽屋だった[20]。子どもの頃は、昆虫や魚を追いかけて外を駆け回り[19]、テレビアニメや漫画に夢中で、いつでもどこでもアニメ主題歌を大きな声で歌っていた[21]。これについて深見は「心と魂の一番深い部分にある、音楽のルーツこそが、昭和のアニメソングとテレビ主題歌である」と述べている[21]。1962年、10歳の頃から近隣の世界救世教で信仰に目覚めた母より宗教心を育てられる[22]。1967年、15歳で世のため人のために生きるという人類救済の発願をする[23]。中学3年から川柳をはじめる(後述)。兵庫県立鳴尾高等学校に進学し、16歳のときに、字の綺麗なラブレターをくれた女子にふられたことをきっかけに、字が上手になりたいと書道をはじめ、田端曲全に師事し書道部部長をつとめる(後述)[24]。この頃、母の原因不明の病気治癒がきっかけで救世教から大本教へ転向し、大本の教典である『お筆先』や出口王仁三郎の著書『霊界物語』を繰り返し読み、救世教当時の疑問を解決する[25]。18歳より俳句をはじめる(後述)。
大学入学前に突然読書に目覚めて一日一冊以上読破するようになり、純文学、恋愛小説、哲学書など1000冊以上をこの時期に読む[24]。また、中学からクラシック音楽を聴くようになり、大学に入るまでに、有名なクラシックはほとんど聴き終わった[21]。同志社大学経済学部に進学すると、父と神戸大学ESSで活動した叔父の二人から半ば強制的にESSに入るように命じられ、後にESSのプレジデント(委員長)とディスカッションセクションの代表を務め400人の部員をまとめ組織改革を行う[26]。専攻は国際金融論。ゼミのテーマは「南北問題の経済援助について」。同志社大学能楽部宝生会にて、柏原仁兵衞及び辰巳孝に師事し、能をはじめる(後述)。20歳より茶道をはじめる(後述)。大学4年から森田流笛(能管)をはじめる(後述)。
同志社大キャンパスがある京都は外国人観光客が多く、在学中に日常的に英語で話しかけられたり名所巡りの指南をする場面があった[26]。そのため、日本文化を英語で論理的に説明することに興味を持ち、ESSでディベートやディスカッション、スピーチをするなかで、日本文化のアイデンティティを英語で伝達出来るようになったという[26]。ESSで英語コミュニケーション能力を培った京都での4年間が、のちの活動のベースになっていると思うと、深見は述べている[26][27]。
会社の創業、団体の設立[編集]
大和ハウス工業に就職し、営業マンとして東京に赴任する[2]。1977年に大本と提携している銀座の道院紅卍字会で根本宏に師事をし、中国の古典や様々な宗教の原典を学び、根本より任天(にんでん)の導師[注 2]となる人に違いないと評された。1978年、大和ハウス工業を退職して独立し、25歳[28]で予備校みすず学苑を設立して[2][16]、その経営母体でもある株式会社ミスズを創設する[24]。1984年、ワールドメイト(旧コスモコア[2])を設立し講演活動を始める。35歳から絵画を始めて初めて著作を執筆し[24]、1987年にたちばな出版を創業する[24]。37歳でオーストラリアのパースで会社を買収し、海外においても企業経営を始める[29]。イギリスでも、ホテルと観光会社の経営を行い、国内外で13社ほどの会社の社長をつとめる[30]。
ブラインドゴルフとの出会い[編集]
37歳でゴルフを始め、オーストラリアのパースで視覚障害者のロン・アンダーソンとともにプレーし、ブラインドゴルフを知る[31]。ロンの優れたプレーに感動し、また、ロンが底抜けに明るい性格のおかげもあり、深見らは、心のそこから楽しみ笑うなどのひとときを過ごす[31][32]。これが「スポーツの力を最初に実感した瞬間であった」と深見は述べている[31]。そして、障害を持っていても健常者とほぼ同じルールでプレーできるブラインドゴルフに、福祉の本来のあり方や人間の本来の姿を見いだし、視覚障害者のためのゴルフ組織を設立しようと決心する[31][32]。
翌年日本ブラインドゴルフ振興協会を設立し、初代会長には、かねてから「視覚障害者があらゆる障害者の中でも恵まれない環境にある」と、視覚障害者福祉の必要性を深見に述べていた松井新二郎(当時は日本盲人職能開発センター所長)が就任した。松井との出会いの後、自ら主宰するセミナーで、日本女子大教授(当時)の一番ヶ瀬康子が述べた「福祉とは障害のある方が自己実現することを手伝うことだ」という言葉に感銘を受けていた深見は、「福祉活動の原点とは、障害者に、自己実現できる場所や環境を提供すること」であるという考えに到り、ブラインドゴルフにその可能性を見いだす[33]。
日本に初めてブラインドゴルフを伝えた「日本のブラインドゴルフの父」と呼ばれている(後述)[31]。
35歳から画人、書家、茶人としての道を歩む[編集]
書家[編集]
書は、16歳より兵庫県立鳴尾高等学校書道部部長として、田端曲全に師事し[19]、その後は独学で続けていたが、35歳より竹中青虎に学び、西川寧の孫弟子となる[24]。作品「把手共行」は第67回謙慎書道会展で「秀逸」を受賞。その他の謙慎展でも、「岳」「無位真人」が「褒状」を受賞している。2001 年に「現代書家の名品」の一つとして、書作品『恕』が大英図書館に永久収蔵される。2014年に大英博物館で、現代の代表的な書家として大英博物館主催の書や水墨画の個展を開催している。個展の初日には、大英博物館のグレート・コートで、書のデモンストレーションを行った。
画人[編集]
絵画は、35歳より独学で始める。その後、仏画を浅井秀水、日本画と水彩画を犬飼得之に、油絵と西洋画を松下友紀に、水墨画を安永麦州に師事し、様々なジャンルの学びを深める。1997年に初の個展を開催し、1997年にはニューヨークソーホーのグラントギャラリーで個展を開催。2001年から毎年、誕生日の前後に1年間書きためた新作の展覧会を開催している[10]。遊美堂刊の「2000年度優秀美術作品全集」に作品2点が選ばれ、収録される。2002年9月、中国芸術研究院より、中国美術界最高称号である[34]外国人初の一級美術師称号を授与され[35][36]、アクリル画「青龍神と緋鯉」が永久所蔵される[37]。2003年10月、『日豪芸術交流祭』において、水墨画「キラキラ天の川」作品が、330人の日本の画家の中から選ばれ、「西オーストラリア州芸術文化大臣賞」「パース市長賞」「審査員最優秀賞」の3賞を同時受賞し、パース市より「名誉芸術家」の称号を授かる[38]。
2006年に 清華大学美術学院美術学学科博士課程修了、文学博士を取得する。博士論文のタイトルは、「芸術市場の流通の変遷における日中美術品から見た芸術と市場の関係」(从中日美术品在艺术市场的流通变迁看艺术与市场的关系)であり[39]、日本語の書籍としても出版されている。
茶人[編集]
20歳より裏千家流茶道を学んでおり、35歳になった際、全日本茶道会を経て江戸千家新柳派に入門した。いまや江戸千家新柳派の師範となっている。伝統的なお茶会を定期的に開催するほか、2002 年茶碗・茶杓・花器・掛け軸・畳・抹茶・菓子など、全ての道具類を自ら制作した、現代芸術と茶道を融合させた茶会を開催した[40]
40代で本格的に声楽に取り組む[編集]
子どもの頃はなんら音楽教育を受けることなく、35歳からピアノを始め、36歳からバイオリンを、38歳から作曲と和歌(岡野弘彦に師事)をはじめる(後述)[21]。40歳から本格的に声楽を学ぶことを志して歌手デビューを果たし、毎年、コンサートに出演する(後述)。そして同時に「能や茶道などはアマチュアでもできるが、オペラは素人が何年やってもできない」とも痛感する[41]。42歳よりクラシックバレエをはじめる(後述)。43歳より京劇をはじめる(後述)。音楽の勉強に励む中、奄美大島から船で5時間かけてトカラ列島で釣りをし、ムロアジを餌にして37キロのロウニンアジ等16匹の大物を釣り上げる体験をする[42]。その際に「はるばると、誰も来ないような遠くの海で、美しくて大きい感動的な魚が釣れた」ことで、「はるばる音大に行かなければ音楽理論の基礎や歌やオペラの高い領域には行けない」と感じ、44歳に音大受験を決意し、音楽理論や指揮の勉強を始める[41][42]。1997年、46歳で武蔵野音楽大学パルナソスエミネンス(特修科)声楽専攻を修了し[3]、オペラ歌手デビューを果たす(後述)。さらに翌年の1998年には47歳で、西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院(西オーストラリアパフォーミングアートアカデミー, WAAPA) に入学してオペラ等の舞台芸術を学ぶ。50歳からはオペラの主役を毎年つとめ、2002年(51歳)に西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院を修了し、創造芸術学修士[5][42][21]を取得する。修士論文は "The living artist"[43](原文は日本語[44])。
多面的な活動の展開[編集]
1994年、ロンドンのロイヤルアルバートホールでチャリティーコンサートを開催し歌手として出演する。以降、イングランドにおける福祉活動を積極的に行う (後述)。この年には年に8回のコンサートを主催して音楽活動を本格化し、指揮者としてもデビューする (後述)。
1996年、世界芸術文化振興協会 (IFAC) を設立する。東京のほかにも、ロンドン、ニューヨーク、パースにも拠点を設け、国際的な芸術活動や支援を行う (後述)。同年より、古典芸能における活動も本格化し、6月には能『猩猩』のシテ(猩猩)を舞って能楽師として舞台デビューし、能管や太鼓の生演奏CDをリリースする (後述)。同年12月、カンボジアのプノンペンにシアヌーク病院を設立する。以降、カンボジアにおける福祉活動を積極的に行う (後述)。45歳で文芸家としての活動をはじめ、詩を発表する(後述)。
1997年9月21日に初の書画展を開催し、以降毎年、書画の展覧会を開催する(後述)。同年、世界ブラインドゴルフ協会を発足させる (後述)。
1998年6月、能の宝生流嘱託免状を取得する (後述)。同年9月から、浙江大学大学院日本文化研究所客員教授をつとめ、以降、中国文化と日本文化に関わりについて実演講義を行う (後述)。
1999年に48歳で中国京劇の泰斗・王金璐(おうきんろ)、葉蓬に人民大会堂での拝師(ぱいしー)の儀を通して入門し、『西遊記』、『虹橋贈珠(こうきょうぞうしゅ)』での二郎神役で、京劇の舞台デビューを果たす。翌年に『古城の再開』の関羽役をつとめて以降、たびたび関羽役を好演。中国で「日本第一の関羽」と呼ばれている[45] (後述)。
2000年3月、中国で「春蕾小学校」130校の建設を支援し、以降、中国における福祉活動を積極的に行う (後述)。
2001年、ファッションデザイナーとしてデビューし、ファッションショーを開催する。また、オリジナルデザインの衣服や雑貨等も手がける (後述)。53歳で能の宝生流流儀の師範を取得する。以降、宝生東州会を主宰し、1600人以上の弟子が所属し、毎年全国大会を開催している (後述)。
2002年9月、中国芸術研究院より、中国美術界最高称号である[34]外国人初の一級美術師称号を授与され[35][36]、アクリル画「青龍神と緋鯉」が永久所蔵される[37] (後述)。10月には、外国人初の中国国立歌劇舞劇院の一級声楽家称号を授与され、正団員及び歌劇舞劇院海外芸術顧問をつとめる[46][47]。
2003年、国際スポーツ振興協会 (ISPS) を設立し、ブラインドゴルフやメジャーのみならずシニアやジュニアにまで裾野を広げたゴルフ大会を主催していく。世界のメジャーツアーやワールドカップ等では「ISPS Handa」「Handa」を冠した多くの大会が開催されるようになる(後述)。また、カンボジア大学を設立して同大学総長兼教授となり、新たな奨学金制度を設立してカンボジアでの教育の普及に寄与する (後述)。
2006年、清華大学美術学院美術学学科博士課程修了、同美術学院で文学博士[48][6]。浙江大学大学院中文学部博士課程修了、博士論文は「日本入宋僧研究」[49]、同大学院で2007年に文学博士[48][6]。2007年9月から浙江工商大学日本文化研究所教授[50]
2007年5月、56歳で、戸渡阿見として「明るすぎる劇団・東州」を旗揚げし、毎年公演を行い、総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイマー等をつとめる (後述)。
2008年、世界開発協力機構 (WSD) を設立 (後述)。同年に世界芸術文化振興協会とジュリアード音楽院との協定を結び、日本人が同学院の音楽科の一次入試を国内で受験できる制度を兼ねる「ジュリアード音楽院声楽オーディション」を創設し、若手の育成にも力を注いでいる[51] (後述)。
2009年より、世界開発協力機構総裁や日本国際フォーラム理事として、政策提言の活動を本格化させる。日本で、「スポーツ平和サミット」や「世界オピニオンリーダーズサミット」等の国際会議をしばしば主催して海外の要人を招聘し、モデレーターとして出演する (後述)。
国際的な活動の広がり[編集]
2013年3月30日より、HANDA.TV(インターネットテレビ)で出演番組が毎日放映されている。
同年春、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の世界文化遺産登録の実現のために、安田喜憲の依頼で第37回世界遺産委員会議長をつとめたカンボジアのソクアン副首相や文化庁長官の近藤誠一等に、三保松原の重要性を直接話すなどの働きをした[52][53]。三保松原の登録が絶望視される中、会議前日に、近藤とソクアンが折衝し、「富士山と三保松原は、カンボジアのプノン・バケン山とアンコール・ワット、アンコール・トムに代表される、聖なる山と命の水の崇拝と同様である」という共通認識をもつ。翌日の第37回世界遺産委員会では、多くのUNESCO大使から三保松原登録の必然性を説く進言が相次ぎ、特にインド大使からは「その精神性が重要だ」とする強いプッシュがあり、結果、ICOMOS勧告が覆されて、三保松原も構成資産に決定した[54]。
2015年より日本男子プロゴルフツアーで開催しているISPSハンダグローバルカップでは、半田が掲げる「日本のゴルフのグローバル化」を目指す大会趣旨に賛同した海外のメジャー覇者15名が集結し、日本を含む「世界6大ツアー」の選手により競われた[55]。1990年全米プロゴルフ選手権覇者のウェイン・グラディによる海外への英語配信が実現するなど、日本初の試みを複数取り入れている[56][57][55]。同年12月8日に、代表取締役社長をつとめるミスズが、「ロベルト・カヴァリ バイ フランク・ミュラー」の日本総代理店となり、ホテルニューオータニで開催された「roberto cavalli by FRANCK MULLER 新ブランド&コレクション発表会」に、イギリス王室のオータム・フィリップス、イアン・ソープ、マイク・ティンダルらが来日し[58][59]、土屋アンナ、大石参月、木下ココ、香川沙耶、田丸麻紀らによるファッションショーが行われた[60][61]。
2016年9月22日に、第17回ワシントン条約会議にさきがけて、野生生物保護団体「Tsuk」の拠点があるロンドンと東京と「第17回ワシントン条約会議」開催地の南アフリカを衛星中継で結び、「タイム・フォー・チェンジ」レセプションパーティーを開催した(東京会場は国際スポーツ振興協会主催)[62]。講演会では、ウィリアム王子らとともに、ゾウやサイの密猟と違法売買による乱獲からの保護を訴えた[62]。
2017年6月に、ゴルファー専用の高級機械式腕時計を製造するスイスブランドメーカー「ヤーマン&ストゥービ」のオーナー社長に就任する[63]。
人物[編集]
人物像[編集]
エネルギッシュで前向きであり[19]、バイタリティが強く探究心旺盛な性格である[41]。芸術活動、福祉活動、フィランソロピー、公益活動など活動分野は多岐にわたる。多くのことを同時にできる秘訣について、深見は、「完璧を求めないこと」「一つ一つを完璧にやろうとすると両立に悩む。仕事と芸術、仕事とボランティア。どちらも完璧にやろうとするから悩むのだ。7割くらいできたらいい。どちらも中途半端で70点くらいとれればいい。100%と思うから行き詰まる。中途半端がいけないのは、中途半端で終わること。中途半端のまま、30年やったら両方プロになれる。50年やったら大家になれる」「悩んだこと、行き詰まりはあったが、挫折はない。何でも、自分が一番にならなければと思うから、挫折するのだ。上には上がいるのは当然で、トップを目指すけれども5、6番でもいいという発想が大事」「今より明日、進化していればいい。明日よりもあさって進化していればいいと考える。そうすると、いつの間にか壁を越える」と述べている[64]。国内外に十数社を経営し[15][16]、抽象的理念にとどまらない実践派として[65]コンサルタント[15]、経営者を対象としたビジネスセミナーも開催している[66]。
博学な知識を有しており、英語が得意で、神道のみならずキリスト教や仏教、儒教や中国の禅語録にもよく通じている[67][68]。また、ジュリアード音楽院より、名誉人文学博士を授与される際に「現代のルネッサンスマン」と評された[14]。日本語でも英語でもスピーチでギャグを飛ばして会場を笑いでわかせるなど、ギャグやユーモアを常に発信している[29]。 同志社大学経済学部卒(1976年[69])、武蔵野音楽大学パルナソスエミネンス(特修科)声楽専攻修了(1997年[3])、エディスコーエン大学芸術学部大学院修了創造芸術学修士(MA, 2002年[5])、清華大学美術学院美術学学科修了文学博士(2006年[6])、浙江大学中文学科修了文学博士(2006年[6])であるが、さらに新たな大学に挑戦しており、75歳までは、学生でいるつもりであるという[21]。
経営者像[編集]
ミスズ(みすず学苑)、たちばな出版を経営しているほか、オーストラリアの観光会社やイギリスのホテルと観光会社等の経営を行っており、国内外で13社ほどの会社の社長をつとめる(ワールドメイトや国際スポーツ振興協会等の非営利団体は含まず)[30]。ビジネスは本名で活動しており、名刺は30種類所有し秘書が最大で26人いた[70]。信仰と経営を混同させず区別しているため、経営する予備校でワールドメイトの布教が行われるなどは起こらない[30]。
現代は、サラリーマンやOLが多く、「金銭の尊さを日々実感し」「ビジネス社会で、人々が何を大切にし、何に苦しんでるのか」を知ることが、宗教者としての深見にとって必要なことであるとし、「聖(宗教)と俗(ビジネス)を区別して共存する」神道の伝統に則り、あえて、ビジネスの世界にも身を置いている[30]。
芸術観[編集]
多様な芸術に取り組む理由について、深見は「西洋人が大事にしている文化を理解し、実践したうえで、日本文化を見せるのです。つまり、日本人である私がオペラを歌い、描いた油絵を見せてから、能や茶道や水墨画を披露する。相手の土台となる文化や芸術を分かち合い、さらに自分の文化を表現してこそ、世界的な文化人として認めてもらえます[27]」「まず西洋芸術の最高峰であるオペラに挑戦し、それから中国の伝統芸術である京劇を学ぼうと思った。それぞれの最高峰のものを行うことで、インターナショナルな人間として共感してもらえるのです[41]」と述べている。
特に、日本型の芸術ルネッサンスについて、深見は「日本的ルネッサンス観で見れば、財政的なスポンサー活動だけでなく、自らやることが大切」「レオナルド・ダ・ヴィンチらが活躍した、16世紀のはるか700年前から、日本には天皇を中心とする、皇族や貴族たちが文化の担い手となり、自ら演ずることで芸術を庇護していた。それが日本型のルネッサンスです。見るだけだったり、お金を出すだけだったり、政治的に庇護するだけの西洋型ルネッサンスとは違います」「能や、茶道、書道や華道や、アマチュアでも努力すれば10年から20年でプロになれる。(略)知識や経験があればもっとも面白くなるし、見どころもわかってくる。鑑賞力が上がり、深く広く楽しめます」と述べている[71]。
宗教観[編集]
宗教家でありつつ、実業家として生業を営み会社経営を行う背景について、深見は「聖と俗を区別して共存する」という神道ならではの特質によると述べている。深見によると、「聖と俗を区別して共存する」というあり方は、聖徳太子以来日本古来の神道が育んできた伝統であるとし、日本の経営者は、信仰を拠り所としつつも信仰と経営を混同させず、はっきり区別して共存させ日本型経営にも影響を与えてきたという。そのため、深見が代表をつとめるワールドメイトと、深見が経営する企業には、資本関係がなく株式も所有せずに、聖と俗を区別し、共存させているとしている。神道には、「生業(なりわい)や家を栄えさせ、コミュニティーを繁栄させる」とか、「現実を生き貫く精神や魂の、輝きに価値を見出す」という特質もあり、深見もこの特質を持つ活動を行っているという。[70][72]
勉強法[編集]
全国紙5紙と全スポーツ紙、英字新聞2紙をとり、毎日、たまった新聞の社説などをヤケクソになって読んで、読解力や英語力の向上に努めているという[73]。
「絵のスケッチやメモ、俳句、短歌、川柳、ギャグ、詩、小説」から「英単語や気の利いた英語表現」など、思いついたことを何でも書く「黒ノート」を19歳の頃から持参し、移動中の電車や車、飛行機の中などを利用し、書き残すうちに、何百冊にもなっているという[74]。予備校に通っていた頃から社会人になった今でも、「空白の時間」を有意義に使い、芸術の創作を行ったり、語学の勉強を継続している[74]。また、電車の待ち時間は集中力が高まる場所であるとし、駅のプラットホームは、古典の読書や、能の足運びや型の練習に適していると述べている[75]。
また、興味のあるテーマの本を棚ごと買い、数十冊の中から面白そうなところを読んで実践し、知識を身につけていく方法をすすめている[76]。本の知識と実際には差が生じるため、それが、自身の著作のテーマともなるという[76]。
受賞歴・称号[編集]
詳細は「#受賞歴」を参照
ジュリアード音楽院名誉人文学博士[77]。オックスフォード大学名誉フェロー[78]。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)名誉フェロー[79]、グロスタシャー大学名誉博士[80]。その他、西オーストラリア州の西オーストラリア大学、カーティン大学[81]、エディスコーエン大学[81][82]より名誉文学博士号を授与される。
交友関係[編集]
- 誕生日にビデオメッセージが、シャール・シュワーツェル、ジェイソン・ダフナー、ローラ・デービース、イアン・ポールター、リディア・コなどゴルフ選手や、オペラ歌手のホセ・カレーラス、オータム・フィリップス、アンドルー王子(ビデオでなく祝電)など英国王室の人物から届いている[83][84]。
- マイケル・ボルトン、ジミ・ジェイミソン(サバイバーのボーカル)、ピーター・セテラと親交がある[71]。マイケル・ボルトンとは人権問題の活動推進を通して意気投合したという[85]。2012年11月にシンガポールでチャリティーライブを共演し[86]、翌2013年9月には、深見東州と世界の友人コンサートツアー 日本武道館で、ピーター・セテラとともにトリプルバンドでチャリティーライブを共演した[85]。ジミ・ジェイミソンとともに、日本で、ロックコンサート「深見東州と世界の友人コンサートツアー in 名古屋」にダブルバンドで出演した。ジミ・ジェイミソンの遺作「His name is Handa」をバンド演奏した曲が、深見の誕生日にビデオレターとして贈られた。
