田久保忠衛
田久保 忠衛(たくぼ ただえ、1933年 - 2024年1月9日)は、外交評論家、国際政治学者。杏林大学名誉教授。日本会議会長。
経歴[編集]
千葉県船橋市生まれ[1]。1956年早稲田大学第一法学部卒業。時事通信社に入社[2][3]。1956年地方部記者[4]、1962年ハンブルク特派員、1963年外信部、1969年那覇支局長、1970年ワシントン支局長。1973年11月帰国。外信部次長を経て[3]、1974年2月編集総務兼外信部長[3][5]。1979~1980年ウッドローウイルソン国際学術研究所客員研究員[6]。1980年海外事業室長兼解説委員、1983年編集局次長兼解説委員[5][7]。1984年退社。
1984年杏林大学社会科学部教授、1992年学部長、1993年大学院国際協力研究科長[5]。1994年3月「「チャイナ・カード」論の展開とその考察 : ニクソン対中外交を中心として」で法学博士(慶應義塾大学)[8]。2002年総合政策学部教授・大学院国際協力研究科教授[5]、2003年客員教授[6]、2010年名誉教授[5]。
1996年に第12回正論大賞受賞。1997年5月に日本会議が結成され、代表委員に就任[9]。2007年12月に櫻井よしこ、髙池勝彦らと国家基本問題研究所を設立し、副理事長に就任。2012年3月に産経新聞社が「国民の憲法」起草委員会を発足させ、委員長に就任。委員は佐瀬昌盛、西修、大原康男、百地章[10]。2014年10月に「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立され、櫻井よしこ、三好達とともに共同代表に就任[11]。2015年4月16日に三好達の後任として日本会議第4代会長に就任した[12]。
2024年1月9日、細菌性肺炎のため死去、90歳[13]。
人物[編集]
旧民社系言論人。早大法学部在学中に社会思想研究会(社思研)に参加し[14]、友人の佐藤寛行の紹介で中心メンバーの土屋清が主宰する読書会に入った[15]。1970年時点で社思研の理事を務めていた[16]。1984年に民主社会主義研究会議(民社研)理事となり[17]、1992年に策定された民社党新綱領の作成に携わった[18]。1994年に民社研が政策研究フォーラムに改組された際に常務理事となり、機関誌『改革者』の編集・発行人を務めた[18]。「民社党と語る会」幹事、民社人権会議代表幹事、公益財団法人富士社会教育センター理事も務めた[19]。
日本会議との出会いは、時事通信社時代に村松剛の紹介で椛島有三(「日本を守る国民会議」事務局長)に会ったことで、「日本を守る国民会議」の講演などに招かれるうちに関係を深めたと述べている[20]。
岡崎久彦と並び典型的な親米保守として知られる。2003年のイラク戦争ではアメリカを全面的に支持した[21]。
父方の先祖は水戸の下級藩士。曽祖父は天狗党の鎮派に属して久留里藩で刑死した[22]。
財団法人日本財団理事(1996年8月23日〜2011年4月1日)[23]。公益財団法人日本国際フォーラム理事[24]。読売新聞社憲法問題調査会委員[25]。「二十一世紀の日本と憲法」有識者懇談会(民間憲法臨調)代表委員[26]。「日本李登輝友の会」副会長[27]。「新しい歴史教科書をつくる会」理事[28]、顧問[29]。「体罰の会」顧問[30]。「明治の日推進協議会」第2代会長[31]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『カーター外交の本音――「道義」戦略と日本の対応』(日本工業新聞社[Ohtemachi books]、1977年)
- 『戦略の構図――米ソに揺さぶられる日本』(高木書房、1979年)
- 『レーガン戦略と日本の破局』(講談社、1981年)
- 『超大国 敵の敵は味方――ワシントン=モスクワ=北京の暗闘』(山手書房、1981年)
- 『米ソ覇権の構図――世界を操る超大国の思惑』(日本教文社、1983年)
