聖徳太子

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
聖徳太子
しょうとくたいし
改名 厩戸皇子・厩戸王
性別 男性
時代 飛鳥時代
生年月日 敏達天皇3年1月1日574年2月7日
死没日 推古天皇30年2月22日622年4月8日
死因 病死
国籍 日本国旗.png日本
用明天皇、母:欽明天皇の娘・穴穂部間人皇女

聖徳太子(しょうとくたいし)は、飛鳥時代に存在したとされる日本皇族政治家である。本名は「厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)」。これは厩戸の前で出産されたことに由来するという。また、「豊聡耳」「上宮王」とも。聖徳太子という名は死後に用いられたもの。

略歴[編集]

父は用明天皇、母は欽明天皇の娘である穴穂部間人皇女。

593年推古天皇が即位すると、その甥である聖徳太子は皇太子となり、翌593年摂政となり天皇を補佐した。

603年冠位十二階を定め、604年には十七条憲法を制定。天皇を中心とする中央集権体制の確立を目指した。

607年小野妹子に送った。

仏教を厚く信仰し、法隆寺を建立した。

聖徳太子不存在説[編集]

聖徳太子は上記のように言われるのが通説で、名政治家のように言われているが、実は存在そのものが怪しまれている。そもそも、聖徳太子とは死後に用いられたいわゆる諡号、歴史用語のようなもので、当時はそう言われていたわけではない。聖徳太子という名前が最初に文献に登場するのは、太子の死から98年が経過した『日本書紀』においてである。つまり、聖徳太子の名は死去してから100年近くも一切記録に残っていないのである。ただ、日本で歴史を文章に残す試みが開始されたのが『日本書紀』であり、それ以前にはそういう文化自体が存在していなかったという事情もある。また、『日本書紀』は40年近くも時間をかけて作られたと言われているため、正確には聖徳太子は早くても60年後ということになるかもしれない。

まず、『日本書紀』である太子の誕生に纏わる記述には以下のようにある。

  • 「太子の母親がある日、金色の僧侶(救世菩薩)が体内に入る夢を見て、太子を懐妊した。そして太子の母が馬小屋の戸に触れると、労せずして太子が生まれた」

つまり、馬小屋で生まれた救世主の生まれ変わりというわけである。これを聞いて鋭い人ならおわかりと思うが、これはイエス・キリストと同じである。『新約聖書』ではキリストの出生について以下のようにある。

  • 「マリアの前に大天使ガブリエルが現れて、キリストが身籠っていることを告げた。そしてキリストは馬小屋で生まれた」

キリストが生まれたのは紀元前であるから、明らかに聖徳太子より前の話である。日本にキリスト教が伝来したのはフランシスコ・ザビエルによる天文18年(1549年)であるが、6世紀半ばに中国に既に伝来していて長安に大寺院を与えられ、布教活動もしていた[1]。日本では7世紀初期に遣隋使が派遣されているから、その話を知った可能性は十分に考えられる。

次いで、聖徳太子の偉業と言えば有名なものが憲法十七条であるが、これは聖徳太子の作ったものではないと古くから疑われていた。まず、江戸時代後期の考証学者である狩谷棭斎が聖徳太子の作品では無いと否定している。次いで昭和時代に歴史学者の津田左右吉が聖徳太子の作ではなく、後の時代による創作と述べている。『日本書紀』には十七条憲法の全文が掲載されているが、その理由が第12条[2]である。この第12条に国司国造の役職が出てくるが、これは聖徳太子の時代には存在していなかったものである。それがなぜ出てくるのかというものである。また、憲法十七条の文章には中国の古典の表現が多く用いられているが、この文章表現は『日本書紀』のものと酷似しており、これは『日本書紀』を作成したグループによる創作ではないのか、というものである。

また、聖徳太子の偉業として『三経義疏』がある。これは聖徳太子の聡明さを示すものと知られており、しかも聖徳太子自筆の草稿[3]によるものといわれている。しかし、これも聖徳太子の著作かどうか疑われている。三経の1つである『勝鬘経義疏』であるが、これは中国の敦煌から出土した勝鬘経の注釈書と約7割まで文章が一致している。この出土品は勿論、聖徳太子より前の時代によるものである。

大学教授曽根正人は、『三経義疏』が後世の偽作であると言い切っている。

これに対して反論も存在する。憲法十七条については『日本書紀』を記録する際に当時の人々に分かりやすく訳した、あるいは歴史書における誤記と解釈することもできるし、勝鬘経の注釈書の出土品についても出土品は捏造品も多く存在するという事情がある。結局のところ、聖徳太子については「同時代の存在した記録が存在しない」「偉業といわれるものは疑われている」「存在する可能性もある」と分かれており、今後の研究が待たれているのが実情である。

聖徳太子と紙幣[編集]

過去に何度も最高額の紙幣に描かれる人物として採用されたことから、聖徳太子から高額の紙幣を連想する人も多い。1000円札5000円札1万円札肖像画として採用されている。なお、令和年間時点で日本においてここまで紙幣に採用された偉人は聖徳太子だけである。

聖徳太子と地名[編集]

兵庫県揖保郡太子町、大阪府南河内郡太子町が、聖徳太子に由来している。

聖徳太子を題材とした作品[編集]

小説
漫画
テレビドラマ
その他

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ネトリウス派キリスト教の宣教師によるものとされる
  2. 國司國造、勿収斂百姓。國非二君。民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦斂百姓
  3. 『法華義疏』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]