ミハイル・ゴルバチョフ

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ミハイル・ゴルバチョフMikhail Sergeevich Gorbachev1931年3月2日 - )とは、ソビエト連邦政治家指導者

経歴[編集]

最高指導者就任まで[編集]

1931年3月2日、ソビエト連邦南部のプリボリノエに生まれる。1952年共産党員になる。

書記長[編集]

1985年に共産党書記長になる。ペレストロイカ市場経済を導入し、1986年チェルノブイリ原子力発電所事故後はグラスノスチという情報公開政策も進めた。

マルタ会談[編集]

1989年東欧革命ベルリンの壁崩壊を受け、アメリカジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュマルタ会談を開いた。冷戦の集結を宣言した。

大統領[編集]

1990年、初代大統領に就任した。しかし、権力基盤は弱まっていった。同年のノーベル平和賞を受賞した。1991年4月16日、ソ連の最高指導者として初めて来日した。8月19日には軟禁された[1]が、3日で解放された。8月24日、共産党書記長を辞任した。さらに、共産党を解党した。そして、12月8日独立国家共同体の設立が決まると、12月25日に大統領を辞任し、ソ連は崩壊した。

その後[編集]

国際社会経済・政治研究基金グリーンクロス・インターナショナルの会長となった。1996年の大統領選挙で落選。2008年アレクサンドル・レベデフを結成。

  1. 軟禁されたのではなく、自身の意志でモスクワに戻らなかっただけという説もある