- 『環太平洋経済圏――動き出す新経済圏構想』(教育社[入門新書「時事問題解説」シリーズ]、1985年)
- 『「新世界秩序」と日本――21世紀への予兆』(時事通信社、1992年)
- 『ニクソンと対中国外交』(筑摩書房、1994年)
- 『戦略家ニクソン――政治家の人間的考察』(中央公論社[中公新書]、1996年)
- 『日本の領土――そもそも国家とは何か』(PHP研究所、1999年)
- 改題・加筆修正『早わかり・日本の領土問題――諸外国と何をモメているのか?』(PHP研究所、2007年)
- 『新しい日米同盟――親米ナショナリズムへの戦略』(PHP研究所[PHP新書]、2001年)
- 『アメリカの戦争』(恒文社21、発売:恒文社、2003年)
- 『激流世界を生きて――わが師 わが友 わが後輩』(並木書房、2007年)
- 『米中、二超大国時代の日本の生き筋』(海竜社、2009年)
- 『憲法改正、最後のチャンスを逃すな!』(並木書房、2014年)
- 『目覚めよ日本 憲法改正今こそ実現を』(明成社、2017年)
共著[編集]
- 『中東の地政学――米ソ争奪の構図』(渥美堅持、加藤寛、村松剛、矢島鈞次、吉田忠雄共著、ABC出版、発売:文園社、1982年)
- 『日本教育会叢書 第16集』(高橋史朗、西尾幹二共著、日本教育会、1988年)
- 『日本社会党の政策を衝く――理性と常識が促えた数々の矛盾』(加藤寛、吉田忠雄共著、啓正社、1989年)
- 『アジアは油断大敵!――北朝鮮、香港、中国……動乱のシナリオを読む』(西岡力、小島朋之、渡辺利夫、岡崎久彦共著、稲垣武取材構成、PHP研究所、1997年)
- 『日本の正論――21世紀日本人への伝言』(渡部昇一、加藤寛、唐津一、曽野綾子、竹村健一、石原慎太郎、西部邁、猪木正道、堺屋太一、岡崎久彦、西尾幹二、小堀桂一郎、三浦朱門、上坂冬子共著、産経新聞ニュースサービス、発売:扶桑社、2001年)
- 『なぜ外務省はダメになったか――甦れ、日本外交』(村田良平著、田久保忠衛、古森義久特別鼎談、扶桑社、2002年)
- 『大丈夫か、日本の独立精神』(日下公人、金美齢、井山嗣夫、神谷万丈、重村智計、長島昭久、村田良平、森本敏共著、自由国民社[虎ノ門DOJOブックス]、2002年)
- 『国益会議――「アメリカ一極支配時代」を日本はいかに生き抜くか』(日下公人、志方俊之、西村眞悟共著、PHP研究所、2003年)
- 『反米論を撃つ』(古森義久共著、恒文社21、発売:恒文社、2003年)
- 『文化人の通信簿――媚中度から歴史認識まで徹底採点!』(古森義久共著、扶桑社、2005年)
- 『国家への目醒め――賢く勁き日本へ』(櫻井よしこ共著、海竜社、2008年)
- 『日中韓歴史大論争』(櫻井よしこ、古田博司、劉江永、歩平、金燦栄、趙甲濟、洪熒共著、文藝春秋[文春新書]、2010年)
- 『中国はなぜ尖閣を取りに来るのか』(藤岡信勝、加瀬英明編、藤岡信勝、茂木弘道、加瀬英明、石平、平松茂雄、川村純彦、佐藤守、西尾幹二、高市早苗共著、自由社、2010年)
- 『メディア環境の変化と国際報道――インターネット時代の通信社』(藤田博司、会田弘継、金重紘、我孫子和夫共著、新聞通信調査会、2012年)
- 『「強い日本」を取り戻すためにいま必要なこと』(日下公人、ロナルド・モース共著、PHP研究所、2013年)
- 『日本国憲法と吉田茂――「護憲」が招いた日本の危機 二人の憲法通が熱く語る』(加瀬英明共著、自由社、2016年)
- 『宿命の衝突――ニクソン・ショックから50年 中国は日米を騙し続け、世界支配を進めた』(櫻井よしこ共著、ビジネス社、2022年)
編著[編集]
- 『ポスト冷戦と核』(今井隆吉、平松茂雄共編、勁草書房、1995年)
- 『戦略的日本外交のすすめ』(新井弘一、平松茂雄共編著、時事通信社、1998年)
- 『日本外交の再点検――検証「吉田ドクトリン」』(太田正利、平松茂雄共編著、時事通信社、2000年)