- ビル・クリントンと友人関係にあり、クリントンの友人であるマイケル・ボルトンと共通の趣味であるゴルフを通じ友情を深めたという[87][88][15][89]。
- ルネ・フレミングと親交があり、2014年には深見の誘いに応じて三度目の来日を果たし、東京国際コンサートに出演した[90]。また、深見の64歳の誕生日には、ルネがハッピーバースデートゥーユーを歌ったビデオレターを、深見に贈っている[91]。
- 映画シャインのモデルとなったデイヴィッド・ヘルフゴットと親交があり、1991年に初来日した際、深見がヘルフゴットのために作曲したという「アンドロメダ・ファンタジア」や、ピアノ小品集などが、ヘルフゴットにより演奏録音された[92]。『ヘルフゴット ライブイン・ジャパン91』は、現存する世界唯一のライブ演奏映像である[93]。
- ニック・ファルド(プロゴルファー)と親交が深く、ともにハンダ・ファルド・カンボジアンクラシックを開催した。ニック・ファルド アジアシリーズ公式国際大使[94]やニック・ファルド基金名誉顧問も務めている[95]。
- 小林旭と2007年開催の「PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」の記者会見で出会って以降付き合いがはじまり、普段から親しい仲であるという[96][97]。2008年に、深見が作詞・作曲した『ジダンダ!』ほか8曲を提供し、週間HIT 演歌/歌謡曲USENチャートで1位を記録する(2009年の年間リクエストは28位[98])。2009年開催の「小林旭 デビュー55周年記念 ラスト・ドリームコンサート ~男の友情は固く、強く~」や、2014年開催の「進撃の阪神巨人 演歌コンサート!!」で共演している[99]。
- 阿刀田高のショートショートを評価している[100]。テレビ番組『世界のいま』で共演もしている。
評価[編集]
- 2014年3月18日の第14回深見東州バースデー個展『れでぃ画画のような肩こってんのほぐれる個展』において 亀井静香、鳩山邦夫、西村眞悟、伊藤憲一が祝辞を述べ、深見を「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と評価した[101]。特に、公益財団法人日本国際フォーラムの伊藤憲一は、深見を高く評価した。また衆議院議員の西村眞悟は深見の人間性や優しさ、思いやりについて言及した。[101]
- 絹谷幸二は、深見の「エネルギーの源」は「ハートの強さ」であると述べ、「それは日頃から学習しているもの」であると評している[18]。
- 栗林義信は、深見の歌声を「天性の美声」と評価している[102]。
- 大友直人は、深見のコンサートのプロデュースに関して「我々専門家では思いつかない、斬新な発想です。しかし、本格志向であることは間違いないく、我々に刺激を与えてくれます。」と述べている。また、深見が、専門として声楽を勉強した上で、音楽の芸術性と娯楽性を踏まえて試行錯誤していくという姿勢に共感した旨も述べている[103]。
- 『TOSHU FUKAMI sings GOLDEN POPS』、『TOSHU FUKAMI sings ゴールデン演歌』などの監修・解説を湯川れい子が務めており、湯川は深見の歌声について素直で丁寧で優しく暖かい歌声であり、楽曲に対する心からの敬意と愛情が感じられると評価している。[104][105][106]
- 元求龍堂編集長で、美術雑誌出版社代表の松井武利は、深見の書画を「天真爛漫」「融通無碍」「魅了してやまない破格の画風」等、高く評価している[107]。2013年1月から、深見の絵に関する品評を、月刊美術誌『ギャラリー』で「絵を観る人も好き好きこの一品(いっぽん)」で連載している。[108]
- 美術評論家のワシオ・トシヒコは、深見の書に関し、「(中略)深見東州の書もまた、過去の先人の美の様式を徹底して臨書し、吸収した上で、そこから解き放たれ、自由に画く方向への軌跡を辿っているように思われるからにほかならない。」と評価している[109]。
- 松下幸之助研究で知られる川上恒夫は、経営コンサルタントでもある深見の経営論を、中小企業を念頭に置いた「神道」精神に基づく「日本型」現世修行的経営であるが、宗教的信仰心ばかりでは会社経営は成功しないとした「浮き世離れしていない現実感覚に裏付けられた経営」論であると評している[110]。
- 九鬼宗隆(熊野本宮大社名誉宮司)は、「ややもすれば錯綜する今日の宗教界にあって、その霊能力、学識、才能いずれを採っても比肩するものなき真の宗教者」であると評している[111] 。
- デイリースポーツ記者の今野良彦は、深見を「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の名に恥じない活躍であると評している[112]。また、明るすぎる劇団・東州で行われた深見のギャグパントマイムを、「チャップリン、バスター・キートン、そしてハロルド・ロイドと並び、「世界の四大喜劇王」と呼ばれても不思議ではない」と評した[112]。
欧米人からの評価[編集]
- ニュージーランド前首相のジョン・キーは、深見を「日本だけでなく、世界中で偉大な仕事をやってきた。才能があって寛容なビジョンを持っている。」と評し、深見のお陰で、ニュージーランドの「多くの人が人生や生活を変えることができた。」と述べている[18]。
中国人からの評価[編集]
- 『浙江文化報』記者の肖非は、深見を「中国文化研究の第一人者」であると評している[113]。
- 中国の崔偉は深見の「多芸多才な芸術的才能」について、「これ程までに多芸多才であることは想像しがたいと普通の人は思いますが、作曲、作詞、演奏、指揮にしても、歌、俳句、絵画、書道にしても、深見東州氏はすべてにわたり非常に高いレベルに達しています」「最も注目すべきことは深見東州氏の演劇芸術に対する造詣と愛情です」と、評価した[114]。
- 中国美術学院の評論家水易は、深見の芸術家としての生き方や作品の芸術表現に関し「豊富かつ俗に落ちない人生の閲歴は、深見東州氏に優秀な芸術家にあるべき独特の気質を備えさせた。彼は様々な画題を知り尽くし、胸中の気を自在に発揮し、芸術に対する没頭と集中によって、最終的に幽(深幽)、玄(神秘)、侘(静淡)、寂(静溢)の心境を表現する最も良い途を探し当てた」と、評価した[115]。
- 中国芸術研究院一級美術師授与に際し、「中国文化報」で清蓮は、深見を「明確かつ特色ある、優れた創造性を多方面に発揮し高く評価されると同時に、無私貢献、倦まざる勤勉の精神で奔走し、人類の文化発展、世界平和に力を捧げている」と評価した[116]。
芸術活動[編集]
アーティストとして、舞台芸術家として、書画展やオペラ、音楽コンサート、演能会などの芸術活動を世界中で展開し、チャリティー活動や日本文化芸術の紹介につとめている。声楽、絵画、作詞、作曲、演奏、指揮、俳句、クラシックバレエ、京劇、俳優など、多彩な活動を行っている。音楽や芸術に関しては、自ら実践し、世界の芸術を紹介しながら、ジャンルを超えた芸術活動を行うという信念を持っている。また、後進の育成にも熱心である。
オペラ[編集]
1991年の「デイヴィッド・ヘルフゴットを迎えてのコンサート」で、近衛秀健指揮、デイヴィッド・ヘルフゴットの演奏のピアノ演奏により、ナポリ民謡の「サンタ・ルチア」をイタリア語で歌ったのが、歌手としての舞台デビューとなる[113]。その後1997年にオペラ歌手としてデビューし、2002年12月、51歳で、西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院修了、創造芸術学修士を取得する。以降、毎年、オペラの総合プロデューサーをつとめる傍ら、主演や準主演の出演をこなしている。毎年、総合プロデュースしているオペラでは、日本と西洋の文化を融合している[117]。登場人物の心の動きを日本舞踊で表すなど、日本の風俗を西洋の名作オペラに融合させる演出が特徴である[118]。オペラはすべて原語での上演であるが、登場人物の役名は、すべて漢字である[119]。上映時には必ず、日本語の字幕が流される[118]。舞台芸術において歌舞伎のように美しい風景に着物を着たり、大正期の舞台だったりなど日本風の空間で上映されることもある[118]。
1997年3月、清水脩作曲のオペラ「俊寛」の康頼役でオペラ歌手としてデビュー[120]。同年6月28日、オペラ「魔笛」の総監督をつとめ、ザラストロ役として出演し、かつ、プリンシパルダンサーとしてクラシックバレエを披露する。同年10月10日、自ら作詞作曲したオラトリオ「七福神来天」の毘沙門天役で出演する。
2002年11月14日、オペラ「『聖徳太子』~和を以て貴しとなす」で、総合プロデューサーと主演(厩戸皇子役)をつとめる[118][121]。
2003年8月28日、オペラ『元禄のトラビアータ(椿姫)』に慈兵衛流門(ジェルモン)役で出演。同年12月には、北京の民族文化宮大劇院で、日本人の深見とオーストラリア人と中国人によるコンサート「日中豪歌唱家共演 古典オペラの夕べ」を開催した[122][123]。2004年9月2日、オペラ『大正時代のボエーム』磨千絵浪(マルチェッロ)役[124]。
2004年5月30日に、中国の北京にて、スーパーオペラ「楊貴妃」の初演に協力し自らも赤雄役を演じる[118]。この「楊貴妃」は、複数の中国紙で好評を博したと報道され、日本人声楽家かつ京劇俳優の深見についても報道された。姜昆夫妻は非常に感動して涙を流したなどと北京日報に語った[125]。人民日報においても感動的な脚本ですばらしい音楽とされ、日中文化交流への貢献も報道された[126]。また、光明日報では長年にわたって日中文化の交流に尽力してきた貢献が大きく評価され報道された[127]。
2005年9月15日、オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』主演:日賀朗(フィガロ)役[128]。同年10月には、昨年北京で好評を博した、スーパーオペラ「楊貴妃」を、今度は、日本の新宿文化センター大ホールで初の国際講演としての総監修をつとめ[118]、好評を博したことが中国でも報道された[129]。陝西日報では深見の日中文化交流への貢献への情熱などについても報道された[130]。
2006年9月16日、オペラ『リゴレット in ジャパン』主演:詈業劣徒(リゴレット)役。
2007年9月13日及び2008年9月19日、オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』主演:春舌夫(ファルスタッフ)役。2009年9月27日、オペラ『ゼウスの化身 怪人ドン・ジョヴァンニ』主演:貪・女蛮兄(ドン・ジョヴァンニ)役。イタリア語の字幕を導入したことで、わかりやすくしかも面白く鑑賞できたと報じられた[131][132]。
2010年9月24日と26日に、ソルノク市立交響楽団を招き、オペラ『ナブッコ・我が愛する地球よ!』を開催し、タイトルロール(名武鼓役)で出演し、総監督をつとめる。
2012年、「第1回 グランドオペラ Japan」と題し、オペラ・オーストラリアの日本公演かつ日本初の共作として、「ドン・パスクワーレ」のタイトルロールを演じる[133]。2010年まで行っていたオペラは「日本人から見た日本文化の発信」がテーマだったが、2012年より開始した「グランドオペラ Japan」は、「西欧人からみた日本文化の発信」が制作主旨であるという[133]。ドン・パスクワーレはイタリアに住む元駐イタリア大使の70歳の日本人という設定で上映され、イタリアの邸宅で浴衣姿で登場し、壁面には額に入った深見の手による書を飾り、書を描く場面を演じた。[133]
コンサート[編集]
オペラ歌手の他にシンガーソングライター、ロック歌手、ジャズ歌手、アニソン歌手、演歌歌手、童謡歌手としても活動し、国内外で50回以上のコンサートに歌手として出演する。また、コンサートでは総監督をつとめることも多く、指揮や、ヴァイオリン演奏、クラシックバレエも披露している。指揮は、長瀬清正に師事し[134]、国内外で30回以上のコンサートで、指揮者として出演している[135]。
1991年に、オーストラリアのパースにて、弦楽四重奏「スターライト・イン・パース」を開催し、ヴァイオリオンソロ演奏を披露する。同年9月に、「デイヴィッド・ヘルフゴットを迎えてのコンサート」で、深見が作曲した曲をデイヴィッド・ヘルフゴットがピアノ演奏した。また、近衛秀健指揮のもと、ヘルフゴットのピアノ伴奏により、イタリア語原曲で『サンタ・ルチア』を披露し、歌手として舞台デビューを果たした[113]。1993年2月と4月、翌年2月には、SEIZAN THIS WAYのラジオ公開収録を兼ねたコンサートを開催し、歌を披露した。
1994年3月26日、大阪サンケイホールにて、チャリティーコンサート「七福神ウィーンを巡る」を開催し、自ら作曲したマーチを演奏する東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を指揮し、指揮者デビューを果たす傍ら、ゲストの菅原洋一と歌で共演する。同年7月4日、川口リリアホールにて、チャリティーコンサート「真夏の夜のイリュージョン」を開催し、ゲストのライナー・ホーネック、ホセ・フェリシアーノらと、歌と指揮で共演し、クラシックバレエを披露し、ウィーン・フィルのコンサートマスターとヴァイオリンの合奏を行う。同年10月9日、「ベルリン・フィルのメンバーとの夕べ」で、ベルリンフィルの演奏をバックにコンサートを開催。同年、11月18日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールのチャリティーコンサート「AROUND THE WORLD」で、ロイヤル・アルバート・ホール・オーケストラを指揮し、歌手として出演する。チケット収入を英国王立盲人協会に寄付し、エリザベス2世から感謝状を授与する。同年12月23日と25日にクリスマスコンサートを開催、出演し、25日のコンサート収入をカンボジアシアヌーク病院の設立基金として寄付する。
1995年10月10日にコンサートを開催し、指揮者と歌手として出演する。
1996年4月26日、かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホールで、チャリティコンサート「中東和平コンサート」で指揮する傍ら、栗林義信らと歌手としても共演し、チケット収入をパレスチナ子供キャンペーンへ寄付する。同年10月10日、コンサートを開催して総監督をつとめ、指揮者、歌手として出演する。同年11月18日、ニューヨークの(ニューヨーク、カーネギー・ホール)で開催したチャリティーコンサート「All the World's a Stage(世界を華麗な舞台に)」で、カーネギーホール・オーケストラを指揮し、歌手として出演。
1997年1月8日、ロンドンのセント・ジョンズ・スミス・スクエアで開催した、チャリティーコンサート「ニューイヤーコンサート」で、イギリス室内管弦楽団を指揮する傍ら、歌手として栗林義信らと共演。同年12月15日、「深見東州 チャリティーリサイタル」で歌手として出演し、チケット収入をカンボジアのシアヌーク病院へ寄付する。
1998年1月27日、カザルスホールでSEIZAN THIS WAYのラジオ公開録音を兼ねたチャリティコンサート「一人一曲ニューイヤーリサイタル」で歌手として出演し、チケット収入をカンボジアのシアヌーク病院へ寄付する。同年4月3日、オーストラリアのエディス・コーエン大学で、「Arts on the Edge(前衛芸術コンサート)」コンサートを開催し、グレゴリー・ユーリシッチ師と共演する。同年7月14日、ロンドンのセント・ジョンズ・スミス・スクエアで「London Summer Concert」を開催して総監督をつとめ、自ら作曲した『鳴門海峡にて』等を演奏するイギリス室内管弦楽団を指揮し、歌手として出演する。同年8月20日、カザルスホールでSEIZAN THIS WAYのラジオ公開録音を兼ねたチャリティコンサート「二十世紀を代表する日本の声楽家達のガラ・コンサート」で栗林義信らと共演し、チケット収入をカンボジアのシアヌーク病院へ寄付する。同年11月10日、「光は東方より 深見東州作曲作品演奏会」で、自ら作曲した曲を演奏する「FNアンサンブル」を指揮する傍ら、自らシンガーソングライトした曲を歌う。
1999年、団長をつとめるアルプス合唱団とともに、ローマ法王にバチカンで謁見しオリジナル曲や日本歌曲を披露した[136]。同年7月27日、カザルスホールでSEIZAN THIS WAYのラジオ公開録音を兼ねたチャリティコンサート「日中文化交流 チャリティー ガラ・コンサート」で歌手として出演し、チケット収入をカンボジアのシアヌーク病院へ寄付する。同年11月11日、東京オペラシティコンサートホールで開催した「日本・オーストラリア ガラコンサート」に栗林義信らと出演する。
2000年5月28日に中国の万里の長城で、翌29日に清華大学で、翌30日に中国で連日、コンサートに出演し、自身が作詞し、中国国家第一級作曲家の呂遠が作曲した曲を披露した。同年7月22日、中国の北京音楽庁で開催された「第五回 中国国際合唱節」に指揮者として参加した。同年10月28日にオーストラリアのパースで開催された「2000 Australian Singing Competition」に出演し、同年11月14日に中国湖南省の春雷小学校で開催された「春雷小学開学典礼(開校式コンサート)」に姜昆らと出演した。
2001年3月に演歌集『心の旅』をリリースする。同年3月18日の50歳の誕生日に、イイノホールで、「深見東州 50歳のバースデーコンサート」を開催する。同年10月31日に、シドニーオペラハウスで開催された「2001 Australian Singing Competition」で指揮を行う。同年11月29日、カザルスホールで開催された「つるとコアラのコンサート」に、グレゴリー・ユーリシッチ師らと出演。同年12月24日に、日本青年館で「クリスマスコンサート」を開催。
2002年1月19日、ロンドンのセント・ジョンズ・スミス・スクエアで開催された「MUSICIAN ACROSS THE WORLD A New Year Celebration」で、ダイアナ湯川らと共演する。同年6月12日、福井県武生市(現越前市)の武生市文化センターで開催された「武生国際音楽祭 2002 チャリティーコンサート」に、栗林義信らと出演し、収益金をシアヌーク病院へ寄付する[137]。同年9月15日、日本青年館大ホールで開催された、「Special Opera Concert」に、グレゴリー・ユーリシッチ師らと出演する。同年10月31日、パースコンサートホールで開催された「2002 Australian Singing Competition」で指揮を行う。同年大晦日に「レクイエムコンサート」を開催する。
2003年1月23日、パースコンサートホールで開催された「Australia Day Concert」で自身が作曲した管弦楽曲『サマータイム・スワン・リバー』の指揮を行う。同年3月28日の52歳の誕生日に、かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホールで「深見東州52歳バースデー記念サーカス&中東和平コンサート」を開催する。同年11月15日に、東京文化会館大ホールで「栗林義信先生の古希をお祝いするコンサート」を開催し出演する。同年12月1日、北京の民族文化宮大劇院で開催された「中日濠歌唱家共演 古典オペラの夕べ」に出演する。
2004年2月1日、東京厚生年金会館で開催された「旧暦の年末第九コンサート」で第九のソリスト(バリトン)をつとめる。同年3月18日の53歳の誕生日に、第一生命ホールで「深見東州53歳のバースデー記念 バースデーコンサート」を開催する。同年11月21日に八王子市民会館で開催された「オラトリオメサイア」で、初のメサイアのソリストをつとめる。同年12月23日、日本青年館大ホールで「クリスマスチャリティーコンサート」を開催する。
2005年12月23日、「クリスマスチャリティーコンサート」を開催し、第九第四楽章やハレルヤコーラスのソリスト等で出演する。
2006年8月22日、北京音楽庁で開催された「第二回(中国・東州杯)世界漢語合唱大会」で指揮を行う。同年8月27日、八王子市民会館で開催された「真夏の夜のコンサート」に、第九第一楽章-第四楽章(合唱付き)のソリスト等で出演する。同年12月24日、八王子市民会館で開催された「クリスマスチャリティーコンサート」に栗林義信らと出演する。
2007年4月27日のコンサートで、「地上の星」、「赤いスイートピー」、「いい日旅立ち」、「卒業写真」、「霧の摩周湖」、「千の風になって」等を歌う。同年5月、15年間のライブステージの集大成として、『深見東州ヒストリカルライブステージ』(9枚)をリリース。同年6月29日のコンサートで、「イマジン」、「好きにならずにいられない」、「涙そうそう」、「さくら(独唱)」、「シクラメンのかほり」等を歌う。同年10月13日のコンサートで、「アジアの純真」、「少年時代」、「乾杯」、「宇宙戦艦ヤマト」、「千の風になって」等を歌う。
2008年11月29日、熊谷会館で開催された「Special Opera Concert」に出演する。
2010年9月28日、ソルノク市立交響楽団を招き、新宿文化センターで開催したチャリティーコンサート「IFAC ガラコンサート」に出演し、収益金1080万円全額をカンボジア赤十字社等に寄付する[138]。
2011年8月、初のロックのミュージックビデオとして、『GAT MAN(ガット・マン)』をリリース。自身で作詞、作曲、歌、映像出演をはたし、オリジナルCGはジョージ・ルーカス・スタジオのクリエーターが手がける。同年12月23日に「クリスマス・コンサート」を開催する。
2012年に『TOSHU FUKAMI sings ゴールデン演歌』をリリース。同年10月26日、シンガポールのマリーナベイ・サンズで開催された「MICHAEL BOLTON LIVE IN CONCERT 2012(マイケル・ボルトン ライブ イン コンサート」で、マイケル・ボルトンと共演する[86]
2013年5月21日、名古屋市民会館フォレストホールで、「深見東州と世界の友人コンサートツアー in 名古屋」を開催する。同年9月5日に日本武道館で、「深見東州と世界の友人コンサートツアー 日本武道館」を開催する。同年12月11日、ホテル日航東京で「深見東州 クリスマス・チャリティー・ディナーショー」を開催し、収益金全額をネルソン・マンデラ・チルドレンズ・ファンドに寄付した。
