ミハイル・ゴルバチョフ
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ミハイル・セルゲイヴィチ・ゴルバチョフ(Mikhail Sergeevich Gorbachev、1931年3月2日 - 2022年8月30日[1])は、ソビエト連邦の政治家、同国の第8代最高指導者。1990年のノーベル平和賞受賞者。
経歴[編集]
最高指導者就任まで[編集]
1931年3月2日、ソビエト連邦南部のプリボリノエに生まれる。1952年、共産党員になる。
書記長[編集]
1985年に共産党書記長になる。ペレストロイカで市場経済を導入し、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後はグラスノスチという情報公開政策も進めた。
マルタ会談[編集]
1989年、東欧革命やベルリンの壁崩壊を受け、アメリカのジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュとマルタ会談を開いた。冷戦の集結を宣言した。
大統領[編集]
1990年、初代大統領に就任した。しかし、権力基盤は弱まっていった。同年のノーベル平和賞を受賞した。1991年4月16日、ソ連の最高指導者として初めて来日し、3日間滞在した。この間、当時の首相である海部俊樹と6回会談し、日ソ共同声明を発表している。また、天皇や皇后とも会見し、「ゴルビー」の愛称で親しまれた。
8月19日には軟禁された[2]が、3日で解放された。8月24日、共産党書記長を辞任した。さらに、共産党を解党した。そして、12月8日に独立国家共同体の設立が決まると、12月25日に大統領を辞任し、ソ連は崩壊した。
死去[編集]
2022年8月30日、モスクワの病院で死去。満91歳没。歴代のソ連指導者のなかで最も長生きした。彼の死により、ジミー・カーターが冷戦期に超大国の指導者を務めた人物として最後の生き残りとなった。
その後[編集]
国際社会経済・政治研究基金とグリーンクロス・インターナショナルの会長となった。1996年の大統領選挙で落選。2008年、アレクサンドル・レベデフを結成。
脚注[編集]
- ↑ “Mikhail Gorbachev: Last Soviet leader dies aged 91”. BBC. (2022年8月31日) 2022年9月2日閲覧。
- ↑ 軟禁されたのではなく、自身の意志でモスクワに戻らなかっただけという説もある