2014年3月に『TOSHU FUKAMI sings ゴールデンアニメ&主題歌』でアニメ主題歌のカバーアルバムをリリース。同年にホテル日航東京で「深見東州 お上品飯食いショー!〜西洋ではディナーショーと呼ぶらしい〜」、 オリックス劇場で「深見東州 単独 進撃の阪神 ロック・コンサート!! 大阪公演」、「日本武道館で進撃の阪神巨人 ロックコンサート!! 日本武道館[139]」、「進撃の阪神巨人 演歌コンサート!![99][140]」、「X'mas チャリティ・プロレス・ディナーショー![141][142]」を行った。
2015年1月に、中野サンプラザホールで「新春 ジャズの一人祭典!」を開催[142]。4月にはZeppダイバーシティ東京で「深見東州 グループサウンズ&フォークの一人祭典」と「深見東州 全部オリジナル曲コンサート」を開催して2日間で58曲を歌った[143]。6月に新国立劇場で開催された東京国際コンサートでは、ホセ・カレーラスやコナル・コードと共演し、アンコールでは「川の流れのように」を3人で歌った[144][145]。
深見東州と世界の友人コンサートツアー[編集]
詳細は「深見東州と世界の友人コンサートツアー 日本武道館」を参照
歌を通しての社会貢献として、友人ゲストとともに世界中の人権問題や貧困問題を訴えるチャリティーコンサートツアーを開催している[146]。2013年5月には、名古屋市民会館フォレストホールで、ジミ・ジェイミソン(サバイバーのボーカル)とダブルバンドによるライブ(ロックコンサート)を共演。同年9月には、日本武道館で、マイケル・ボルトンとピーター・セテラとトリプルバンドにより「深見東州と世界の友人コンサートツアー 日本武道館」で共演し、アンコールで「イマジン」を3人で歌い世界平和を訴えた[146][147]。
東京国際コンサート[編集]
詳細は「東京国際コンサート」を参照
2013年より主宰し、自身も歌手として参加している。2013年は、なかのZEROホールで開催され、キリ・テ・カナワ、大西宇宙、コナル・コードと共演を果たす[102]。2014年以降は新国立劇場で開催されており、ルネ・フレミング、コナル・コードと共演[102][90]。2015年は、ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、コナル・コードらと共演した。
作詞・作曲[編集]
2014年3月時点で、作詞は50曲以上、作曲は566曲(バージョン違いを含めると725曲)以上行っている(たちばな出版調べ)。
1990年10月10日、自身が作曲した交響曲『箱根神社』が、福村芳一指揮により、初の作品演奏会を行う。同年12月29日、近衛秀健指揮により、自身が作曲した室内楽『伊勢神宮天の岩戸びらき』が初演となる。
1991年3月9日、自身が作詞作曲したオペラ曲『七福神来天』が、近衛秀健指揮、二期会会員の歌により初演される。同年3月30日、自身が作曲した弦楽四重奏『スターライト・イン・パース』の初演の演奏会を開催し、自ら初のヴァイオリンのソロ演奏を行う。同年9月22日、日本にはじめてデイヴィッド・ヘルフゴットを招聘して開催した「デイヴィッド・ヘルフゴット氏を迎えてのコンサート」で、自ら作曲したピアノ曲『雪のエジンバラ城』と、自らのモチーフで近衛秀健が作曲した『アンドロメダ・ファンタジア』が初演となる。同年12月29日、近衛秀健指揮により、自身が作曲したオラトリオ『天地創造 日本誕生』の初演を行う。
1992年7月26日、荒谷俊治指揮により、自ら作曲した『北極星扶桑宮殿の夜』と『宇佐八幡マーチ』が初演となる。
1997年4月に、ピアノ曲の楽譜集『深見東州ピアノコレクション』を出版する。
1998年7月14日、自ら作曲した幻想組曲『光は東方より』より『鳴門海峡にて』をイギリス室内管弦楽団が初演し、自ら指揮もつとめる。同年11月10日、深見東州作品演奏会「光は東方より」を開催し、幻想組曲『光は東方より』(『冠島・沓島』、『金華山』、『明石海峡』、『淡路島』、『鳴門海峡にて』)と、『白鴎宮殿』『光の列車のテーマ』『とうろう流し』『銀河を渡ってカシオペアへ』を自ら指揮し、自ら作詞作曲した楽曲『アヴェ・マリア』『ヤーベ神想』を独唱する。
2000年1月、『深見東州マーチ集』(編曲近衛秀健、和田薫)をリリース。同年3月18日の誕生日に、朝日生命ホールで開催した「深見東州 49歳のバースデーコンサート」で、自身が作曲した『冠島・沓島』(幻想組曲『光は東方より』より)、『白鴎宮殿・プレリュード~フーガ』、『帝釈天と四天王』、『楠木正成のバラード』、『幻の大陸ムー』、『せせらぎのセレナーデ』、『火星よ優しくなれ』、『蓮華台上釈迦牟尼世尊』、『ミレニアムの鐘』、『勇者ペルセウス』の指揮をつとめる。同年9月、自ら作曲した曲を、西オーストラリアシンフォニーオーケストラがパースで演奏収録したCD『Mon Ami』をリリース。
2008年、小林旭に、自らが作詞・作曲した『ジダンダ!』ほか8曲を提供、週間HIT 演歌/歌謡曲USENチャートで1位を記録(2009年の年間リクエストは28位[98])。
京劇[編集]
中国では「日本第一の関羽」と呼ばれている[45]。
43歳より京劇をはじめ、1999年5月に48歳で中国京劇の泰斗・王金璐(おうきんろ)、葉蓬に人民大会堂での拝師(ぱいしー)の儀を通して入門する[148][149]。王金璐(おうきんろ)と葉蓬は、師弟関係にとどまらず、ともに京劇を通じて新たな日中文化交流を深めることに尽力した[148]。
1999年、『西遊記』、『虹橋贈珠(こうきょうぞうしゅ)』での二郎神役。2000年、『古城の再開』関羽役。2002年8月13日、中国ハルピン市の黒龍江省京劇院にて、自ら総合演出した京劇『漢津口』の関羽役を演じる[150]。2002年8月23日、中国中央電視台主催「国際京昆アマチュアテレビ大コンクール」に出場、「漢津口(はんじんこう)」関羽役を演じ、参加者1000人中金龍賞(最も優れている賞)を受賞。同年12月、北京京劇院二級京劇俳優に認定され正団員となる[151]。同じく12月、京劇芸術発展の歴史を研究した書である「京劇大典」の編纂プロジェクトを始動した[152]。2003年2月4日、シドニーオペラハウス初の京劇開催となる『シドニー京劇公演』の「漢津口(はんじんこう)」に、関羽役で出演する。
明るすぎる劇団・東州[編集]
詳細は「明るすぎる劇団・東州」を参照
2007年5月、56歳で、大衆演劇をコンセプトとした「明るすぎる劇団・東州」を旗揚げした[153][154]。戸渡阿見名義で、自ら劇団団長、総合プロデューサー(監督)として原作、脚本、演出、衣装、音楽を全て行っている。 第1回定期公演として、2009年3月18日光が丘IMAホールで東京公演を、3月21日阪南市サラダホールで大阪公演を開催し、総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイムをつとめた。第一部は、「ある沼の伝説」、「蝿」、「広辞林」を上演し、第二部では、「黄金伝説~清拭篇~」、「バッタに抱かれて」を上演した。
第2回定期公演は、2010年9月7日~9月8日に浅草公会堂で開催し、総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイムをつとめた。 2011年4月に定期公演が予定されていたが、3月11年の東日本大震災の影響により、取りやめとなった。
第3回定期公演は、2012年4月20日-21日に浅草公会堂で開催し、「人食い熊」、「仲人」、「フランケンシュタイン」、「春が来た」を上演し、総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイムをつとめた。芝居のチラシには、「コスプレ、着ぐるみ、フェイスペインティングなど非日常な格好でご入場ください」という依頼文が掲載され、会場には着替えのスペースも用意された[154]。劇団団長及び劇作家として芝居説明をユーモラスに語り、幕間には、パントマイムのパフォーマンスを演じ、底抜けに笑えるような面白さに満ちていたと好評を博した[154]。演目は、自らが戯曲を書いた戸渡阿見の原作より、「人食い熊」「フランケンシュタイン」「仲人」「春が来た」が上映された[154][155]。
第4回定期公演は、2013年4月13日-4月14日に浅草公会堂で開催し、「五大聖人」、「最後の手段」、「泡立つ紅茶」、「蝶々夫人」の上演し、総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイムをつとめた。
第5回定期公演は、2014年10月11日-12日に新国立劇場で開催し、「黄金伝説~清拭篇」、「アレー人」、「雨」、「広辞林」を上演して、総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイムをつとめた。「東州チャップリン」に扮して解説を行う傍ら、一公演で二度登場しパントマイムで出演した。パントマイムでは、第一部に「妖怪クロック」を披露し、第二部の魚介類篇では「バフンウニ」、「ムラサキウニ」、「エイ」、「マンタ」、「ホウジロザメ」、「ジンベイザメ」、「カレイ」、「ヒラメ」等の形態模写を披露した[112][156][157]。「アレー人」では、初日に、初代タイガーマスクとザ・グレート・サスケ、西村修が、二日目に三田英津子とブル中野、山田敏代が本人役で登場し、主人公のアレー人にプロレス技をかけるサプライズ演出を行った[112][156][141][142]。
第6回定期公演は、2015年7月5日-6日に新国立劇場で開催し、「南極物語」、「民宿」、「盛り場」、「バッタに抱かれて」を上演し、総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・歌・幕間コンサートをつとめた[158]。演技の見せ場では生演奏オーケストラによる歌を披露し、幕間のコンサートも行った[159]。曲目は、南極、雪の降るまちを、雪國、ペンギンの歌、アザラシの歌、知床旅情、霧の摩周湖、熱き心に、イヨマンテの夜、北酒場、恋するオトメ、君は我が運命、おまえに、君恋し、I lost my love、レッツゴーライダーキック、朝がきたら、残酷な天使のテーゼを披露し、アンコールとしてヘヴィー・ローテーション、オー・ソレ・ミオ(初日)、誰も寝てはならぬ(最終日)を歌った[160]。
第7回定期公演は、2016年5月14日-15日に新国立劇場で開催し、「残酷な天使のナットウキナーゼ」、「へそ」を上演し、製作総指揮(総合プロデュース)・原作・演出・脚本・衣装・音楽・歌・幕間パントマイムをつとめた[161]。また、「甲殻機動隊」と題し、開演前はカニ(「サワガニ」、「越前ガニ」、「毛ガニ」、「花咲ガニ」、「タラバガニ」)、幕間はエビ(「オキアミ」、「桜エビ」、「カワエビ」、「ボタンエビ」、「シマエビ」、「オマールエビ」、「伊勢エビ」)の形態模写によるパントマイムを行った[162][161]。本公演のために作詞・作曲し歌っている「残酷な天使のナットウキナーゼ」は、開演前日の深夜2時に完成した楽曲であったという[161]。
パントマイム[編集]
同志社大学在学中のESSプレジデントをつとめた頃から、英語で討論するとともに、独自なパフォーマンスやパントマイムを行うようになる。2009年から開催している「明るすぎる劇団・東州」の定期公演では、毎回、新作の幕間パントマイムで出演している[118]。
バレエ[編集]
42歳から、クラシックバレエを始める[21]。バレエのプリンシパルダンサーとして舞台もこなしており、ジュリアード音楽院よりダンサーと紹介され[14]、バレエの写真集も出版している。能楽とバレエ、または能楽とバレエと京劇を融合させるなど、新しい舞台芸術の融合にも取り組む。
1993年12月28日 三重県阿児アリーナホールにて、オペラバレエ「天の安河のうけひ」にてデビューし、マイヤ・プリセツカヤと共演する。
1996年6月29日には、薪バレエ「浜辺に集う妖精たち」にてプリンシパルダンサーとして出演する。
1999年2月、マイヤ・プリセツカヤと共演したDVD『天の安河のうけひ』と、バレエ出演した|オペラバレエ『やまとは国のまほろば』をリリース。同年10月26日、メルパルクホールにて、世界初の能と京劇とバレエとのコラボ(融合演劇)として、「西遊記・孫悟空」で唐王役(京劇・中国語)、土蜘蛛(能楽師)、釈迦役(中国語にて京劇の一節を歌う)として一人三役を務める[114]。舞台端に日本語と中国語の字幕を入れ、日本語と中国語が入り交じる形式で開催した[163]。
2000年8月31日、ロシアバレエ界を代表する踊り手の一人であるマイヤ・プリセツカヤを招き、能とバレエを融合した創作能・バレエ「羽衣ーHAGOROMO」など[164]、新しい舞台芸術を生み出し[165]、自身も、マイヤ・プリセツカヤとクラシックバレエで共演する[166]。同年9月、『華麗なる舞―深見東州バレエ写真集』を出版した。
ファッションデザイン[編集]
社団法人日本デザイン文化協会評議員。自らデザインしたブランド服も販売している。
2001年、日本デザイン文化協会主催のコンテストでデザイン画が5000点中、2位と入選のダブル受賞を果たす。同年、「T.Fukamiファッションショー」を開催。
2002年、「大型ファッションショー流動する紫禁城」に「将軍」、「世紀の聖人」として出演。
2006年11月27日-28日、東京プリンスホテルと六本木ヒルズで開催された「中国文化フェスティバル2006」中国スーパーモデルファッションショー「流動する紫禁城」に、日本側のデザイナーとして出展 [167][168]。同年12月24日に「Toshu Fukami ファッションショー」を開催する。
ギャグ[編集]
ギャグクリエイターとして、ギャグ作品集を4作、ギャグ写真集を1作、ギャグDVD『ギャグ300連発』『ギャグ600連発』『ギャグ888連発』3作品をリリース。1997年10月、『深見東州のギャグ大爆発!』を出版する。同年12月、『ギャグ写真集』を出版する。1999年7月、『深見東州のウルトラギャグ大爆発!!』を出版する。2001年1月に『ポパイの心があたたまるさむい本』と『ベティーの心があたたまるさむい本』を出版し、VHS『深見東州のオペラ漫談』をリリース。2010年3月18日より「戸渡阿見」のTwitterでほぼ毎日ギャグをつぶやいている[169]。
ギャグ芸術[編集]
ギャグ絵やギャグ書など、ギャグで笑いを誘う書画作品を多数創作しており、1997年以降、毎年の個展で一般公開している。
ギャグCM・ギャグ広告[編集]
学苑長をつとめる予備校みすず学苑のCMや広告を自ら手がけ、ユニークで強烈な印象であり[170]、予備校のPRとは思えないなどと話題となっている[171]。CMは、登場キャラがダジャレを連発する内容となっているが、「なぜ毎年、あんなに意味不明なのですか?」とか「あんなCMを見て、予備校としてのみすず学苑に来る生徒がいるのですか?」等の質問がみすず学苑に寄せられ、みすず学苑の公式ウェブサイトでは、CMの謎を解く回答を掲載している[172][173]。
ギャグパントマイム[編集]
団長をつとめる明るすぎる劇団・東州の毎年の定期公演では、ギャグコスプレに扮し、ギャグパントマイムを行っている。これまで、犬の散歩、ウサギとネズミの物まね、イグアナ、セミ、ニワトリの産卵、ニワトリの鳴き真似、ダンシングフラワー、Bussu Stop、カメレオンの食事、風に揺れる樹木:森、林、庭の木、秋にすすき、草原の草。チャップリンの果物手品、マネキンのまねキン、東州キャットリン(子猫、老人猫、中年猫、晩年猫、化け猫)、東州茶っプリンのツーピース(ゴムゴムの手、ゴムゴムの足、ゴムゴムの舌)、東州茶っプリンの筆記用具・文房具(えんぴつ、シャープペン、ボールペン、万年筆、消しゴム、定規、下敷き)、妖怪クロック、魚介類篇の形態模写(「バフンウニ」、「ムラサキウニ」、「エイ」、「マンタ」、「ホウジロザメ」、「ジンベイザメ」、「カレイ」、「ヒラメ」等)、カニ(「サワガニ」、「越前ガニ」、「毛ガニ」、「花咲ガニ」、「タラバガニ」)やエビ(「オキアミ」、「桜エビ」、「カワエビ」、「ボタンエビ」、「シマエビ」、「オマールエビ」、「伊勢エビ」)[162][161]などのギャグパントマイムを発表している。
美術活動[編集]
絵画[編集]
絵画の総作品は2847作品(2015年10月時点。TOSHU絵かきの店発表)。水彩画、アクリル画、詩画など、様々なジャンルの絵画を描く[174]。「これが一人の画家の作品か?」と目を疑うほど、書画や水彩、アクリル、油彩、パステル、ギャグ絵作品など、多才なジャンルの作品が存在し、絵に付けられたタイトルも面白い名前であったり、なんとも可笑しいて見ると笑ってしまう作品も多い[175]。
求龍堂より、『深見東州 自選画集』[10]、『深見東州の創造』、『創作 深見東州』、『書画 深見東州』『深見東州画集』の5冊の画集が刊行されている。たちばな出版からは、『墨汁の詩(うた)』(求龍堂制作)、『TOSHU FUKAMI ART WORKS 深見東州画集』、『深見東州 書の世界』、『深見東州 日本画の世界』を出版している。中国の文化芸術出版社より、『A CREATION OF TOSHU FUKAMI』(書画集 深見東州の創造)を出版している。毎年制作するカレンダーで、求龍堂元編集長の武井武利氏が選んだ自作の絵画を採用している[107]。
ギャグ絵[編集]
宇宙を山芋が火を噴いて飛ぶ『宇宙戦艦ヤマイモ』、身体に氷をのせたウグイスを描いた『春だと思って出てきたら、凍ってしまったウグイスちゃん』、肖像画のように描かれた『人間になろうとしているコアラ』、じっと目をつぶり首を傾げるトラのさまがおかしさを誘う『質問に答えられないトラ』など、絵のタイトルが面白かったり、見ていて可笑しくなるギャグ絵作品を多数生み出している[175]。
書道[編集]
書の総作品は953作品(2014年3月7日時点。TOSHU絵かきの店発表)。謙慎書道会評議員。現代日本書家協会顧問。大東文化大学書道研究所認定書道教授者。 作品『恕』が、大英図書館に永久所蔵されている。作品収蔵の記念に開催された「現代書家の名品と平成の佐竹本三十六歌仙」展の「日本の伝統芸術21世紀展実行委員会」の副会長をつとめた。 自身の水墨画と詩と、安永麦州のコラボ作品集として、『墨汁の詩』を出版している。
ギャグ書[編集]
禅語の「和敬清寂」のパロディ作品である「和敬静寂[注 3]、禅語の「一期一会」のパロディ作品である「苺一会[注 4]」など、ギャグを書で表した作品も複数存在する。
展覧会[編集]
1997年9月21日に、自身初の書画展として「深見東州初のIFAC書画展」を開催する[10]。
1999年5月15日、中国済州で開催された「'99 国際美術交流大展」に作品を出品し、セレモニーでは日本人参加者の代表としてスピーチを行った。8月17日、「BESETO美術祭東京展」に出展。同年10月22日、ノートルダム大学で書画展を開催した。同年11月11日、「ロンドン大学演能~書画展」を開催し、ロイヤル・ホロウェイの「HANDA NOH THEATRE」で書画の展示と半能「岩船」シテ(龍神)と仕舞「高砂」を披露した。同年12月1日-14日、ニューヨーク市ソーホーのグラントギャラリーで個展を開催する。
2000年1月、チャリティ「二人展」を開催し、会場で水墨画の実演を行う。同年5月21日-31日、中国政府文化部主催で北京市紫禁城で開催されて「深見東州 日本書画展」に、8メートルの水墨画「本栖湖万里長景図」等を出品し、同会場では即興で墨絵を描いて披露した[176]。2001年3月19日-24日、大森ベルポートで「深見東州チャリティ書画展」を、20日-24日に「スーパーメルヘンファンタスティック華展」を同時開催する[10]。同年5月11日、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で、日本文化や芸術専攻の生徒の前で、書の実践講義を行う。同年7月9日-15日、中国の著名な画家袁煕坤(えんきこん)と、「日中名人深見東州・袁煕坤(えんきこん)美術作品展」を北京金台美術館で開催する[177]。同年7月25日、第一回全国高校生美術祭(現:高校生国際美術展)の実行委員長に就任し、以降、毎年開催する。同年10月1日、「Toshu アート・ギャラリー」(現・TOSHU絵かきの店)をオープンする。同年11月1日、オーストラリアのパース・カリグラフィー・ギルド主催で毎年開催される書画展覧会に作品を出品する。2002年11月、作品「太平洋とご来光」等を北京開催の『東アジア美術交流祭』に出品[178]。同作品は、日中友好会館で11月8日〜13日展示された後、11月19日以降、北京の中華世紀壇で展示された。2003年1月23日-28日、パースの『日豪芸術交流祭』で、「東州・麦州二人展」を開催した(同会場で同時開催したコンサートで、自身が作曲した管弦楽曲『サマータイム・スワン・リバー』の指揮も行った)[38]。2006年11月24日-29日、テレコムセンターで開催された「第4回東アジア美術交流祭〜日本・中国国際交流展〜」を主催し、自らの作品も出品した。2008年11月19日-25日、日中友好会館で開催された「第6回東アジア美術交流祭〜日本・中国国際交流展〜」を主催し、自らの作品も出品した。2010年11月30日-12月5日、東京セントラル美術館で開催された「第8回東アジア美術交流祭〜日本・中国国際交流展〜」を主催し、自らの作品も出品した[179]。
深見東州バースデー個展[編集]
50歳となった2001年3月19日-24日に、大森ベルポートで初のバースデー個展である「深見東州チャリティ書画展」を開催して以降、毎年、誕生日の前後にバースデー個展を開催している[101]。「これが一人の画家の作品か?」と目を疑うほど、書画や水彩、アクリル、油彩、パステル、ギャグ絵作品など、バラエティに富んだジャンルの作品が展示されている[175]。
通称は、「第○回深見東州バースディ個展」と呼ばれるが、正式名称は、凝りに凝ったユニークな名称が、深見自身により名付けられている[175]。これまでに、『深見東州アート驚く作品展』[注 5]、『絵絵っと驚く作品展』[注 6]、『見に来たかいがあった絵画展』[注 7]、『ええええっと思う絵がある展覧会』[注 8]、『普通の絵がある普通ではない絵画展』[注 9]、『永遠に絵画いて、しょうがないほど書画描いて、合点がいくまでみる画展』[注 10]、『こてんこてんの個展!』[注 11]、『何やっ展覧会』[注 12][174]、『私の個展今年もこってんの!』[注 13]、『こてんぱんになるほど、笑いで打ちのめされる個展』[注 14]、『古典的な個展がこてんと転ぶ個展!』[注 15][180]、『こってんと転ぶ、古典的な雪の上の個展』[注 16]、『れでぃ画画(がが)のような肩こってんのほぐれる個展!!』[注 17]、『墨で個展個展、絵具で個展個展、見るのにてんてこ舞いの個展』(別名:深見東州大英博物館凱旋個展!!!)[注 18]、『深見東州氏のバースデーフェスティバル! 第3弾巨匠に劣るとも優らない美学 かいがいしく絵画を見て、ショーのような書を見て、コテコテのギャグを楽しむ個展』[注 19]、『えっ、絵ですか。しょう、書です。凝ってますね、個展ですから!!!』[注 20]と題して開催されている。
毎年の展示作品についても、「人民日報 海外版 日中新聞」より「ユニークな作品群[9]」、「抱腹絶倒の作品群に圧倒[175]」、「つい声を出して笑い出したくなるほど面白い[175]」と評されるようなユーモア作品が展示されている。ちなみに、2014年は、新作のうち106作品を3日3晩で一気に作成した作品であるなど[101]、制作エネルギーも並々ならぬものがある。
毎年の個展オープニングセレモニーでは、巨大書の実演や即興和太鼓演奏[101]、付祝言『高砂』の謡[181]等、さまざまなパフォーマンスが行われている。さらに、ユーモアあふれる深見のスピーチもファンの楽しみの一つとなっており[175]、深見がギャグを連発して、会場に終始笑いの渦が起こることもよくある[175]。深見と親交の深い人物やファンが、個展の開幕式に駆けつけたり、メッセージや花を寄せるため、毎年の開幕式は盛況である[175]。
2014年の第14回『れでぃ画画のような肩こってんのほぐれる個展!』では、オープニング開幕式で亀井静香、鳩山邦夫、西村眞悟、伊藤憲一から「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と評され[101]、ほかに鈴木宗男、平林博とともに開催のテープカットが行われた[101]。
2015年の第15回『墨で個展個展、絵具で個展個展、見るのにてんてこ舞いの個展』でも、開幕式で亀井静香、小沢一郎、鳩山邦夫、鈴木宗男から「レオナルド・ダヴィンチの再来である」と評され、海江田万里からは「天才を超える奇才」であると評された[181]。開催のテープカットでは、伊藤憲一、平沢勝栄、ザ・グレート・サスケらが加わった[181]。
2016年の第16回『かいがいしく絵画を見て、ショーのような書を見て、コテコテのギャグを楽しむ個展』の開幕式では、八代英太が司会をつとめ、亀井静香、小沢一郎、平沢勝栄、下村博文、海江田万里、原口一博が祝辞を述べ、シャール・シュワーツェル、ジェイソン・ダフナー、ローラ・デービース、イアン・ポールター、リディア・コ、ホセ・カレーラス、オータム・フィリップス、アンドルー王子、ならびに内閣総理大臣の安倍晋三らからビデオメッセージや祝電が届いている[83][84]。開催のテープカットでは城内実、太田和美らが加わった[83]。
2017年の第17回『えっ、絵ですか。しょう、書です。凝ってますね、個展ですから!!!』の開幕式では、ニュージーランド前首相のジョン・キー、亀井静香、絹谷幸二が祝辞を述べている[18]。
深見によると、個展を始めたきっかけは、「己の老化や全人格的な劣化を防ぐため、己に喝をいれるため」に行っているという[175]。2012年の開幕スピーチでは「忙しい多様な活動の中でも自らに締め切りを課し締め切り効果を利用し、一気に創作する制作方法をとっている」という秘訣が明かされた[10]。年々忙しくなって時間の捻出が厳しくなるなか、毎年、広告を出したり、友人を招待することで、書かなければならないという状況を生み出し、自分に挑戦する環境をつくりだすための個展であるという[101]。
彫刻・陶芸[編集]
彫刻を荒川明照、陶芸を東紀代美に師事。2002年に東京目白芭雨園で開催した茶会で、自らが制作した茶碗、陶芸皿を披露した(その際、茶杓、水指、花入、掛け軸、畳、抹茶、和菓子等の茶道具を自ら制作、プロデュースした)[182]
文芸活動[編集]
小説[編集]
日本ペンクラブ会員。ペンネームは、戸渡阿見(ととあみ)を使用している。2005年、井上ひさしの推薦により、日本ペンクラブ会員となる。2007年、パーソナリティをつとめるラジオ番組さわやかTHIS WAYで小説『蜥蜴』を発表し、小説家デビューを果たす。2008年11月、二冊目小説『バッタに抱かれて』が、公益社団法人日本図書館協会選定図書[注 21]に選ばれる。2008年より小説を絵本としても出版する。
詩[編集]
1996年3月に初の詩集を出版し、2009年以降は、戸渡阿見というペンネームを使用している。戸渡阿見以前に深見東州名義で、3冊の詩集と1冊の英語詩集を上梓している。
2009年3月に『明日になれば - 戸渡阿見 詩集』、4月に『ハレー彗星 - 戸渡阿見 詩集』、8月に『泡立つ紅茶 - 戸渡阿見 詩集』を上梓する。2010年3月には、『明日になれば……メルヘン - 戸渡阿見 詩画集』という詩画集で、自作の詩のイメージとあう絵画を掲載した詩画集を上梓する。2011年5月には『魔女の目玉 - 戸渡阿見 詩集』を上梓する。
俳句・川柳[編集]
東州句会を主宰。現代俳句協会会員。現代俳句データベースに、自身の句が収録されている[183]。
中学3年から川柳を、18歳から俳句をはじめた。俳句は、18歳から3年間雑誌投稿を続け複数回の佳作を受賞する。1997年より中村汀女の直弟子である伊藤淳子と金子兜太に師事する。2003年からは、藤田あけ烏主宰の同人誌『草の花』に投句し、指導を受ける。2006年に現代俳句協会会長金子兜太の推薦により、現代俳句協会会員となる。
本格的な句集としては、第一句集『かげろふ』(伊藤淳子が300句を選び、深見が100句を選び編集)、第二句集『新秋』(伊藤淳子が59句、金子兜太が159句を選び編集)を上梓している。また、風景写真にマッチする写真と句をコラボレーションによる写真句集『風はグリーンに吹いてきて』、『海はブルーにいきいきと』、『父よ母よ、僕は元気です』、『山はピンクに花もよう』、『冬の山、ホワイトチョコをかけました』と、俳句と書と水墨画のコラボレーションによる『墨汁の詩』を刊行している。
古典芸能における活動[編集]
能[編集]
公益社団法人能楽協会会員[184]。東京大薪能主催者代表。2012年9月時点で、40回以上のシテを演じる[155]。「東州宝生会」を主宰し、全国に1500人以上の所属数を抱える[185]。
同志社大学能楽部宝生会で能を始め、宝生流能楽師の柏原仁兵衞及び辰巳孝に師事していた。
1996年6月、能『猩猩』のシテ(猩猩)を舞い、能楽師としてデビューする。同年11月9日、宝生能楽堂で開催された「芸術の秋 演能鑑賞会」で、能『羽衣』のシテ(天人)を演じる。
1997年3月22日、「よみがえる日本の心 オペラと能の鑑賞会」の第2夜で、能『竹生島』のシテ(漁翁・龍神)を演じる。同年10月10日、能『橋弁慶』のシテ(武蔵坊弁慶)を演じる。
1998年3月13日、石川県能楽堂で開催された「金沢チャリティ演能会」で能『嵐山』のシテ(尉・蔵王権現)を演じる。同年5月、宝生流能楽師の宝生流嘱託免状及び師範免状を取得し、同年6月宝生東州会を設立する[186]。同年6月6日、祝言『高砂』のシテ(住吉明神)を演じる。同年6月26日、東京都庁舎都民広場で開催された第一回東京大薪能で、能『高砂』のシテ(住吉明神)を演じる。
1999年3月12日、国立能楽堂で宝生東州会の第一回発表会を開催し、以降、毎年全国大会を開催する。同年4月25日、日本青年館で「藤の花咲く能バレエの夕べ」を開催し、半能『藤』のシテ(里女/藤の精)を舞い、プリンシパルダンサーとしても出演する。同年5月30日、宝生能楽堂で能『藤』のシテ(里女/藤の精)を演じる。同年6月1日-2日、ニューヨークのメトロポリタン美術館と国連本部ビル・正面玄関前広場で、宝生流家元とともに能楽公演を行う[187]。同年8月3日には中国・浙江音楽庁で、中国大陸初の流派家元による能楽公演を行う。同年8月3日、浙江大学人文学院日本文化研究所設立10周年記念式典のため、浙江音楽ホールにて仕舞「鶴亀」を演じる[188]。同年9月28日、東京都庁舎都民広場で開催された第二回東京大薪能で、能「岩船」のシテ(童子/龍神)を演じる[189]。同年11月11日、「ロンドン大学演能~書画展」を開催し、「Hansa Noh Theater」半能「岩船」シテ(龍神)と仕舞「高砂」を演じ、書画の展示も行った。
2000年4月、国立能楽堂で能『乱』のシテを演じる。9月5日-6日に北京大学中国戯曲学院で薪能を開催し、「乱」シテを演じる[190]。同年9月5日-6日に、中国で宝生流能楽公演を開催し、5日に北京大学で、6日に中国戯曲学院で、能『乱』のシテを演じた[191]。
2001年6月1日、1979年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されたスフィンクスの前で、同年5月にユネスコの世界無形遺産に指定された能楽を行う「エジプトスフィンクス薪能」を開催し、半能「石橋(連獅子)」のシテ(白獅子)を演じた[192][193][194]。同年9月19日、北京の中国児童劇場で能「石橋(連獅子)」のシテ(白獅子)を演じた。同年9月25日、第四回東京大薪能で能「石橋(連獅子)」のシテ(白獅子)を演じた[195]。
2002年8月4日、宝生東州会全国大会で、能『翁』のシテを演じる。2日後の8月6日には、「鹿島神宮御船祭奉納」で鹿島神宮初の薪能を開催し、能『翁』のシテを演じ、立ち見客で身動きできないほどの客で賑わった[196]。同年9月27日、テレコムセンターで開催した、第五回東京大薪能で能『翁』のシテを演じる[197]。
2003年8月3日、宝生能楽堂で「宝生東州会 五周年記念大会」を開催し、能『鶴亀』のシテ(皇帝)を演じる。同年9月30日、潮風公園太陽の広場で開催された、第六回東京大薪能で、能『鶴亀』のシテ(皇帝)を演じる[198]。
2004年1月18日、日本青年館で舞囃子『田村』のシテ(坂上田村麻呂の霊)を演じる。
2005年3月6日、崇寶会で、半能「鞍馬天狗」のシテ(天狗)を演じる。同年8月7日開催の第七回宝生東州会全国大会と、8月10日 テレコムセンターで開催した第八回東京大薪能で、半能「鞍馬天狗」のシテ(天狗)を演じる。
2006年1月3日、アンコールワット薪能等において、宝生流十九世宗家らと共に『石橋(しゃっきょう)』『乱(みだれ)』『翁』等を演じる。同年9月27日にテレコムセンターで開催した第九回東京大薪能と、11月19日に六本木ヒルズで開催した「世界初・薪能と薪京劇の競演」で、半能「項羽」シテ(項羽)を演じる。
2007年以降、東京大薪能で、毎年、一時間程度の能楽のわかりやすい解説講座を行っている[197][199][200]。
笛(能管)[編集]
大学4年から、森田流笛(能管)を始め[21]、貞光義次、寺井啓之、帆足正規に師事。一噌流笛を藤田次郎に師事。
1972年に初舞台。
2000年8月31日、ロシアバレエ界を代表する踊り手の一人であるマイヤ・プリセツカヤを招き、能とバレエを融合した創作能・バレエ「羽衣ーHAGOROMO」を開催し[165][166]、一噌流の笛を演奏する。
太鼓・小鼓[編集]
幸流小鼓を幸信吾に師事。1997年11月に、太鼓の演奏を収録したCD『神太鼓』をリリース。
茶道[編集]
江戸千家新柳派師範。20歳より裏千家流茶道を学ぶ。大日本茶道学会を経て、35歳より、江戸千家新柳派に入門し江戸千家新柳派師範を取得。1986年より、伝統的な茶会を定期的に開催するほか、2002年3月、茶碗、茶杓、水指、花入、掛軸、畳、抹茶、和菓子などの茶道具を自ら制作、プロデュースし、現代芸術と茶道を融合させた茶会を開催する。
華道[編集]
嵯峨御流師範。水野峨往に師事する。1999年、華道と舞台芸術の融合をテーマに、「藤の花咲くバレエの夕べ」を開催。同年、熊野本宮大社にて「奉納・藤の花咲くバレエ生け花『日本蘇生』」を開催す。2001年、アートと華道を融合させた個展を開催。
和歌[編集]
38歳のときから岡野弘彦に師事し、毎月、歌会を主宰する。
芸術文化振興の推進[編集]
世界芸術文化振興協会[編集]
詳細は「世界芸術文化振興協会」を参照
音楽を通じた芸術文化振興[編集]
歌手として芸術を実践する傍ら、世界芸術文化振興協会の会長として、オペラ等の音楽を通した公益活動を日本のみならず、オーストラリアや中国などでも展開している。中国合唱協会名誉理事長、世界中国語合唱大会(東州杯)終身名誉主席。
オーストラリアの若手声楽家を対象とした「IFACオーストラリアンシンギングコンペティション」を、1998年からIFACを通じて支援している。2002年5月、西オーストラリア州のパース国際芸術祭ワールドプレジデント(国際実行委員長)に就任し、翌年6月、オーストラリア最古のオペラ劇場、ヒズ・マジェスティーズ・シアターの100周年記念祭の総裁に就任する。西オーストラリア州の芸術文化に対する貢献に対し、パースより「名誉芸術家」の称号を授かり、「西オーストラリア州文化功労賞」や ジョーン・サザーランド特別賞[注 22]を受賞している。中国からは、中国における合唱振興の貢献に対し、「中国合唱事業特別貢献賞」を受賞した[注 23]。
2008年に、米国ジュリアード音学院とIFACの間に、日本人音楽家養成プログラムの支援協定を結び奨学金制度を設立し、日本のオペラ歌手育成にも本格的に力を注ぐことになる[51]。翌2009年に、代表を務めるIFACの資金援助により、同音楽院に優秀な芸術家を招聘するための「声楽客員芸術家のための寄付講座」を設け、日本人を対象とした「ジュリアード音楽院声楽オーディション」を設立した。同オーディションは、ジュリアード音楽院に入学するための一次試験を国内で受けられ、「IFAC・ジュリアード賞」受賞者には、ジュリアード音楽院へ留学するための奨学金が、代表を務めるIFACより授与される。
能楽を通じた日本の伝統文化発信[編集]
日本の伝統文化「能」を広く知ってもらうため、毎年無料で薪能を開催したり、海外演能や、欧米や中国の学生への能の実演等の講義も行っている[155]。特に、東京大薪能主宰者代表として、毎年、自らシテとして出演したり能楽講座を行っている[155][201]。演目解説は、1時間程の初心者向けの能楽講座も行っている。東京大薪能を通して、「能は難しく、退屈ではない。啓蒙のために見るチャンスをつくっていきたい」という目的があるという[202]。 海外では、宝生流宗家らとともに、その地域で初めての本格的な能楽公演を[184]、たびたび行う。
美術を通じた国際文化交流[編集]
美術を通して国際交流と国際理解を深めることを目的として、高校生国際美術展実行委員長[203]として、毎年、高校生を対象とした、出品料無料の国際美術コンクールを主宰している。受賞作品は、毎年、入場無料でギャラリーに展示される[204]。 また、東アジア美術交流祭会長をつとめており、書道と絵画の分野において、アジアの芸術家の交流を深め、現代絵画芸術の紹介に寄与している[205]。
また、西オーストラリア州の芸術文化に対する貢献に対し、「西オーストラリア州文化功労賞」を受賞。
オペラ・オーストラリア名誉総裁兼ゲスト・アーティスト[編集]
詳細は「オペラ・オーストラリア」を参照
オーストラリアの国立歌劇団であるオペラ・オーストラリアの総裁とゲストアーティストをつとめる。 2012年から毎年、オーストラリアのシドニー湾上に「ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー」と命名された特設舞台が設けられ、オペラ・オーストラリアによる野外オペラが上演されている[13]。
福祉活動[編集]
「福祉とは障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いのことである」、「民間が福祉を行う場合に大切なことは、大きすぎない規模で成果を目の当たりにできるユニークな福祉を行い、福祉を行う喜びを身をもって感じられること」、「福祉を通じた心の交流をする」の3つを満たす福祉が、民間が行う本当に活きた福祉であると述べている[206][206]。
ブラインドゴルフ[編集]
日本ブラインドゴルフ振興協会の創設[編集]
詳細は「日本ブラインドゴルフ振興協会」を参照
1988年に日本で初めてブラインドゴルフ倶楽部を設立し日本に初めてブラインドゴルフを伝えた[12][207]。日本ブラインドゴルフ振興協会名誉会長[208]と世界ブラインドゴルフ協会の名誉会長を務める[209][注 24]。
2016年のオリンピックからゴルフが正式種目に復帰することになり、ブラインドゴルフを含む障害者ゴルフ競技が、2020年パラリンピック正式種目に採用されるように、普及活動をしている[12]。
世界ブラインドゴルフ協会の創設[編集]
詳細は「世界ブラインドゴルフ協会」を参照
1997年には、世界中のブラインドゴルファーやブラインドゴルフ協会に呼びかけ、世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)を発足させる[210]。世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)は、2014年3月時点で18団体が加盟しており[211]、名誉総裁をつとめている[95]。
障害者ゴルフの推進[編集]
詳細は「障害者ゴルフ」を参照
障害者ゴルフ普及のため、2012年1月、英国PGAとISPSを通じ、英国PGAのプロ選手に障害者ゴルファーへのコーチ資格を与える「ISPSハンダPGAアカデミープログラム」を始める[212]。
障害者ゴルフがパラリンピックの正式種目に採用になることを目指し、国際的な普及活動を推進している[12][213]。また、日本では、まだ障害者ゴルフが全国障害者スポーツ大会の正式種目でないことから、国体への正式採用の運動も推進している。
2013年、ISPSを通じ、スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会と第13回全国障害者スポーツ大会の共通の国体)のデモンストレーション行事として、障害者ゴルフ大会の実施を支援した。
英国における福祉活動[編集]
詳細は「王立盲人協会」を参照
王立盲人協会(RNIB)の副総裁[注 1]に、日本人で初めて就任する[214][215]。
1994年、ロンドンのロイヤルアルバートホールで、チャリティーコンサート「アラウンド・ザ・ワールド」を主宰した。同副総裁の英国国教会(元)カンタベリー卿ジョージ・ケアリーと協力し、特定地域での青少年の正しい育成を目指して2004年にエリザベス2世が開校した Lambeth Academy(英語)(Learning Trust)(英語)をワールドメイトを通じて支援。2008年、「英国国教会聖職者のためのセントルークス病院」の白血病の子供達のための基金等をワールドメイトを通じて支援した。
カンボジアにおける福祉活動[編集]
救急病院の設立と運営[編集]
米国公益法人シアヌーク病院副会長[216]をつとめる。1996年12月、カンボジアの首都プノンペンにキリスト教と仏教、神道関係者の三者の協力により、カンボジア政府から無料で提供された土地に緊急集中治療設備を擁した近代的な24時間体制の救急無料病院を、代表をつとめるワールドメイトを通じて建設した。この病院の運営は自らが代表を務めるワールドメイトが毎年億単位の運営費を拠出し、ワールドメイトと「ホープ・ワールドワイド(Hope Worldwide)」(世界75ヶ国で慈善事業を展開するNGO組織)が、同等のパートナーとして協力している[217]。
2002年6月2日、武生府中ロータリークラブ創立二十五周年を記念し、武生市文化センターで福井新聞社後援のチャリティーコンサートを開催する。栗林義信らとコンサートを共演し、収益金をシアヌーク病院に寄付にあてる[218][137]。2003年1月に第二病棟が完成した時、ワールドメイトを通じた福祉活動を評され、カンボジア王国コマンドール友好勲章を受勲した[7]。
孤児院への支援[編集]
カンボジアのプノンペン郊外にあるワールドメイト未来の光孤児院会長をつとめる。ワールドメイトを通じ、300名以上の子供たちのための支援を継続的に行い、孤児院内に寮やコンピューターハウスを建設、寄贈し、さらに、里親制度を設立し孤児の里親として生活費や学費の援助を推進している。[219]
クメール・ルージュの犠牲者へ義捐金[編集]
「クメール・ルージュによるジェノサイドの犠牲者への補償、および追悼のためのDr.HANDA 基金」会長。クメール・ルージュの犠牲者の現状を知り自ら3千万円を寄付し、義捐金制度を設立した。同基金にはワールドメイトがさらに1億円の寄付を行った。同基金は義捐金とお米を手渡しで犠牲者へ授与する式典を5度行い、同時に遺族の体験を記録する活動を行った。2009年2月までに、クメール・ルージュの遺族3,703世帯が義捐金を受けた[220]。
この功績により、カンボジア王国政府より、モニサラポン・テポドン勲章とソワタラ勲章大勲位を受けた[7]。
中国における福祉活動[編集]
詳細は「世界芸術文化振興協会」を参照
2000年3月、IFACより中国児童少年基金会を支援して、中国に100校の「春蕾小学校」を建設することが決まった。これは、中国児童少年基金会と地元の教育委員会の三者が協力して行われ、毎年10校ずつ合計100校(のちに、130校に増加)の小学校を最貧地域に建設する「春蕾小学校」建設を推進プロジェクトである[221]。このプロジェクトでは、校舎の建設支援のほか、学内の備品、1000冊以上の蔵書の図書館、スライドやコンピュータ等を寄贈している。さらに開校式では露天舞台(野外体育館のようなもの)を造り、姜昆を招いて中国の伝統芸能である京劇公演や、歌、おどり、漫才などの文化的催しを開催し、近隣地域からも多くの見物客が集まった[222][223][224][225]。2009年、130校建設のうち、100校の春雷小学校が完成した[206]。
また2000年4月、中華全国婦女連合会が進める中国児童少年基金会「春蕾計画」の一環として、会長をつとめるIFACを通じて中国全土の11の貧しい少数民族地区出身の優秀な生徒がつどう北京和平里中学「春蕾クラス」30名の香港の高校進学費用を支援した。これは、事業家が出資していたが事業不振により支援を打ち切る予定だった[226]。2001年7月に開催した、「日中名人深見東州・袁煕坤(えんきこん)美術作品展」で春雷クラス30数名の生徒と初めて顔を会わせる[227]。2007年6月「春蕾クラス」30名全員が無事に大学を卒業した[228]。
2001年6月より、中国敦煌市文化経済顧問であったため会長をつとめるIFACの寄付により、「支援百名孤児就学計画」として敦煌の孤児100名の学費を支援した。2001年9月、北京市私立樹人学校に「第2期 東州春蕾クラス」を設立して32名の学費を支援し、芸術分野の才能に秀でた女子学生11名で構成される天津市三毛芸術学校の「春蕾芸術クラス」の学費を支援[228]。
2001年12月に、中国の伝統文化の振興と繁栄を目的として、IFACを通し、中華人民共和国文化部に「造形舞台芸術創作及び学術研究成就賞」を設立した。毎年、美術・書道・古典芸術や芸能など、特筆すべき創作や研究において成果をあげた芸術家と研究者を選考し、中国の国宝として表彰するというもの。2002年5月、第一回目の受賞者は70-80歳代で芸歴60年超の造型芸術家7名と舞台芸術家4名。この表彰制度は、中国初で唯一の中国国家による芸術家と芸術理論家を対象とした終身成就賞である[229][230][231]。
中国における児童福祉の貢献に対しIFACの代表として2002年6月「中国児童慈善家」ベスト10人にノミネートされ、中華人民共和国民政部より表彰される[232][233]。
オーストラリアにおける福祉活動[編集]
西オーストラリア州立エディスコーエン大学では、ワールドメイトを通じて「ハンダスタジオ」を寄贈したり、パースのスピーチ&ヒアリングセンター(聾唖センター)内に、専門図書館兼遠隔教育センターを設立するなど教育支援、福祉支援を推進している[7]。
アルバニアにおける福祉活動[編集]
アルバニア、ジロカストロ市名誉市民。2001年5月、アルバニアの中でも最貧地域のブトリントにワールドメイトを通じて、近代的な学校を建設し寄付した。その他ワールドメイトを通じてジロカストロに職業訓練校を建設し、その付近の荒廃した病院を近代的な病院として再建した[7]。
日本における被災支援[編集]
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、震災当日の夜にワールドメイトと対策を協議し、自ら救援物資が詰まれたトラック3台とともに被災地入りし、陣頭指揮をとって日本赤十字社と連携しつつ救援物資を届けている[234]。
宗際化・宗教活動[編集]
宗教者同士が宗教・宗派の違いを超え交流する宗際化(inter religious の日本語訳)活動を推進している。国際的な宗際化活動を推進する団体である世界宗教議会(Parliament of the World's Religions(英語)国際評議委員会(International Advisory Committee)名誉国際顧問[235]とWorld Faiths Development Dialogue(英語)(WFDD)理事[236]をつとめる。 アジアの宗教対話と開発を促進するアジア宗教対話開発協会(AFDD)を創設し、会長をつとめる[237]。また、「世界宗教者平和会議(平和のための宗教)」理事と[238]、その子団体の世界宗教者平和会議米国委員会(Religions for Peace USA)のプレジデントをつとめる[239]。
25歳から禅や神道、中国哲学を勉強・実践する[41][16]。1984年、神道をベースとする宗教団体ワールドメイト(旧コスモコア)を創設。小泉太志命が80歳を超えて病に伏したときに、側近の元官房長官藤波孝生に再三招くように命じて面会をしている。小泉太志命が自分から面会を求めたのは、後にも先にもこのときのみであったという[240]。宗教書を複数著している。[241]
仏教においては天納傳中大僧正に師事し1998年に天台座主(天台宗総本山、比叡山延暦寺住職)の許可のもと在家得度[242]、禅においては臨済宗東福寺派管長の福島慶道師に認められ、居士名「大岳」を得たとしている。
インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(ISF)[編集]
国連経済社会理事会(ECOSOC)認可NGOかつ国連広報局(UNDPI)認可NGOである、インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(ISF)を設立し、代表をつとめる[243]。国内外で活動する日本宗教研究者に呼びかけ、シンポジウムを開催し、自身も講演している[244]。
2001年、コロンビア大学宗教学部に「深見東州神道学講座」を設立した[243]。2012年10月28日-30日に、南アフリカのヨハネスブルグで、第4回IFAPA(アフリカにおける平和のために行動する諸宗教)サミットを代表をつとめるISFが共催した。日本からは深見を含む2名の宗教者が代表として参加し問題解決法を提唱した[245]。
人権活動[編集]
人権の確立こそが普遍的な宗教性の顕現になるという考えに基づき人権のための活動を行っている。
オーストラリア人権教育評議会の名誉顧問をつとめる[246]。 西オーストラリア州立カーテン大学に、豪州で初めて人権教育のチェア(講座)を開設し、オーストラリアの全国人権教育委員会より、「Citizen of Humanity」(国際名誉市民)の称号を授与される。
世界開発協力機構を通じ「人権と国際正義の為の、スタンフォード大学WSD半田センター」を設立。友人のマイケル・ボルトンがアンバサダーをつとめている。
フィランソロピー[編集]
「スポーツの力」が平和に役立ち社会をよりよくするという信念により、スポーツによる社会貢献や福祉を推進している。深見は「スポーツの力を強く信じている。スポーツを通して、社会に元気を与えたい[247]」「スポーツ全体を見ていかないといけない。スポーツの世界での、社会貢献は文化につながる[247]」「チャリティやフィランソロピーは、ゴルフ文化の奥にある重要な要素[248]」と述べている[248]。
ゴルフ界全体が活性化し裾野が広がればブラインドゴルフの輪も拡大するという考えから、2006年に国際スポーツ振興協会 (ISPS) を設立し、シニアゴルフ、女子シニアゴルフ、ジュニアゴルフ等の支援の推進を始めた。大会では毎回プロアマ戦を設け、プロ、アマチュア、ブラインドがチームを組んで交流を深める混合大会を開催するなどの新たな試みも行う[249]。ボウリング、アーチェリー、ボート競技、サッカー等の支援も推進している。2010年、アジア太平洋ゴルフパーソナリティー賞(ASIA-PACIFIC GOLF PERSONALITY OF THE YEAR)受賞[250]。
ISPSの活動について、深見は「ISPSは視覚障害者ゴルフの認知度を高めるため、全世界でゴルフを長い間支えてきました。2020年の東京五輪も決定し、私たちの大きな使命は、ゴルフを2020年パラリンピックの正式種目にすること」と述べている[31]。大会を主催する際には、フィランソロピー大会[注 25]として収益や賞金の一部を選手が社会福祉団体へ寄付をするほか、国籍、年齢、性別、身体障害の有無等の垣根を越えて共にプレーする大会を多く開催している[251]。また、必ずブラインドゴルファーを招待してプロアマ交流戦を開き、トッププロとブランドゴルファーの交流の場を設けている[31]。
国際スポーツ振興協会(ISPS)の創設[編集]
詳細は「国際スポーツ振興協会」を参照
2003年に日本ブラインドゴルフ振興協会創立15周年の記念大会を神戸ゴルフ倶楽部で開催した際、クラブの人の言葉に感銘を受けゴルフの社会貢献を行う決意をし、国際スポーツ振興協会を設立する。翌2004年、プロゴルファーの稲葉真寿美より女子シニア公式戦は米国にしか存在せず、日本の女子シニアプロは試合に出る機会がないということを聞く。そこで自ら米国女子シニアゴルフ協会(現在のレジェンズツアー)に呼びかけ、2005年4月、米国女子シニアの公式戦「第1回ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」(日本ブラインドゴルフ振興協会 (JBGA)、世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)、レジェンズツアー(米国女子シニアゴルフ協会)の共催[注 26])を初めて日本で開催。続いて同年6月、自身が会長を務めるJBGAの主催により「JBGA シニアレディスカップ」を、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の協力により開催する。この試合がきっかけとなり、他に日本女子シニアゴルフの大会が二つ開催され、その後、日本においても、女子シニアゴルフの公式戦が毎年複数開催されるようになる。
その後2006年より日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)で、日本女子シニアプロ登録の制度が始まり、日本女子シニア初のQT(クォリファイングトーナメント)も開催される。
こうしたゴルフ興隆に対する貢献等により[252]、2006年よりライダーカップやソルハイムカップのレジェンズツアー版として、本名の半田を冠したハンダカップ(レジェンズツアー主催)という、女子シニアプロ団体戦が毎年開催されている[253][254]。2013年からは、ISPSハンダカップに改称した。
ちなみにISPSは東京ヴェルディの筆頭スポンサーであり、ユニフォームの胸の部分に「ISPS HANDA」と記されている。ミゲル・アンヘル・ロティーナの招聘に一役買ったり、深見が(別に重要な試合でもないが)試合前に国歌斉唱したりと、良くも悪くも存在感を発揮していると言える。
スポーツ平和サミット[編集]
詳細は「スポーツ平和サミット」を参照
スポーツ平和サミットとは、NPO法人世界開発協力機構が他団体と共催しているスポーツに関する国際会議[255]。 2012年から、親交の深いジョージ・ケアリーや、コリン・モイニハン、 キャサリン・マーシャルらと協力し、スポーツ平和サミットの開催を行っている。2013年7月18日-19日には、東京のホテルニューオータニで、スポーツ平和サミット東京大会に参加した。2014年5月22日-23日には、ニューヨークの国際連合本部ビルで、平和と発展のためのスポーツサミット(World Sports Values Summit for Peace and Development)に参加し、自身が設立した国際スポーツ振興協会と国連『文明の同盟』 (UNAOC)の提携が、発表された[256]。
スポーツ平和サミット東京大会[編集]
詳細は「スポーツ平和サミット東京大会」を参照
2013年のスポーツ平和サミット東京大会では、自らの友人のアスリートや専門家らを中心に[27]16ヶ国から招き、スポーツの価値や素晴らしさを日本から発信した[257]。
オーストラリアにおけるゴルフ推進[編集]
ゴルフオーストラリア総裁兼国際大使[258]を務める。
2006年11月、会長をつとめるISPSを通じ、男子シニア、女子シニア、男子ジュニア、女子ジュニアが一緒に、ひとつのタイトルを争う世界初の混合大会ハンダ・オーストラリアカップ(現:ISPSハンダ・オーストラリアカップ)をオーストラリアで開催する。各国の選手が集い、技術やゴルフへの姿勢、またマナーや経験智を継承する機会を得られる機会として以降も毎年開催する[249][注 27]。2009年より、ハンダ・オーストラリアン・シニアオープン(ゴルフオーストラリア)を開始。
アジア・ヨーロッパにおけるゴルフ推進[編集]
女子ヨーロピアンツアー国際大使。アジアンツアー国際大使[259]、ニック・ファルド・アジアシリーズ公式国際大使[94]。
2009年より、ISPSハンダ・ニュージーランド女子オープン(オーストラリア女子ツアーALPG)、2010年よりISPSハンダ・オーストラリアン女子オープン(ALPGツアー)(米国女子ツアーLPGA、欧州女子ツアーLET、オーストラリア女子ツアーALPGの共催大会)、ハンダ・シンガポール・クラシック(アジアンツアー)、2012年よりISPSハンダ・ウェールズオープン(ヨーロピアンツアー)、ISPSハンダ・パース・インターナショナル(ヨーロピアンツアーと豪州PGAツアーの共催)、2013年より、ISPSハンダ・レディス・ヨーロピアン・マスターズ(欧州女子ツアーLET)、ザ・ネルソン・マンデラチャンピオンシップ presented by ISPSハンダ(ヨーロピアンツアーとサンシャインツアーの共催大会)等の公式戦を支援している。
日本におけるゴルフ推進[編集]
2010年より、HANDA CUP 日韓対抗中学・高校生ゴルフ選手権の支援。2007年~2010年、日本プロゴルフ協会(PGA)の申し出により、男子シニアゴルフの三大公式戦の一つ「PGA ハンダカップフィランスロピートーナメント」に会長を務めるISPSが特別協賛(2010年はヨーロピアンシニアツアーとの共催)。2011年は東日本大震災により開催を自粛するが、2012年よりISPSハンダPGAシニアチャンピオンシップ(ヨーロピアンシニアツアー)、「ISPS ハンダカップ・灼熱のシニアマスターズ」(2013年は「ISPS ハンダカップ・五月晴れのシニアマスターズ」)、「ISPS ハンダカップ・秋晴れのシニアマスターズ[260]」を開催。2013年からは、「ISPS ハンダカップ・フィランスロピートーナメント[261]」も加わり、PGAシニアツアーを3試合、「ISPS グローイング シニアオープン ハンダ熱血シリーズ」を5試合、「ISPS スーパーシニア[注 28]」等を支援している[262]。
ISPS・ハンダ・ワールドカップオブゴルフ[編集]
2013年11月21日より4日間、ISPSハンダがタイトルスポンサーとなり、ISPSハンダ・ワールドカップオブゴルフ(W杯)開催に尽力した[263][264][265]。今大会は五輪で採用される新方式の大会であった[88][注 29]。
日本におけるボウリング推進[編集]
2007年より毎年、ISPSを通じ、シニア女子、シニア男子、女子、男子等の複数の公式戦を主催・協賛し、生涯スポーツの一つでもあるボウリングを支援している 。また、主催するフィランスロピー大会では、選手が賞金の一部を社会福祉団体に寄付することとし、ボウリングを通した社会貢献を推進している[266]。
また、自身が会長を務めるISPSが主催するプロボウリング大会の公式戦のプロアマ交流戦で、視覚障害者も参戦する混合大会を設けるなどブラインドボウリングの普及にも尽力している。
ISPSを通じ、2007年よりHANDA CUP 全日本プロボウリング選手権大会、HANDA CUP 全日本女子プロボウリング選手権大会、2009年より「HANDA CUP フィランスロピー・女子プロボウリングトーナメント」「HANDA CUP プラチナレディースボウリングトーナメント」、2010年より「HANDA CUP・プロボウリングマスターズ」の支援などを行っている。
シンクタンクにおける活動[編集]
協和協会理事長[編集]
詳細は「協和協会」を参照
公益財団法人協和協会の理事長をつとめる[267]。2010年11月26日に、三次元物理探査船の複数隻建造をめぐり、日本のあり方を考える発表会・意見交換会を開催し、日本の海洋法整備の遅れと中国の海洋権益に対する動きについて指摘した。3次元物理探査船による調査船建造は安全保障、国境画定、海洋権益等つまり国益に直結した問題であると重要性をアピールするとともに、複数隻建造の政治的決断を望みたいと総括した[268][269]。
日本国際フォーラム理事[編集]
詳細は「日本国際フォーラム」を参照
日本の民間政策シンクタンクである公益財団法人日本国際フォーラムの理事をつとめる[270]。政策提言の政策委員や緊急提言委員として、「緊急アピール『対露領土交渉の基本的立場を崩してはならない』(2009年4月30日)[271]や「日本国際フォーラム第32政策提言:積極的平和主義と日米同盟のありかた』(2009年10月)[272]、「日本国際フォーラム第33政策提言:外国人展望の受け入れと課題』(2010年11月)[273]、「日本国際フォーラム第35政策提言:膨張する中国と日本の対応』(2012年1月)[274]などに賛意を示し署名をしている。
世界開発協力機構総裁[編集]
詳細は「世界開発協力機構」を参照
福祉・学術・教育等で国際協力や支援活動等を行う「世界開発協力機構」(Worldwide Support for Development、2008年に特定非営利活動法人認可)の総裁を務める[275][276][277]。
2009年5月、BS11にて「北方4島返還を考える」をテーマにモデレーターをつとめ伊藤、丹波、袴田らと討論番組に出演し、その紙面広告の掲載を世界開発協力機構が支援した[278]。 2009年9月から2010年4年に開催されたカンボジア国際会議『ブリッジ』でチェアマンをつとめ、世界開発協力機構(WSD)が支援した[279]。
世界オピニオンリーダーズサミット[編集]
詳細は「世界オピニオンリーダーズサミット」を参照
特定非営利活動法人「世界開発協力機構」は世界オピニオンリーダーズサミットという国際会議を主催している[280]。深見と交友関係にある人物を中心に深見が招聘し[281][11]、世界のリーダーと世界平和貢献などを議論する国際会議とされる[11]。[282]
2013年9月6日、総裁を務めるWSD世界開発協力機構が主催で第1回世界オピニオンリーダーズサミットにモデレーターとして参加し、世界平和に貢献するためとして外交政策を議論した[281][282][283][284]。参加者は、スペシャルゲストとしてトニー・ブレア。ゲストは、高村正彦、ヒシャム・バドル(エジプト外務次官)、ブレンダン・スキャネル(アイルランド大使)、ラルフ・コッサ、伊藤憲一、平林博[285]。トニー・ブレアは深見と親交が深く[286]、参加者はいずれも深見と交友関係にある人物を深見が招聘したという[281]。
2013年11月16日、日米外交の主要人物7名を招いて第2回世界オピニオンリーダーズサミットが開催された[287]。第一部講演とモデレーターをつとめる。参加者は、ビル・クリントン[288]、コリン・パウエル、ジェイムズ・アンドリュー・ケリー、ラルフ・コッサ、藤崎一郎、小池百合子、伊藤憲一。第一部メインゲスト予定であった町村信孝は、出張先の北海道で寒波に襲われ搭乗便に乗れず[289][15]、急遽深見が第一部の基調講演もつとめた[88]。 ビル・クリントンは深見とともに「世界における今後の日本の役割」について話し、アベノミクスへの理解を示した[287]。海外も含めて多くの報道記者が取材し、世界に配信された[16]。
世界の若い議員と語り合う「グローバル・オピニオン・サミット」[編集]
2015年5月30日に、世界開発協力機構の主催で、列国議会同盟(IPU)との共催で、東京ビッグサイト国際会議場において『グローバル・オピニオン・サミット』を入場料無料で開催し[290]、深見が、司会兼モデレーターを総裁の半田晴久が務めた。IPUの議長や事務局長らが参加し、日本からは城内実・原口一博・平沢勝栄・松木謙公が参加し、副総裁の伊藤憲一がオブザーバーとなった[291]。
教育活動[編集]
カンボジア大学[編集]
詳細は「カンボジア大学」を参照
2003年に開学したカンボジア大学の総長を務める[275]。2006年1月より、同大学教授も務める[292]。
2004年4月30日に「Toshu Fukami Library」と名称変更した学内図書館がある。約50,000冊の蔵書があり、カンボジアで最良の図書館の一つとされている[293]。
2007年、フンセン首相と深見の名を冠した「サムデック・フンセン・ハンダ・ナショナル・スカラーシップ」にワールドメイトが資金提供し、毎年、成績優秀な学生500人が授業料無償で通学、学士の学位を取得できるようにした。2007年-2009年で各500人、計1500人採用した[294][295]。2012年以降は、総長名誉奨学基金(Chancellor’s Honors Scholarship Fund)の制度を設け、学術優秀者に授業料の全額免除を提供している。[296]
2008年12月、世界芸術文化振興協会の代表としてロイヤル・モニサラポン大十字勲章を受勲[7]。
浙江工商大学日本文化研究所[編集]
1998年9月から、中国国立浙江大学大学院日本文化研究所客員教授を、2007年9月に、浙江工商大学日本語言語文化学院日本芸術文化教授に就任し、現在は、浙江工商大学日本文化研究所日本芸術文化教授をつとめる[50][297]。講義のテーマは、「日本文化とその精神的背景」を専門に、能や書や日本画、俳句などの文化芸術を実演したり、 「日本神話と日本的経営」、「能『藤』にみる日本的神仏習合の芸術観」など、神道、仏教、儒教が日本文化に及ぼした影響に関する考察が中心である。[6]
有明教育芸術短期大学[編集]
2012年4月より、有明教育芸術短期大学芸術教養学科の声楽教授をつとめる。2014年5月より、インターネットテレビのHANDA.TVで、講義の一部を無料放映している。2015年時点で、名誉教授に就任している[298]。
カンボジア政府顧問・首相顧問・特別領事として[編集]
カンボジア王国首相顧問(オフィシャル・アドバイザー)と、カンボジア王国上級大臣級政府顧問をつとめる。
在福岡カンボジア王国名誉領事[編集]
在福岡カンボジア王国名誉領事をつとめる[1]。2009年より毎年、在福岡カンボジア王国名誉領事館で「半田スカラシップ カンボジア遊学生」を公募し、カンボジアに短期留学生を派遣している[299]。
ライブ、コンサート、イベント[編集]
年 | 出演形態 | タイトル | 公演日・会場 | 備考 |
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1991年 | ソロヴァイオリン演奏 | 弦楽四重奏「スターライト・イン・パース」 | 3月30日 パース(オーストラリア) | 演奏曲『荒城の月』共演:ラ・プレシューズ(弦楽四重奏)。初めての、ヴァイオリンのソロ演奏[300] |
コンサート:歌 | デイヴィッド・ヘルフゴットを迎えてのコンサート | 9月22日 大宮ソニックシティ大ホール(埼玉県) | 『サンタ・ルチア』により歌手として舞台デビューを果たす。デイヴィッド・ヘルフゴットが初来日し、ライブ演奏を行う。その映像は、世界で唯一現存するライブ映像である[92]。近衛秀健指揮、ヘルフゴット伴奏で、『サンタ・ルチア』をイタリア語原曲で歌い、歌手として舞台デビューを果たす[113]。 | |
舞・総監督 | オラトリオ「天地創造 日本誕生」 | 12月29日 三重県伊勢市 | ||
1992年 | コンサート:歌 | 雨の鹿島の野外コンサート | 6月20日 鹿島神宮 | 自身が作詞作曲した『鹿島灘にて』を歌唱。 |
歌・剣舞 | 「シンフォミエッタ熊野」 剣舞「黎明」 | 10月2日 熊野本宮大社黎明殿 | 初めての、剣舞での出演[301] | |
歌・能管・舞 | オペラバレエ「やまとは国のまほろば」 | 12月30日 阿児アリーナホール(三重県) | 出演:横瀬バレエ団。初めての、能管のソロ演奏[302] | |
1993年 | ラジオ公開収録&コンサート:歌 | "SEIZAN KENZAN & mamiのRADIかるコミュニケーション SPECIAL"公開録音 「日本の心」HEART TO HEART | 2月14日 名古屋テレピアホール | |
"SEIZAN THIS WAY"公開録音 「セイザン&ダ・カーポ 日本の心をうたう」 |
4月11日 大手門会館大ホール(福岡市) | ゲスト:ダ・カーポ | ||
バレエ(ソリスト)・総監督 | オペラバレエ「天の安河のうけひ」 | 12月28日 阿児アリーナホール(三重県) | バレエソリスト:マイヤ・プリセツカヤ、指揮:近衛秀健、管弦楽:東京国際フィルハーモニーオーケストラ、共演・横瀬バレエ団。初めての、クラシックバレエでの出演[303] | |
1994年 | ラジオ公開録音&コンサート:歌 | "さわやかTHIS WAY"公開録音 | 2月6日 山口南総合センター(山口県) | 司会:鈴木弘子 |
歌・指揮・バレエ | 七福神 ウィーンを巡る | 3月26日 大阪サンケイホール | チケット収入は三恵園(障害者の高齢者施設)と盲導犬や盲動施設に寄付。ゲスト:菅原洋一、演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、出演:横瀬バレエ団。
オーケストラの指揮者デビュー[304] | |
指揮 | 鹿島野外セレモニーコンサート | 6月25日 鹿島灘 | 演奏:シエナ・ウインド・オーケストラ | |
コンサート:歌・指揮・バレエ・ヴァイオリン | 真夏の夜のイリュージョン | 7月4日 川口リリアホール(埼玉県) | チケット収入は盲人写真展と日本盲人職能開発センターに寄付。ゲスト:ライナー・ホーネック、ホセ・フェリシアーノ。ウィーン・フィルのコンサートマスターと、初めてのヴァイオリンの合奏[305] | |
コンサート:歌 | ベルリン・フィルのメンバーとの夕べ | 10月9日 箱根神社 | ゲスト:ベルリンフィルトップメンバー10名、杉山紀子(チェンバロ) | |
コンサート:歌・指揮・総監督 | AROUND THE WORLD | 11月18日 ロイヤル・アルバート・ホール(ロンドン) | チケット収入は王立盲人協会と白血病児童救済基金へ寄付し、エリザベス2世から感謝状授与。ゲスト:エレイン・ペイジ、サフリ・デュオ、ジュリー・クーパー、イングヴ・ガソイ他。初めての、外国での指揮者デビュー[306] | |
バレエ(ソリスト)・指揮 | クリスマスコンサート | 12月23日 大宮ソニックシティ大ホール(埼玉県) | ||
クリスマス ドラマティックコンサート | 12月25日 フェスティバルホール(大阪府) | チケット収入はシアヌーク病院(カンボジア無料救急病院)設立基金へ寄付。ゲスト:ゲーリー・カー、ハーモン・ルイス 演奏:シエナ・ウインド・オーケストラ | ||
1995年 | コンサート:指揮・総監督 | 箱根より大宇宙への旅立ち | 10月10日 箱根神社 | |
1996年 | コンサート:歌・指揮・舞・総監督 | 中東和平コンサート | 4月26日 かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール(東京都) | チケット収入は「パレスチナ子供のキャンペーン」へ寄付。ゲスト:栗林義信、ロバート・ホワイト、ヘルガ・グラツォール |
能「猩々」シテ | 能「高砂」「猩々」 狂言「棒縛」 | 6月29日 鹿島 | 能「高砂」シテ:宝生英照(宝生流宗家) | |
バレエ(プリンシパルダンサー) | 薪バレエ「浜辺に集う妖精たち」 | 演奏:ストリングス・アンサンブル | ||
コンサート:歌・指揮・総監督 | 女神を迎えるコンサート | 10月10日 箱根神社神楽殿 | ゲスト:佐々木弐菜、岡田京子、上泉りく子 | |
能「羽衣」シテ(天人) | 芸術の秋 演能鑑賞会 | 11月9日 宝生能楽堂(東京都 水道橋) | 能「土蜘蛛」シテ(僧形のもの・土蜘蛛の精):宝生英照(宝生流宗家)
演目:能「羽衣」「土蜘蛛」 狂言「二人袴」 | |
コンサート:歌・指揮・総監督 | 世界を華麗な舞台に All the World's a Stage | 11月18日 カーネギー・ホール(ニューヨーク) | ゲスト:サイ・コールマン、バーバラ・クック、ネイサン・レイン、ルー・ダイアモンド・フィリップス、栗林義信他
チケット収入は「ナショナル・アライアンス・フォー・エクセレンス」(奨学団体)「バラエティ」(NYの児童福祉団体)へ寄付。 | |
1997年 | 歌・指揮・総監督 | New Year Gala Concert | 1月8日 セント・ジョンズ・スミス・スクエア(ロンドン) | ゲスト: ロザリンド・プローライト、栗林義信他 演奏:イギリス室内管弦楽団
チケット収入は「英国白血病児童救済基金」へ寄付。 |
オペラ「俊寛」平判官入道康頼役、剣舞、謡、総監督 | よみがえる日本の心 オペラと能の鑑賞会 | 3月21日 熊野本宮大社旧社殿跡地(和歌山県) | オペラと能とバレエの主役を一つの薪能舞台で演じる。
第二夜 演目:能「竹生島」「巻絹」 狂言「仏師」 能「巻絹」シテ(巫女):宝生英照(宝生流宗家)ほか。[120][307][308] | |
能「竹生島」シテ(龍神・漁翁) | 3月22日 熊野本宮大社旧社殿跡地 | |||
能「西王母」シテ(西王母) | 鹿島灘薪能と野外オペラの鑑賞会 第1夜「薪能と狂言の夕べ」 |
6月27日 鹿島灘(茨城県) | 演目:能「西王母」 半能「石橋」 狂言「附子」 | |
オペラ「魔笛」ザラストロ役、プリンシパルダンサー、総監督 | 鹿島灘薪能と野外オペラの鑑賞会 第2夜「野外オペラと創作バレエの夕べ」 |
6月28日 鹿島灘(茨城県) | 演目:オペラ「魔笛」、創作バレエ「顕現」 | |
オラトリオ「七福神来天」毘沙門天役 | 薪能とガラ・コンサート | 10月10日 箱根神社 | オラトリオの主役と能の主役を同じ舞台で演ず[310] | |
能「橋弁慶」シテ(弁慶) | 演目:能「翁」「橋弁慶」 狂言「寝音曲」
能「翁」シテ(翁):宝生英照(宝生流宗家)他出演 | |||
コンサート:歌 | 深見東州 チャリティーリサイタル | 12月15日 光が丘IMAホール(東京都) | ゲスト:岩井理花
チケット収入は「シアヌーク病院」(カンボジア)へ寄付。 | |
1998年 | ラジオ公開録音&コンサート:歌 | "SEIZAN THIS WAY"公開録音 「一人一曲ニューイヤーリサイタル」 |
1月27日 カザルスホール(東京都) | 司会:鈴木弘子
チケット収入はシアヌーク病院へ寄付。 |
コンサート:歌 | Arts on the Edge | 4月3日 エディス・コーエン大学(オーストラリア) | グレゴリー・ユーリシッチ(バリトン)他出演 | |
祝言「高砂」シテ(住吉明神) | 初夏の神道能 | 6月6日 井草八幡宮(東京都) | 演目:祝言「高砂」 能「翁」 狂言「柿山伏」
能「翁」シテ(翁):宝生英照(宝生流宗家)他出演 | |
能「高砂」前シテ(尉)・後シテ(住吉明神) | 第1回 東京大薪能 | 6月26日 東京都庁舎都民広場 | 演目:能「高砂」「七人猩々」 狂言「六地蔵」 | |
コンサート:歌・指揮・総監督 | London Summer Concert | 7月14日 セント・ジョンズ・スミス・スクエア(ロンドン) | 演奏:イギリス室内管弦楽団 | |
能「養老」シテ | 笛の会 | 7月29日 矢来能楽堂(東京都) | 能「養老」後見:宝生英照(宝生流宗家)初めての、能の笛方としてのデビュー[311] | |
舞囃子「胡蝶」笛方 | 7月30日 矢来能楽堂 | 一噌流笛方として演奏する | ||
ラジオ公開録音&コンサート:歌 | "SEIZAN THIS WAY"公開録音 「二十世紀を代表する日本の声楽家達のガラ・コンサート」 |
8月20日 カザルスホール(東京都) | 司会:鈴木弘子 出演:栗林義信ほか
チケット収入はシアヌーク病院へ寄付。 | |
コンサート:歌・指揮 | 光は東方より 深見東州作曲作品演奏会 | 11月10日 光が丘IMAホール(東京都) | ||
1999年 | 能「石橋」シテ | 宝生東州会 第一回全国大会 | 3月12日 国立能楽堂 | ほか、仕舞「藤」シテ 素謡「鶴亀」シテ・「橋弁慶」 シテ 付祝言「高砂」も演じる。 |
半能「藤」シテ プリンシパルダンサー・生け花・総監督 | 藤の花咲く能バレエの夕べ ~能「藤」 創作バレエ「日本蘇生」~ | 4月25日 日本青年館 | 能「藤」後見:宝生英照(宝生流宗家)。初めての、能と生け花とバレエの主役としての出演[312]。 | |
プリンシパルダンサー・生け花・総監督 | 藤の花咲くバレエ生け花~創作バレエ「日本蘇生」~ | 5月1日 熊野本宮大社 | バレエミストレス:吉沢真知子 | |
仕舞「高砂」シテ | 京劇入門 拝師の儀 | 5月11日 人民大会堂(北京) | 中国京劇界・武生泰斗王金路の弟子として迎えられる拝師の儀にて、仕舞を披露[114][313][149]。 | |
能「藤」シテ | 能「藤」 | 5月30日 宝生能楽堂(東京都) | 能「藤」後見:宝生英照(宝生流宗家) | |
A Celebration of Noh Theater | 6月1日 メトロポリタン美術館(ニューヨーク) | 半能「石橋」シテ(白獅子):宝生英照(宝生流宗家)[314][注 30][189] | ||
6月2日 国連本部ビル・正面玄関前広場(ニューヨーク) | ||||
ラジオ公開録音&コンサート:歌 | "SEIZAN THIS WAY"公開録音 「日中文化交流 チャリティー ガラ・コンサート」 |
7月27日 カザルスホール | 司会:鈴木弘子 出演:栗林義信ほか
チケット収入はシアヌーク病院へ寄付。 | |
仕舞「鶴亀」シテ | 日本寳生流 能樂 | 8月3日 浙江音楽庁(中国浙江省杭州市) | 流派家元による中国大陸初の能楽公演[189][315] | |
能「岩船」シテ | 第二回東京大薪能 | 9月28日 東京都庁舎都民広場 | 演目:能「岩船」「紅葉狩」 狂言「梟」[189]能「紅葉狩」シテ:宝生英照(宝生流宗家)他出演 | |
唐王(中国語)・土蜘蛛(能装束にて能楽の形式)・釈迦(中国語にて京劇の一節を歌う)の一人3役 | 新作「西遊記・孫悟空」 | 10月26日 メルパルクホール(東京都) | 世界初の能と京劇とバレエとのコラボ(融合演劇)[163][114][316] | |
能「岩船」 仕舞「高砂」 | An evening Performance of Noh and Japanese Art Exhibit | 11月11日 HANDA NOH THEATER(ロンドン大学ロイヤル・ホロウェー校) | 英国初(海外では仏に続いて二番目)の演能施設「HANDA NOH THEATER」寄贈の際の、記念演能会[317] | |
コンサート:歌・司会・総監督 | 日本・オーストラリア ガラコンサート | 11月17日 東京オペラシティコンサートホール | 出演:栗林義信ほか | |
京劇「虹橋贈珠(こうきょうぞうしゅ)」二郎神役 | クリスマスコンサート 新作「虹橋贈珠」 | 12月23日 東京オペラシティコンサートホール | [114] | |
2000年 | コンサート:歌・指揮 | 深見東州 49歳のバースデーコンサート | 3月18日 朝日生命ホール(東京都新宿区) | |
能「乱」シテ | 第二回宝生東州会東日本大会 | 4月16日 国立能楽堂 | ||
コンサート:歌 | 長城の春音楽会(呂遠作品) | 5月28日 万里の長城「天下第一関」(中国) | 長城の春は呂遠(中国国家第一級作曲家)の曲を歌うコンサート。自身が作詞し呂遠が作曲した曲を歌った。また、大学のコンサートの前には、精華大学にて日本経済に関する講義を行う[176] | |
中日友好交流演唱会 | 5月29日 精華大学 | |||
中外著名音楽家演奏会 | 5月30日 北京 | 演奏:中国国家交響楽団 | ||
京劇「古城の再会」関羽役 | 京劇「古城の再会」 | 7月16日 八王子市民会館大ホール | 劉備役:程波ほか出演 | |
指揮・歌 | 第五回 中国国際合唱節 | 7月22日 北京音楽庁(中国) | 自ら作曲した『楠木正成のバラード』を指揮し、『昴』を合唱する。合唱節名誉顧問として祝辞も述べる。 | |
白龍役・総指揮 | 創作 能・バレエ「羽衣」 | 8月31日 東京国際フォーラムコンサートホール | 出演:マイヤ・プリセツカヤ
西洋のバレエと東洋の能の融合によるまったく新しい舞台芸術[164]。バレエと能の演技がファンタジックに交錯する斬新で[191]画期的な舞台であった[164]。 | |
能「乱」シテ | 日本宝生流能楽 北京公演 | 9月5日 北京大学(北京) | 北京初の本格的な能楽公演[190] | |
中国戯曲学院50周年 日本宝生流能楽 | 9月6日中国戯曲学院(北京) | |||
能「土蜘蛛」シテ | 第三回東京大薪能 | 10月17日 東京都庁舎都民広場 | 能「黒塚」シテ(白頭):宝生英照(宝生流宗家)[318] | |
歌 | IFACオーストラリアンシンギングコンペティション | 10月28日 パース(オーストラリア) | ||
春雷小学開学典礼(開校式コンサート) | 11月14日 春雷小学校(中国湖南省) | 出演:姜昆。中国語で「昴」「草原情歌」を歌う。 | ||
2001年 | コンサート:歌 | 深見東州 50歳のバースデーコンサート | 3月18日 イイノホール(東京都 虎ノ門) | ゲスト:グレゴリー・ユーリシッチ(バリトン)ほか |
半能「石橋(連獅子)」シテ(白獅子) | エジプトスフィンクス薪能 | 6月1日 ギザの大スフィンクス前広場(エジプト) | スフィンクスの前での演能は史上初[注 31][319][192][193][194] | |
宝生東州会全国大会 | 7月27日 香里能楽堂(大阪府) | 7月27日-29日の三日間にわたり、宝生東州会全国大会が開催された。 | ||
舞囃子「鞍馬天狗」シテ | 7月28日 宝生能楽堂 | |||
能「石橋(連獅子)」シテ(連獅子の白獅子) | 7月29日 宝生能楽堂 | |||
石宏図「東瀛観劇録」出版記念公演 | 9月19日 中国児童劇場(北京) | 能「石橋(連獅子)」のほか、京劇や昆劇の公演もあった | ||
第四回東京大薪能 in お台場 | 9月21日 潮風公園太陽の広場(東京都 お台場) | 能「石橋」後見&能「井筒」シテ:宝生英照(宝生流宗家) | ||
指揮 | IFACオーストラリアンシンギングコンペティション | 10月31日 シドニーオペラハウス(オーストラリア) | ||
コンサート:歌 | つるとコアラのコンサート | 11月29日 カザルスホール | 出演:グレゴリー・ユーリシッチ(バリトン) | |
ファッションショー | T.Fukami ファッションショー | 12月5日 TFTビルBホール(東京都 有明) | 初めての、単独でのファッションショー[320] | |
コンサート:歌 | クリスマスコンサート | 12月24日 日本青年館(東京都 新宿) | ||
2002年 | Musician Across The World
A New Year Celebration |
1月19日 セント・ジョンズ・スミス・スクエア(ロンドン) | 出演:ダイアナ湯川 | |
京劇「漢津口(はんじんこう)」関羽役 | 深見東州・バースデーイブ京劇 「漢津口」 | 3月17日 日本青年館大ホール | 馬童役:劉東風 | |
コンサート:歌 | 武生国際音楽祭 2002 チャリティーコンサート | 6月12日 武生市文化センター(福井県越前市) | 出演:栗林義信。武生府中ロータリークラブ創立二十五周年を記念、福井新聞社後援。らと共演し、収益金をシアヌーク病院に寄付[137] | |
能「翁」シテ | 宝生東州会全国大会 | 8月4日 宝生能楽堂 | ||
鹿島神宮御船祭「薪能」 | 8月6日 鹿島神宮 | 鹿島神宮での歴史上、初めての薪能[321][322]、境内は立ち見客で身動きできないほどだった[195] | ||
京劇「漢津口」関羽役 | 黒龍江省京劇院 日本友人深見東州先生総合演出 | 8月13日 黒竜江省京劇院(ハルピン市) | [150] | |
国際京昆アマチュアテレビ大コンクール決勝戦 | 8月15日 中国中央電視台 | 中国中央電視台主催大会。参加者1000人中金龍賞(最も優れている賞)受賞。金龍賞受賞者25名のうち、特に優秀な8組に選ばれ、さらに8組の中でトリを務める。このコンクール公演での芸術性が評価され、中国国家二級京劇俳優に認定される。また、「日本第一の関羽」と呼ばれる[45] | ||
国際京昆アマチュアテレビ大コンクール授賞大会 | 8月23日 中国中央電視台 | |||
コンサート:歌 | Special Opera Concert | 9月15日 日本青年館大ホール | グレゴリー・ユーリシッチ(バリトン)ほか出演 | |
能「翁」シテ | 第五回東京大薪能 in お台場 | 9月27日 テレコムセンター(東京都) | 演目は、能「金札」と狂言「柿山伏」[197] | |
指揮 | 2002 Australian Singing Competition | 10月31日 パースコンサートホール(オーストラリア) | ||
オペラ「聖徳太子」聖徳太子役 | オペラ「聖徳太子」~和を以て貴しとなす~ | 11月14日 新宿文化センター大ホール | 初めての、グランド・オペラでのタイトルロールの主役[323]。古代史上の人物で日本人に最もなじみ深い聖徳太子の思想と行動をエンターテインメントふうに描いたオペラ[121]であり、オペラと能楽の融合作品[324]。 | |
コンサート:ソリスト | レクイエム コンサート | 12月31日 三重県伊勢市 | ||
2003年 | 指揮 | Australia Day Concert | 1月23日 パースコンサートホール(オーストラリア) | 『日豪芸術交流祭』で開催した。演奏:134 musicians of Australian Youth Orchestra |
京劇「漢津口」関羽役 | 梅蘭芳京劇団 Australian Performance Season | 2月5日~7日 シドニー・オペラハウス(オーストラリア) | 初めての、シドニーオペラハウスにおける京劇公演[325] | |
コンサート:歌 | 深見東州52歳バースデー・サーカスコンサート | 3月18日 かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホール | 初めての、サーカスとオーケストラと歌との共演[326] | |
能「鶴亀」シテ(皇帝) | 宝生東州会 五周年記念大会 | 8月3日 宝生能楽堂 | ||
オペラ「椿姫」ジェルモン(慈兵衛流門)役 | オペラ「元禄のトラヴィアータ」[118] | 9月15日 新宿文化センター大ホール | 初めての、イタリア語でのオペラ出演[327]。19世紀パリを舞台にしたヴェルディの「椿姫」を17世紀初頭の江戸にうつし、美しい花魁の悲恋物語に仕立てたオペラ[117] | |
能「鶴亀」シテ(皇帝) | 第六回東京大薪能 in お台場 | 9月30日 潮風公園太陽の広場 | 東京の夜景とレインボーブリッジの光をバックに幽玄の美を堪能[198]。 | |
コンサート:歌 | 栗林義信先生の古希をお祝いするコンサート | 11月15日 東京文化会館大ホール | 栗林義信ほか出演 | |
中日濠歌唱家共演 经典歌剧之夜 | 12月1日 民族文化宮大劇院(北京) | グレゴリー・ユーリシッチ(バリトン)ほか出演[122][123] | ||
2004年 | コンサート:ソリスト | 旧暦の年末第九コンサート | 2月1日 東京厚生年金会館大ホール | 初めての第九のソリストデビュー[328] |
半能「田村」シテ(坂上田村麻呂の霊) | 十周年記念 崇寶会 | 3月6日 国立能楽堂 | ||
コンサート:歌 | 深見東州53歳のバースデー記念 バースデーコンサート | 3月18日 第一生命ホール(東京都) | 栗林義信ほか出演 | |
オペラ『楊貴妃』赤雄役 | オペラ『楊貴妃』 | 5月30日 天橋劇場(中国北京) | 初めての中国語によるオペラ出演、中国歌劇舞劇院の歌劇団、管弦楽団出演[118][125][126][127][329]。 | |
半能「田村」シテ(坂上田村麻呂の霊) | 第六回宝生東州会 全国大会 | 8月8日 梅若能楽学院会館(東京都東中野) | ||
オペラ『ラ・ボエーム』マルチェッロ(麿千絵浪)役 | オペラ『大正時代のボエーム』[118] | 9月2日 ゆうぽうと簡易保険ホール(東京都 五反田) | プッチーニの「ラ・ボエーム」が描く1830年代のパリの青春群像を、日本の大正時代に舞台を置き換えたオペラ。大正ロマンティシズムなど自由な文化が花開いた大正時代を背景に、「青春」をキーワードに日本人の心模様を表現した[124]。 | |
半能「田村」シテ(坂上田村麻呂の霊) | 第七回東京大薪能 | 9月15日 東京都庁舎都民広場 | ||
コンサート:歌 | オラトリオ メサイア | 11月21日 八王子市民会館大ホール | 初めてのメサイアのソリストデビュー[330] | |
クリスマスチャリティーコンサート | 12月23日 日本青年館大ホール | |||
2005年 | 舞囃子「鞍馬天狗」シテ(天狗) | 舞囃子「鞍馬天狗」 | 1月23日 ニューピアホール | |
半能「鞍馬天狗」シテ(天狗) | 崇寶会 | 3月6日 セルリアンタワー能楽堂 | ||
第七回宝生東州会 全国大会 | 8月7日 宝生能楽堂 | |||
第八回東京大薪能 in お台場 | 8月10日 テレコムセンターアトリウム | 演目:半能「鞍馬天狗」、能「忠信」、狂言「樋の酒」 | ||
オペラ『フィガロの結婚』マルチェッロ(日賀朗)役 | オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』[118] | 9月15日 ゆうぽうと簡易保険ホール | モーツァルトの「フィガロの結婚」の舞台となる伯爵邸を雛飾りに見立てた作品[128]。 | |
オペラ『楊貴妃』赤雄役 | オペラ『楊貴妃』 日本公演 | 10月19日~20日 新宿文化センター大ホール | 中国古典オペラの初の国際講演[129][130] | |
コンサート:歌 | クリスマスチャリティーコンサート | 12月23日 さいたま市民会館おおみや大ホール | 曲目:ベートーヴェン作曲交響曲第九番第四楽章、ハレルヤコーラスなど | |
2006年 | 半能「鞍馬天狗」シテ(天狗) | アンコールワット薪能 | 1月23日 アンコール・ワット前 特設能舞台(カンボジア) | 演目:半能「鞍馬天狗」、能「羽衣」、狂言「棒縛」
後援:カンボジア政府[331] |
袴能「項羽」シテ(項羽) | 第八回宝生東州会 全国大会 | 8月6日 宝生能楽堂 | ||
指揮 | 第二回(中国・東州杯)世界漢語合唱大会 | 8月22日 北京音楽庁(北京) | 中国語を母国語とする人のみならず、日本語、英語、タイ語を母国語とするグループも出場。自身が作詞した「共同祈祷(コントンターチオ、みんなの願い)」を指揮し、合唱出演者全員で歌う[332] | |
コンサート:歌 | 真夏の夜の第九コンサート | 8月27日 八王子市民会館 | 曲目:ベートーヴェン作曲交響曲第九番第一楽章-第四楽章(合唱付き)、オーケストラ演奏など | |
オペラ『リゴレット』リゴレット(詈業劣徒)役 | オペラ『リゴレット』 in ジャパン | 9月16日 新宿文化センター大ホール | ヴェルディ作曲『リゴレット』の救いようのない結末を日本文化で咀嚼し、「滅びの美学」へ昇華させた新演出作品。 | |
半能「項羽」シテ(項羽) | 第九回東京大薪能 in お台場 | 9月27日 テレコムセンター1Fアトリウム | 演目:半能「項羽」、能「楊貴妃」、狂言「呼声」 | |
中国文化フェスティバル特別講演 世界初・薪能と薪京劇の競演 | 11月19日 六本木ヒルズアリーナ | 「薪能と薪京劇」の競演は世界初[333]。曲目:京劇「白猿献寿」、昆劇「長生殿 楊貴妃」、京劇「項羽」、能「楊貴妃」、半能「項羽」 | ||
ファッションショー | 中国文化フェスティバル 2006 中国スーパーモデルファッションショー |
11月27日 東京プリンスホテルパークタワー、翌28日六本木ヒルズ | [167][168] | |
コンサート:歌 | クリスマスチャリティーコンサート | 12月24日 八王子市民会館 | 栗林義信ほか出演 | |
2007年 | コンサート:歌 | 廣田神社奉納演奏 | 4月27日 廣田神社(兵庫県西宮市) | 曲目:「地上の星」、「赤いスイートピー」、「いい日旅立ち」、「卒業写真」、「霧の摩周湖」、「千の風になって」ほか |
鹿島神宮奉納演奏 | 6月29日 鹿島神宮 | 曲目:「イマジン」、『好きにならずにいられない』、「涙そうそう」、「さくら(独唱)」、「シクラメンのかほり」ほか | ||
オペラ『ファルスタッフ』ファルスタッフ(春舌夫)役 | オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』[118] in ジャパン |
9月16日 東京文化会館大ホール | 14世紀初頭のイギリスから、日本の江戸時代に舞台を移した新演出作品。旅籠屋ガーター亭にて幕が開ける。幕の中には、江戸時代の浮世絵なども取り入れられた。 | |
コンサート:歌 | 箱根神社奉納演奏 | 10月13日 箱根神社 | 曲目:「アジアの純真」、「少年時代」、「乾杯」、「宇宙戦艦ヤマト」、「千の風になって」ほか | |
2008年 | オペラ『ファルスタッフ』ファルスタッフ(春舌夫)役 | オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』[118]in ジャパン | 9月19日・9月21日 新宿文化センター大ホール | |
コンサート:歌 | Special Opera Concert | 11月29日 熊谷会館(埼玉県熊谷市) | ||
2009年 | 総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイム | 第1回明るすぎる劇団・東州定期公演 | 3月18日 光が丘IMAホール(東京都) | 初めての、パントマイム出演 |
3月21日 阪南市サラダホール | ||||
オペラ『ドン・ジョヴァンニ』ドン・ジョヴァンニ(貪・女蛮兄)役 | オペラ『ゼウスの化身 怪人ドン・ジョヴァンニ』[118] | 9月27日・9月30日 新宿文化センター大ホール | ドン・ジョヴァンニをゼウスに見立て、舞台も、ギリシアから日本の戦国時代、現代の秋葉原、東京タワーなどと展開し、世界初の演出が随所に盛り込まれた[119]。 | |
2010年 | 総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイム | 第2回明るすぎる劇団・東州定期公演 | 9月7日~8日 浅草公会堂 | |
オペラ『ナブッコ』ナブッコ(名武鼓)役 | オペラ『ナブッコ』・我が愛する地球よ! | 9月24日・9月26日 新宿文化センター大ホール | 演奏:ソルノク市立交響楽団、アビガイッレ(阿鼻我逸礼)役:マリー・テ・ハプクなど | |
コンサート:歌 | IFAC ガラコンサート | 9月28日 新宿文化センター大ホール | コンサートの収益金をカンボジア赤十字社等に寄付[138] | |
2011年 | クリスマス・コンサート | 12月23日 EBIS303 | [154] | |
2012年 | 総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイム | 第3回明るすぎる劇団・東州定期公演 | 4月20日~21日 浅草公会堂 | [155] |
オペラ「ドン・パスクワーレ」ドン・パスクワーレ役 | 第1回 グランドオペラ Japan 「ドン・パスクワーレ」 |
9月21日・9月23日 新宿文化センター大ホール | 初めてのオペラ・オーストラリアとの共作[133][334]。後援:外務省、文化庁、東京都 | |
ライブ | MICHAEL BOLTON LIVE IN CONCERT 2012 | 10月26日 マリーナベイ・サンズ(シンガポール) | マイケル・ボルトンとの共演[86] | |
2013年 | 音楽監督・芸術監督・漫談 | コジ・ファン・トゥッテ | 3月22日 五反田ゆうぽうとホール | 出演:コナル・コード、大貫裕子、岩井理花、高野秀峰、アンナ・ドースリー、ヴィルジリオ・マリノ、ジェイソン・バリー−スミス、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、明るすぎる劇団・東州 |
総合プロデュース・原作・演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイム | 第4回明るすぎる劇団・東州定期公演 | 4月13日~14日 浅草公会堂 | ||
ライブ | 深見東州と世界の友人コンサートツアー in 名古屋 with ジミ・ジェイミソン |
5月21日 名古屋市民会館フォレストホール | 初めての、ダブルバンドによるロックコンサート | |
深見東州と世界の友人コンサートツアー 日本武道館 with マイケル・ボルトン and ピーター・セテラ |
9月5日 日本武道館[147] | 初めての、トリプルバンドによるロックコンサート | ||
コンサート:バリトン | 東京国際コンサート | 9月10日 なかのZERO大ホール | 国際交流を目的としキリ・テ・カナワ、コナール・コードらと共演[335]。 | |
ディナーショー | 深見東州 クリスマス・チャリティー・ディナーショー | 12月11日 ホテル日航東京大宴会場・ペガサス | 収益は全額ネルソン・マンデラ・チルドレンズ・ファンドに寄付された[336]。 | |
2014年 | ディナーショー | 深見東州 お上品飯食いショー! 〜西洋ではディナーショーと呼ぶらしい〜 |
3月21日 ホテル日航東京大宴会場・ペガサス | |
バリトン | 第2回東京国際コンサート | 6月18日 新国立劇場 | 共演:ルネ・フレミング、コナル・コード、ロベルト・アバド[90] | |
ロックコンサート | 深見東州 単独 進撃の阪神 ロック・コンサート!! 大阪公演 | 7月29日 オリックス劇場(大阪府大阪市) | ||
進撃の阪神巨人 ロックコンサート!! 日本武道館 | 9月26日 日本武道館 | ジョー・リン・ターナー、ボビー・キンボール、ミッキー・トーマス、スティーヴ・オージェリーと東州ロック5人組を形成[139][337] | ||
バリトン | 秋に燃ゆる 国民のコンサート! | 10月6日 新国立劇場中劇場 | ゲスト:大貫裕子、コナル・コード、ジョン・ロングミュアー、アルプス合唱団。指揮:高野秀峰[338] | |
総合プロデュース・原作:演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイム | 第5回明るすぎる劇団・東州定期公演 | 10月11日~12日 新国立劇場 | [99] | |
演歌コンサート | 進撃の阪神巨人 演歌コンサート!! | 11月14日 渋谷公会堂 | 共演:小林旭[99][140] | |
ディナーショー | X'mas チャリティ・プロレス・ディナーショー! | 12月9日 椿山荘[141][142] | ||
2015年 | ジャズ | 新春 ジャズの一人祭典! | 1月15日 中野サンプラザホール | |
グループサウンズ、フォーク | 深見東州 グループサウンズ&フォークの一人祭典!! | 4月8日 Zeppダイバーシティ東京 | ||
コンサート:歌 | 深見東州 全部オリジナル曲コンサート!! | 4月10日 Zeppダイバーシティ東京 | ||
バリトン | 第3回東京国際コンサート | 6月15日 新国立劇場 | 共演:ホセ・カレーラス、コナル・コード | |
総合プロデュース・原作:演出・脚本・衣装・音楽・歌・幕間コンサート | 第6回明るすぎる劇団・東州定期公演 | 7月5日~6日 新国立劇場 | ||
バリトン | 第4回東京国際コンサート | 8月26日 東京国際フォーラム | 共演:プラシド・ドミンゴ、ヴァージニア・トーラ、ミカエラ・エステ。指揮:ユージン・コーン[339][340] | |
コンサート:歌 | 深見東州の武道館単独! 老若ニャンニャ、好みのアレレ、音楽のジャンル・ダルクに関係なく、チャメチャメ楽しいコンサート! | 9月19日 日本武道館 | ||
バリトン | 第2回秋に燃ゆる 国民のコンサート! | 11月15日 新国立劇場中劇場 | ゲスト:大貫裕子、ジョン・ロングミュアー、ロリーナ・ゴア、タニア・フェリス、アルプス合唱団。指揮:高野秀峰 | |
2016年 | コンサート:歌 | バースデーフェスティバル第1弾 深見東州と、友人達のコンサート | 3月17日 舞浜アンフィシアター(千葉県浦安市) | ゲスト:キャサリン・ジェンキンス、デイヴィッド・フォスター、ピーター・セテラ、メラニー・チズム、ベイビーフェイス・エドモンズ |
総合プロデュース・原作:演出・脚本・衣装・音楽・幕間パントマイム | 第7回明るすぎる劇団・東州定期公演 | 5月14日~15日 新国立劇場 | ||
ライブ | 深見東州単独!武道館・オリジナルソングコンサート | 7月21日 日本武道館 | ||
コンサート:歌 | 第5回東京国際コンサート | 7月27日 新国立劇場オペラパレス | 共演:アンジェラ・ゲオルギュー | |
コンサート:歌 | 第3回湯豆腐のように美味しい、国民のコンサート!〜日本歌曲の夕べ〜 | 10月27日、29日 新国立劇場中劇場 | ||
コンサート:歌 | クリスマス・絵画コンサート時計展 | 12月19-21日 ホテル椿山荘東京 | 共演:Miracle Vell Magic他 | |
2017年 | ジャズディナーコンサート:歌 | ウォッチオーナーズ ジャズ・ディナー・コンサート! | 6月28日 コットンクラブ(丸の内) |
展覧会[編集]
年 | タイトル | 公演日・会場 | 備考 |
---|---|---|---|
1997年 | 深見東州 初の書画展 | 9月21日-23日 アートフォーラム六本木 | [10] |
1999年 | ロンドン大学 演能~書画展 | 11月11日 ロンドン大学 ロイヤル・ホロウェイ校 | |
書画展 | 12月1日-14日 Grant Gallery(ニューヨークソーホー) | ||
2000年 | チャリティ「二人展」 | 1月25日-30日 青山アミーホール | |
深見東州 日本書画展 | 5月21日-31日 紫禁城太廟(北京) | 主催:中華人民共和国文化部[176] | |
2001年 | 深見東州 チャリティ書画展 | 3月19日-24日 大森ベルポート | 会場で水墨画の実演を行う[10] |
スーパーメルヘンファンタスティック華展 | 3月20日-24日 大森ベルポート | ||
日中名人深見東州・袁煕坤(えんきこん)美術作品展 | 7月9日-15日 北京金台美術館(北京) | [177][341] | |
大英図書館収蔵記念「現代書家の名品と平成の佐竹本三十六歌仙」展 | 10月29日 王子ペーパーギャラリー銀座 | 大英図書館永久所蔵作品の書・『恕』を展示。 「日本の伝統芸術21世紀展実行委員会」の副会長として、展覧会を主催。 | |
An Exhibition of the Arts of calligraphy | 11月1日 アレクサンダー図書館ビル(パース) | ||
2002年 | 深見東州アート驚く作品展 | 3月18日-22日 東京国際フォーラム | |
東アジア美術交流祭2002・北京展 | 11月8日-13日 日中友好会館(東京都文京区) 11月19日 中華世紀壇(北京) |
「太平洋のご来光」等を出品[178] | |
2003年 | 東州・麦州二人展 | 1月23日-28日 パースコンサートホール(オーストラリア) | 『日豪芸術交流祭』で開催し、展示作品が「西オーストラリア州芸術文化大臣賞」「パース市長賞」「審査員最優秀賞」の3賞を同時受賞。 |
絵絵っと驚く作品展 | 3月19日-25日 テレコムセンター(お台場) | ||
2004年 | 見に来たかいがあった絵画展 | 3月19日-24日 東京国際フォーラム | |
2005年 | ええええっと思う絵がある展覧会 | 3月19日-25日 東京国際フォーラム | |
日中秀逸作家4人美術交流展 | 12月2日-6日 日中友好会館 | 深見東州、杜大愷、張夫、華健心による展覧会。主催:世界芸術文化振興協会、共催:清華大学美術学院 | |
2006年 | 普通の絵がある普通ではない絵画展 | 3月19日-25日 東京国際フォーラム | |
2007年 | 永遠に絵画いて、しょうがないほど書画描いて、合点がいくまでみる画展 | 3月21日-27日 東京国際フォーラム | |
2008年 | こてんこてんの個展 | 3月19日-23日 東京国際フォーラム | [9] |
2009年 | 何やっ展覧会 | 3月20日-24日 表参道ヒルズ | 新作69点、旧作39点、計108点展示[174] |
2010年 | 私の個展今年もこってんの! | 3月19日-23日 品川グランドセントラルタワー3F | 新作61点、旧作30点、計91点展示[175] |
2011年 | こてんぱんになるほど、笑いで打ちのめされる個展 | 3月18日-22日 品川グランドセントラルタワー3F | |
2012年 | 古典的な個展がこてんと転ぶ個展! | 3月20日-23日 品川グランドセントラルタワー3F | 新作約60点、旧作約50点、計122点を展示[180][10] |
2013年 | こってんと転ぶ、古典的な雪の上の個展 | 3月18日-24日 ラフォーレミュージアム六本木 | |
2014年 | れでぃ画画(がが)のような肩こってんのほぐれる個展!! | 3月18日-24日 ラフォーレミュージアム六本木 | オープニングセレモニーで、巨大書道パフォーマンスと即興和太鼓演奏を行う。新作115点、旧作136点、計252作品展示[101] |
Captivating calligraphy | 11月29日-12月1日 大英博物館 | 大英博物館グレーコートで、巨大な書の実演パフォーマンスを行った[342]。参加者には、大英博物館作成のパンフレットが配布された[343]。 | |
2015年 | 墨で個展個展、絵具で個展個展、見るのにてんてこ舞いの個展 通称「第15回 深見東州バースデー個展」 別名「深見東州大英博物館凱旋個展!!!」 |
3月18日-31日 ラフォーレミュージアム六本木 | オープニングセレモニーで付祝言として『高砂』の謡を奏上し、巨大書道パフォーマンスで「天心」を書いた[181] |
第1回 深見東州選りすぐり絵画展 | 10月12日-18日 セントラルミュージアム銀座 | ||
2016年 | 深見東州氏のバースデーフェスティバル! 第3弾巨匠に劣るとも優らない美学 かいがいしく絵画を見て、ショーのような書を見て、コテコテのギャグを楽しむ個展。 通称「第16回 深見東州バースデー個展」 |
3月19日-31日 ラフォーレミュージアム六本木 | オープニングセレモニーで、即興で巨大な書画「白山」を書くパフォーマンスが行われた[83]。 |
2017年 | えっ、絵ですか。しょう、書です。凝ってますね、個展ですから!!! 「第17回 深見東州・バースデー書画展」 |
3月18日-31日 泉ガーデンギャラリー(六本木) | オープニングセレモニーで、即興で巨大な書画を書くパフォーマンスが行われ、新作23作品、旧作150作品、ギリギリに創作した最新作9作品の合計182点を展示[18]。 |
メディア出演[編集]
ラジオ[編集]
『さわやかTHIS WAY』は、累計22年間継続した。
- 今夜もウェルカム(ラジオ日本)1985年7月~1985年12月
- ハートのプラネタリウム(TBSラジオ)1988年10月15日~1991年9月
- SEIZAN KENZAN(東海ラジオ)1991年10月12日~1993年3月
- SEIZAN THIS WAY(FM福岡)1990年11月4日~1992年3月(題名とキー局を変えて続行)
- さわやかTHIS WAY(FM山口)1992年4月~2012年3月25日
- OVER HEAD COME RADIO(ラジオ日本)1995年4月15日~1997年4月27日
- レオナルドTOSHUの遊びがNight(NACK5)2009年4月~2012年3月
- 深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話(ラジオNIKKEI第1) 2015年10月23日〜 毎週金曜23:30~24:00[344]
テレビレギュラー番組[編集]
- 『サクセス登龍門』(BS11毎週火曜23:00~23:30) 2011年7月4日~継続中
- TOKYO MX『世界のいま』モデレーター 毎週月曜20:30 ~ 21:30 2011年4月4日~2012年3月26日
- 『本格闘論 FACE』、モデレーター、コメンテーター出演。(BS11)
- 緊急特集!!北方4島返還を考える『4島返還』がなぜ揺らぐのか? 2009年5月3日18:00~18:55 ゲスト:伊藤憲一、丹波實、袴田茂樹、鈴木哲夫
- 緊急特集!!北方4島返還を考える パート2『危うし!日本の外交』 2009年5月10日18:00~18:55 ゲスト:伊藤憲一、鈴木宗男、鈴木哲夫
- FACEスペシャル どうする日本の外交 2009年7月5日14:00~15:55 ゲスト:伊藤憲一、田久保忠衛、吹浦忠正、鈴木哲夫
- スフィンクスと日本刀 part1 2009年8月23日18:00~18:55 ゲスト:ヒシャム・バドル、伊藤憲一、吹浦忠正
- スフィンクスと日本刀 part2 2009年8月30日18:00~18:55 ゲスト:ヒシャム・バドル、伊藤憲一、吹浦忠正
- 富士山とピラミッドに架ける橋 2010年1月31日18:00~18:55 ゲスト:ワリード・マハムード・アブデルナーセル博士、伊藤憲一
- 日米同盟50周年、次の50年への展望と課題 2010年6月6日18:00~18:55 ゲスト:ロバート・ドゥジャリック、ジェラルド・カーティス、伊藤憲一
- 頑張れ!!日本人 PART-1 2010年8月15日18:00~18:55 ゲスト:ラルフ・コッサ、ヒシャム・バドル、サイモン・テイー、伊藤憲一
- 頑張れ!!日本人 PART-2 2010年10月3日18:00~18:55 ゲスト:ラルフ・コッサ、ヒシャム・バドル、サイモン・テイー、伊藤憲一
- 外国人受け入れの展望と課題 2010年12月5日18:00~18:55 ゲスト:伊藤憲一、平林博、井口泰
- 東アジア共同体 ~その戦略と展望 2011年1月2日18:00~18:55 ゲスト:鳩山由紀夫、伊藤憲一、進藤栄一
- 『たちばな出版エンターテイメントパラダイス』 (FOXスポーツ&エンターテイメント)毎月第2土曜9:00-11:30、(再)第4日曜9:00-11:30
- 「オペラ ドン・パスクワーレ」2016年6月6日9:30〜12:00、(再)6月18日8:30〜11:00
- 「ナブッコ・我が愛する地球よ!」2016年7月4日9:30〜12:00、(再)7月16日8:30〜11:00
- 「ゼウスの化身 怪人ドン・ジョバンニ」2016年8月13日9:00〜11:30、(再)8月28日9:00〜11:30
- 「雛祭りのフィガロの結婚」2016年9月10日9:00〜11:30、(再)9月25日9:00〜11:30
- 「リゴレット in ジャパン」2016年10月8日9:00〜11:30、(再)10月23日9:00〜11:30
- 「大江戸版 好色男のファルスタッフ」2016年11月12日9:00〜11:30、(再)11月27日9:00〜11:30
- 「元禄のトラヴィアータ」2016年12月10日9:00〜11:30、(再)12月25日9:00〜11:30
- 「国民のコンサート〜日本歌曲の夕べ」2017年1月14日9:00〜11:30、(再)1月29日9:00〜11:30
- 「大正時代のボエーム」2017年2月18日 9:00〜11:30、(再)2月26日9:00〜11:30
- 「オペラ聖徳太子」2017年3月11日9:00〜11:30、(再)3月26日9:00〜11:30
- 「スーパーオペラ楊貴妃」2017年4月8日 9:00〜11:30、(再)4月23日 9:00〜11:30
テレビ特番[編集]
- 「浙江能楽事始」(能・石橋)(TOKYO MX 1999年9月25日)
- 「第二回東京大薪能」(能・岩船)(TOKYO MX 1999年10月24日)
- 「第三回東京大薪能」(能・土蜘蛛)(TOKYO MX 2000年11月5日)
- 「カンボジアに夢を育む」(TOKYO MX 2001年2月1日)
- 「砂漠に舞う~スフィンクス薪能~」(TOKYO MX 2001年7月22日)
- 「第四回東京大薪能」(能・石橋)(TOKYO MX 2001年10月28日)
- 「ブラインドゴルフ・視覚障害者の闘い」(TOKYO MX 2002年5月25日)
- 「第五回東京大薪能」(能・翁)(TOKYO MX 2002年10月27日)
- 「IFACオペラ 聖徳太子」(TOKYO MX 2002年12月7日)
- 「京劇に挑戦した!」(TOKYO MX 2003年1月25日)
- 「豪州異文化交流」(TOKYO MX 2003年5月29日)
- 「カンボジア再建の為に」(TOKYO MX 2003年8月10日)
- 「IFACオペラ 元禄のトラヴィアータ」(TOKYO MX 2003年10月4日)
- 「第六回東京大薪能」(能・鶴亀)(TOKYO MX 2003年11月1日)
- 「甦れ、カンボジア」(TOKYO MX 2003年11月18日)
- 「翔べ、世界のステージへ」(TOKYO MX 2004年6月13日)
- 「ブラインドゴルフ・ジャパンオープン・チャンピオンシップ2004」(TOKYO MX 2004年7月3日)
- 「第七回東京大薪能」(能・田村)(TOKYO MX 2004年9月13日)
- 「オペラ大正時代のボエーム」(TOKYO MX 2004年10月16日)
- 「南半球に渡った能舞台」(TOKYO MX 2004年12月18日)
- 「ハンディーはゼロ ~盲人ゴルファー女子シニアに出会う」(TOKYO MX 2005年5月21日)
- 「第八回東京大薪能」(能・鞍馬天狗)(TOKYO MX 2005年9月24日)
- 「雛祭りのフィガロの結婚」(TOKYO MX 2005年10月30日)
- 「スーパーオペラ楊貴妃」(TOKYO MX 2005年12月24日)
- 「アンコールワット薪能」(J-sports 2006年3月21日)
- 「第二回ワールドシニアゴルフ レデイースオープン」(J-sports 2006年4月23日)
- 「ふれあいのグリーン ~世界を結ぶブラインドゴルフ~」(TOKYO MX 2006年5月21日)
- 「IFACオペラ リゴレット イン ジャパン」(TOKYO MX 2006年10月21日)
- 「第九回東京大薪能 ~能との出会い・ソプラノ大貫裕子~」(TOKYO MX 2006年12月23日)
- 「The Joining of the Generations 時代を越えて HANDA AUSTRALIA CUP」(TOKYO MX 2007年1月20日)
- 「和の心を伝える中国ファッションショー」(TOKYO MX 2007年1月21日)
- 「女子シニア感動の熱戦 HANDA USA CUP」(TOKYO MX 2007年2月3日)
- 「IFACオペラ 大江戸版好色男のファルスタッフ」(TOKYO MX 2007年10月27日)
- 「2007PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」(TOKYO MX 2007年10月28日)
- 「WALK WITH ともに歩む――ゴルフの社会貢献」(TOKYO MX 2008年1月13日)
- 「LEGENDS TOUR OPEN 伝説の女子ゴルファー、シドニーで競う」(TOKYO MX 2008年1月27日)
- 「明日への架け橋 ~挑戦と感動のボウリング~ ブラインドボウリング」(TOKYO MX 2008年2月3日)
- 「HANDA CUP USA 世界選抜、あと一打!米ゴルフ殿堂名門コース女子シニア戦」(TOKYO MX 2008年2月17日)
- 「オペラ 大江戸版好色男のファルスタッフ」(TOKYO MX 2008年11月16日)
- 「カンボジア ~次世代を育む~」(BS11 2009年1月25日)
- 「2008PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」(TOKYO MX 2009年2月15日)
- HANDA CUP 第40回全日本女子プロボウリング選手権大会 ~心で投げるストライク!!~」(BS11 2009年2月22日)
- 「小林旭 デビュー55周年記念 ラスト・ドリームコンサート ~男の友情は固く、強く~」(BS11 2009年3月29日)
- 「第十二回東京大薪能~伝統芸能を楽しむ~」(TOKYO MX 2009年10月4日)
- 「オペラ ゼウスの化身 ドン・ジョヴァンニ」(TOKYO MX 2009年11月3日)
- 『千客萬来』その壱 ゲスト:小林旭(BS11:2009年11月21日、TOKYO MX、TVK、KBSで再放送)
- 『千客萬来』その弐 ゲスト:小林旭(BS11:2009年11月28日、TOKYO MX、TVK、KBSで再放送)
- 「2009PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」(TOKYO MX 2010年1月17日)
- 『カンボジア 未来への架け橋』(BS11 2010年3月21日)
- 「心に響け 笑顔のストライク~ HANDA CUP 第41回全日本女子プロボウリング選手権大会~」(BS11 2010年3月28日)
- 「第1回 ジュリアード音楽院声楽オーディション ~大西宇宙の挑戦~」(BS11 2010年8月22日)
- 「第十三回 東京大薪能 みんなが楽しめる伝統芸能の世界~」(TOKYO MX 2010年9月25日)
- 「IFACオペラ「ナブッコ ~わが愛する地球よ~」(TOKYO MX 2010年11月7日)
- 「シニアゴルフの星 煌く『2010 HANDA CUP シニアマスターズ』」(TOKYO MX 2011年1月9日)
- 『レオナルドTOSHUの月刊・百面相』(TOKYO MX 2012年全6回)
- 「激論!! 太平洋安全保障をどう築くのか?」~アジア・太平洋の海上安全保障と日米中関係~(BSジャパン 2012年9月30日15:00-15:55)
- 「世界の医療と、国際政治」(ナショナルジオグラフィックチャンネル、2016年5月22日13:00-13:30、5月24日09:00-09:30)
HANDA.TV(インターネットテレビ)[編集]
2013年3月30日より、インターネットテレビのHANDA.TV(ハンダ・ドット・ティーヴィー)が開始した。
- サクセス登龍門
- 明るすぎる劇団・東州定期公演
- 深見東州演能シリーズ
- 深見東州作品展
- 風車の書画展
- こだわりのラッキー&エナジーShow品 毎日9:00~10:00、木曜を除く15:00~16:00
- 南アフリカ宗教サミット 毎週月・水・金17:00~19:00、水曜12:00~14:00
- カンボジア福祉活動リポート2013 毎週木曜14:30~16:00
- ジュリアード音楽院声楽オーディション 第1回~第4回
- ロックコンサート in 名古屋 with ジミ・ジェイミソン
- モーツァルトの謎 B級ホラー漫談
- スポーツ祭東京2013 デモスポ 障害者ゴルフ
- カンボジア薪舞踏
- スポーツ平和サミット東京大会
- 大ウケ! 劇団東州の明るすぎるワケ
- 第1回世界オピニオンリーダーズサミット(ゲスト:トニー・ブレアほか)
- 開局1周年記念特別番組 速報!誕生日書画展2014
CM[編集]
- カンボジアへ行こう(在福岡カンボジア王国名誉領事・九州地域)2012年
新聞[編集]
- 産経新聞
- 「成功する受験生と保護者へのアドバイス」 2003年2月-2005年2月毎週連載
- Olympics-Father of blind golf pushing for Paralympic place[12]
- 「ゴルフ天国」 2013年7月11日
- 「アカスリ半田劇場!」 2013年8月28日-11月13日(隔週水曜連載)
雑誌[編集]
- 週刊文春
- 「成功する実践経営論」 2001年10月-2005年1月連載
- 週刊ゴルフダイジェスト
- 盲人ゴルファーと女子世界殿堂プロたちの競演 ワールドシニアレディース選手権が日本で開催[345] 2005年4月
- 月刊ギャラリー
- 「深見東州の深奥の世界とは?」 2012年5月-11月連載
- 「松井武利の絵を見る人も好き好き この一品 深見東州』 2013年1月-連載中
- 月刊美術
- 「わがまま絵画点評 - 深見東州の世界」 2014年8月-連載中
- 絵画が、表紙デザインに採用 2015年1月-継続中
- 月刊日本
- 半田晴久(深見東州)の「まほろばトーク」2014年4月-連載中
- 中央公論
- 地域・社会に貢献する成長会社 2014 トップインタビュー(みすず学苑)
- Forbes
- Haruhisa Handa in Tokyo: Lost and Found in Translation[346]
ポッドキャスティング&ムービー配信[編集]
- 2009年10月23日より、『"レオナルドTOSHUの年中非日常的"ポッドキャスティング』として、人生相談などのオリジナルコンテンツが毎週配信されている。
- 2009年12月7日より、『"レオナルドTOSHUの年中非日常的"ザ・ムービー』として、コンサート映像動画などが毎週配信された。
- 2011年4月4日より、『世界のいま』が、Ustream(ユーストリーム)で配信されている。
- 2015年10月23日より、『深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話』の放送内容が、毎週配信されている(ただし、番組内で放送された楽曲はのぞく)[347]。
略歴[編集]
教育[編集]
- 1998年9月 - 2006年12月 浙江大学日本文化研究所客員教授となる[348]
- 1999年9月 - 清華大学歴史学部顧問教授[349]
- 1999年11月 - 2004年10月 中国戯曲学院客員教授[350]
- 1999年11月 - 2002年10月 ウルヴァーハンプトン大学経営学部客員教授[351]
- 2000年5月 - 2005年4月 中華女子学院客員教授[352]
- 2000年11月 - 2010年 湖南女子職業大学(現湖南女子学院)芸術学部客員教授[215]
- 2001年12月 - 南開大学客員教授[215]
- 2003年 カンボジア大学総長[353]
- 2004年6月 - 北京戯曲芸術職業学院名誉院長、客員教授[215]
- 2006年1月 - カンボジア大学人文学部(人文科学)教授[292]
- 2007年9月 - 浙江工商大学日本語言語文化学院 日本芸術文化教授[50][354]。のち、浙江工商大学日本文化研究所日本芸術文化教授[200][297]
- 2010年8月 - カンボジア大学社会科学部教授(国際政治)[292]
- 2012年4月 - 有明教育芸術短期大学教授(現在は同短大名誉教授)[355]
学術[編集]
政府機関[編集]
- 2008年7月、カンボジア王国首相顧問(オフィシャル・アドバイザー)に就任[357][275]
- 2008年9月、在福岡カンボジア王国名誉領事に就任[1][358]
- 2010年10月、カンボジア王国大臣級政府顧問(閣僚級、大臣待遇)に就任[359][360]
- 2013年11月、カンボジア王国上級大臣級政府顧問に就任(首相と副首相に次ぐ上級大臣[注 32])[361][362]
- 中国敦煌市文化経済顧問
芸術活動[編集]
- オペラ・オーストラリア名誉総裁及びゲスト・アーティスト
- 中国国立中国歌劇舞劇院(オペラ団)一級声楽家・正団員及び海外芸術顧問(2002年10月、外国人初の一級声楽家授与[46])[47]
- 戸渡阿見オペラ団主宰
- 明るすぎる劇団・東州設立者、団長(2007年5月)[153]
- アルプス合唱団設立者、団長
- 公益社団法人能楽協会会員[184]、宝生流能楽師
- 東京大薪能主催者代表
- 宝生東州会会主[186]
- 北京京劇院二級京劇俳優・正団員(2002年12月)[151][363]
- 梅蘭芳京劇団団員
- 黒龍江省京劇院客演団員
- 中国芸術研究院一級美術師(2002年9月)
- 謙慎書道会評議員
- 現代日本書家協会顧問
- 大東文化大学書道研究所認定書道教授者
- 国際書道研究所主宰
- 江戸千家新柳派免状取得
- 嵯峨御流免状取得
- 現代俳句協会会員
- 東州句会主宰
- 日本ペンクラブ会員
- 社団法人日本デザイン文化協会評議員
芸術文化振興[編集]
- 特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長[364]
- 高校生国際美術展実行委員長[38][365]
- 日本エジプト芸術文化振興協会会長
- 東京芸術財団(TAF)会長[366]
- 東アジア美術交流祭会長
- 風車の書画展会長
- 英国公益法人世界芸術文化振興協会(IFAC)設立者・理事
- 米国公益法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長
- オーストラリア公益法人世界芸術文化振興協会(IFAC)設立者・総長
- 2003年パース国際芸術祭50周年記念祭ワールドプレジデント(国際実行委員長)
- 黒龍江省京劇院京劇振興協会会長
- 「造形舞台芸術創作及び学術研究成就賞」創立者(2001年)
- 中国合唱協会 (CCA) 名誉理事長
- 世界中国語合唱大会(東州杯)終身名誉主席(2005年)[332]
- 北京梅蘭芳基金会理事長
企業経営[編集]
- 株式会社ミスズ代表取締役社長[367]
- 予備校みすず学苑創設者学苑長[368]
- 株式会社たちばな出版代表取締役社長[369]
- 武蔵野メディカル株式会社代表取締役社長
- 株式会社ジャパンペガサスツアー代表取締役社長[370]
- ヤーマン&ストゥービのオーナー社長(スイスの高級腕時計企業)[63]
宗教活動[編集]
- 世界宗教議会(Parliament of the World's Religions)国際評議委員会(International Advisory Committee)名誉国際顧問[235]
- 世界宗教者平和会議(平和のための宗教)理事(en:Religions for Peace)[238]
- 世界宗教者平和会議米国委員会(Religions for Peace USA)プレジデント[239]
- 英国公益法人世界宗教対話開発協会(WFDD)理事[236]
- アジア宗教対話開発協会(AFDD)創始者・会長[237]
- 公益社団法人日本紅卍字会名誉会長兼理事
- インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(ISF)代長〔国連経済社会理事会(ECOSOC)認可NGO、国連広報局認可NGO〕[243]
- IFAPA(アフリカにおける平和のために行動する諸宗教)理事[371]
- 文部科学大臣認証、宗教法人ワールドメイトリーダー
福祉活動[編集]
- 英国公益法人王立盲人協会(RNIB)ヴァイスプレジデント[214]
- 特定非営利活動法人日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)名誉会長[208][372](設立者)
- 世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)総裁[95]
- ワールドメイト未来の光孤児院会長
- カンボジアシアヌーク病院創設者[137]
- 米国公益法人シアヌーク病院副会長[216]
- クメール・ルージュによるジェノサイドの犠牲者への補償、および追悼のための半田基金会長
- オーストラリア人権教育評議会名誉顧問[246]
- ニック・ファルド基金名誉顧問
シンクタンク[編集]
- 公益財団法人協和協会理事長[267]
- 時代を刷新する会理事長
- 公益財団法人日本国際フォーラム (JFIR) 理事[270]
- グローバルフォーラム経済人 (GFJ) メンバー[373]
- 特定非営利活動法人世界開発協力機構 (WSD) 総裁[374]
- 株式会社菱法律経済政治研究所代表取締役社長[375]
- パシフィックフォーラム CSIS理事[376]
- 国立カンボジア平和協力研究所 (CICP) 副総裁
- アジア・エコノミックフォーラム (AEF) ファウンダー(創始者)[15]、チェアマン[377]
- アジア指導者センター (ALC) 会長
国際交流[編集]
- 東アジア共同体評議会顧問[378]
- 公益財団法人日印協会理事[379]
- 特定非営利活動法人日本・ロシア協会会長代行兼副会長[380]
- 特定非営利活動法人東京日本・ロシア協会代表
- カンボジア・日本ソサエティー (CJS) 会長
- エジプト・日本芸術文化協会役員(エジプトの団体)
スポーツ振興[編集]
- 国際スポーツ振興協会 (ISPS) 会長[381]
- 特定非営利活動法人日本インストラクタープロゴルフ協会 (JIPGA) 総裁・認定プロ
- 特定非営利活動法人日本ゴルフ指導者協会 (JGIS) 総裁、認定プロフェッショナルゴルフ指導者
- 日本高等学校ゴルフ連盟名誉顧問
- レジェンズツアー(Legends Tour、米国女子シニアゴルフ協会)会長
- ISPS HANDA PGAツアー・オブ・オーストラレイジア総裁、終身名誉会員
- ゴルフオーストラリア総裁兼国際親善大使[258]
- オーストラリアPGA総裁、及び終身名誉会員
- カンボジア・ゴルフ連盟名誉会長
- アジアンツアー国際大使[259]
- ニック・ファルド・アジアシリーズ公式国際大使[94]
- ISPS HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント大会名誉会長[382]
- ISPSハンダオーストラリアン女子オープン総裁
- ISPSハンダウェールズオープン総裁
- 2013年スポーツ平和サミット実行委員長
評論活動[編集]
受賞歴[編集]
芸術分野[編集]
- 2001年、NDKファッションデザインコンテスト(日本デザイン文化協会主催)2位及び入選[383]
- 2001年10月、「現代書家の名品」の一つとして、大英図書館に作品「恕」が永久所蔵
- 2002年8月、国際京昆アマチュアテレビ大コンクール「金龍賞(最も優れている賞)」受賞(中国中央電視台主催、京劇)
- 2002年9月、中国芸術研究院に、アクリル画「青龍神と緋鯉」が永久所蔵[37]
- 2003年10月、日豪芸術交流祭 (Heart Art in Perth) にて、「西オーストラリア州芸術文化大臣賞」「パース市長賞」「審査員最優秀賞」の3賞を同時受賞
- 2003年、パース市名誉芸術家
- 2004年10月、西オーストラリア州芸術文化功労賞
- 2005年2月、第67回謙慎書道会展「秀逸」受賞(他、謙慎書道会展「褒状」の受賞もある)
- 2005年11月、ジョーン・サザーランド特別賞
- 2013年9月、ジュリアード音楽院学長賞[384]
- 2015年10月、シドニーの芸術文化の発展における長年の貢献が認められ、シドニー市長のクローバー・ムーアから栄誉をたたえられ表彰される[385]。
福祉分野[編集]
- 2001年、中国児童基金会(中華全国婦女連合会所属)より中国児童福祉への貢献が認められ、"熱愛児童"表彰メダル授与[386][387]
- 2002年6月、中国児童慈善活動日組織委員会より、「中国児童慈善家称号」の授与[232][233]
- 2004年11月、インターナショナル・ロータリーより、ポール・ハリスフェローに認証(Paul Harris Fellow)
- 2005年6月、紺綬褒章[7]
- 2006年8月、中国合唱事業特別貢献賞
- 2007年、中国慈善賞10人にノミネートされ、中華人民共和国民政部より表彰される
- 2010年、アジア太平洋ゴルフパーソナリティー賞(ASIA-PACIFIC GOLF PERSONALITY OF THE YEAR)[注 33][250]
勲章・称号[編集]
- 2003年、カンボジア王国コマンドール友好勲章[7]
- カンボジア王国モニサラポン・テポドン勲章[7]
- カンボジア王国ソワタラ勲章大勲位[7]
- カンボジア王国ロイヤル・モニサラポン十字勲章[7]
- 2016年、ニュージーランド・メリット勲章[8]
- ラオス政府より開発勲章
- オーストラリア全国人権教育委員会(The National Committee on Human Rights Education)より、国際名誉市民「Citizen of Humanity」
- 西オーストラリア州州都パース市名誉市民「the kyes to the City of Perth」
- 西オーストラリア州スワン市名誉市民「the kyes to the City of Swan」
- アルバニア、ジロカストロ市名誉市民
関連人物[編集]
親交のある外国人・共演者[編集]
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作品の一覧[編集]
詳細は「深見東州の作品一覧」を参照
注釈[編集]
脚注[編集]
- ↑ a b RNIBの活動に大きな貢献をした者が就任する役職であり、2014年現在は16人が就任している。
- ↑ 任天(にんでん)の導師とは、天がその人にすべてをまかす人間界、天上界ふたつながらの指導者という意味(大原一浩 1992, p. 73)。
- ↑ 清の漢字を、一般的に間違いやすい静と表記し、あたかも間違った作品であるかのように見えるが、ギャグとして、故意に別の字をあてたギャグ書である。
- ↑ 生涯に一度と思われるほど、おいしい苺に出会った感動を表現したギャグ作品
- ↑ 2002年3月18日-22日、東京国際フォーラムで開催。
- ↑ 2003年3月19日-25日、テレコムセンターで開催。
- ↑ 2004年3月19日-24日、東京国際フォーラムで開催。
- ↑ 2005年3月19日-24日、東京国際フォーラムで開催。
- ↑ 2006年3月19日-24日、東京国際フォーラムでを開催した。
- ↑ 2007年3月21日-25日、東京国際フォーラムで開催。
- ↑ 2008年3月19日-23日、東京国際フォーラムで開催。
- ↑ 2009年3月20日-24日、六本木ヒルズで開催。新作69点、旧作39点、計108点を展示。
- ↑ 2010年3月19日-23日、品川グランドセントラルタワーで開催。新作61点、旧作30点、計91点展示。
- ↑ 2011年3月18日-22日、品川グランドセントラルタワーで開催。
- ↑ 2012年3月20日-23日、品川グランドセントラルタワーで開催。新作約60点、旧作約50点、計122点を展示。
- ↑ 2013年3月18日-24日、ラフォーレミュージアム六本木でを開催。
- ↑ 2014年3月18日-24日、ラフォーレミュージアム六本木で開催。新作115点、旧作136点、計252作品を展示。
- ↑ 2015年3月18日-24日、ラフォーレミュージアム六本木で開催。165作品展示。
- ↑ 2016年3月19日-31日、ラフォーレミュージアム六本木で開催。
- ↑ 2017年3月18日-31日、泉ガーデンギャラリーで開催。182作品展示。
- ↑ 公共図書館や学校図書館に図書情報を提供することを目的として、公益社団法人日本図書館協会が毎年選定する。同選定事業は2015年度(2016年3月)をもって終了、廃止となっている。
- ↑ 2005年11月受賞。オーストラリアでの音楽への貢献、および芸術促進への貢献」(For services to Music and For services to the promotion of the Arts in Australia) により、ジョーン・サザーランドから直接授与。
- ↑ 2006年8月受賞
- ↑ 米国、英国、豪州、カナダ、日本など、世界15カ国17地域のブラインドゴルフ協会が加盟。
- ↑ 身体の不自由な人の福祉に対するチャリティー大会
- ↑ 日米初のシニアの共催大会
- ↑ この第1回大会優勝者に森田理香子がいる。他、薗田峻輔も出場した。以降、藤本麻子、森桜子等が出場している
- ↑ 65歳以上男子で争うゴルフトーナメント
- ↑ 日本代表は初出場の石川遼と3度目の出場となる谷原秀人。
- ↑ ワールドサテライトやモーニングサテライトで報道される
- ↑ エジプト国営テレビ番組「グッドモーニング・エジプト」にゲスト出演し、インタビューを受けた
- ↑ カンボジアでは、首相、副首相、上級大臣、大臣というランクがあり、上級大臣は首相、副首相に次ぐ3番目の位の大臣である。
- ↑ アジア全域で発行しているゴルフ専門誌「Asian Golf Monthly」読者のオンライン投票により毎年選出される賞
出典[編集]
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- ↑ 「MA」表記は深見東州公式サイトのプロフィールに基づく。
- ↑ a b c “西オーストラリア州立 エディス・コーエン大学芸術学部大学院修了”. Toshu Fukami. 2014年2月10日確認。
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- ↑ a b “中国歌劇舞劇院(オペラ団)一級声楽家”. Toshu Fukami. 2014年4月2日確認。
- ↑ a b 『美術と市場』まえがき参照
- ↑ 日本入宋僧研究 2006年 - 中国国家図書館
- ↑ a b c “半田晴久” (中国語). 浙江工商大学日本語言語文化学院. 2016年6月7日確認。
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- ↑ “富士山と三保松原が世界遺産に”. 電気新聞 (一般社団法人日本電気協会新聞部). (2013年7月4日)
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外部リンク[編集]
深見東州(半田晴久) |