- 『「国家」を見失った日本人――外国人参政権問題の本質』(編著、小学館[小学館文庫]、2001年)
- 『テロの時代と新世界秩序』(平松茂雄、斎藤元秀共編著、時事通信社、2002年)
出典[編集]
- ↑ 田久保忠衛『戦略の構図――米ソに揺さぶられる日本』高木書房、1979年
- ↑ 田久保忠衛 PHP研究所
- ↑ a b c 田久保忠衛『カーター外交の本音――「道義」戦略と日本の対応』日本工業新聞社、1977年
- ↑ 尾崎行雄記念財団 共催講演会のご案内(共催:グローバル・イッシューズ総合研究所 協力:株式会社産経デジタル「iRONNA」/株式会社近代消防社) 尾崎行雄記念財団、2019年10月17日
- ↑ a b c d e 日本国憲法と吉田茂―「護憲」が招いた日本の危機 紀伊國屋書店
- ↑ a b 日中対話 「変化する世界と日中関係の展望」(PDF)グローバル・フォーラム
- ↑ アメリカの戦争 紀伊國屋書店
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 成澤宗男「日本会議と宗教右翼」、『週刊金曜日』成澤宗男編著『日本会議と神社本庁』金曜日、2016年、92-93頁
- ↑ 本紙が新憲法起草へ 安保環境激変に対応 委員会初会合「国新たにする覚悟で」 産経ニュース、2012年3月27日
- ↑ いよいよ「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立 日本会議大阪、2014年10月2日
- ↑ 俵義文『日本会議の全貌』花伝社、2016年、40頁
- ↑ 「日本会議」会長の田久保忠衛さん死去 90歳 憲法改正訴える 朝日新聞デジタル、2024年1月10日
- ↑ 藤生明「日本会議と共闘する労働戦線は、どう作られてきたか <1>生きていた民社党、保守運動をオルグする(2ページ)」論座アーカイブ、2019年5月5日
- ↑ 【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)(1/4ページ) 産経ニュース、2016年12月10日
- ↑ 【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(7)沖縄返還前のころ 産経ニュース、2015年12月21日
- ↑ 『改革者』第25巻第3号(通巻290号)、1984年6月
- ↑ a b 藤生明「日本会議と共闘する労働戦線は、どう作られてきたか <1>生きていた民社党、保守運動をオルグする(1ページ)」論座アーカイブ、2019年5月5日
- ↑ 公益財団法人 富士社会教育センター 役員 平成三十年十月二十三日現在(PDF)公益財団法人富士社会教育センター
- ↑ 濱田浩一郎『日本会議・肯定論!』たちばな出版、2018年、134頁
- ↑ 成澤宗男「日本会議と宗教右翼」、『週刊金曜日』成澤宗男編著『日本会議と神社本庁』金曜日、2016年、92-93頁
- ↑ 藤生明「日本会議会長がつづったルーツ 尊皇攘夷の志士生んだ地 水戸の熱量」朝日新聞デジタル、2022年8月25日
- ↑ 歴代役員任期一覧(PDF)日本財団
- ↑ 役員等 日本国際フォーラム
- ↑ 茶本繁正「検証 読売新聞社の体質――読売「憲法問題調査会」を調査する」『マスコミ市民』第287号、1992年10月
- ↑ 山崎雅弘『日本会議 戦前回帰への情念』集英社新書、2016年、215頁
- ↑ 日本李登輝友の会の歩み(PDF)日本李登輝友の会
- ↑ 具裕珍「『新しい歴史教科書をつくる会』のExit, Voice, Loyalty――東アジア国際関係への含意を中心に」『相関社会科学』第19号、2009年
- ↑ 役員構成 新しい歴史教科書をつくる会
- ↑ 理事・顧問 名簿 体罰の会
- ↑ 明治の日推進協議会役員一覧 明治の日推進協議会
外部リンク[編集]
- 教員紹介(専攻別) 杏林大学
- researchmap
- 会長挨拶 日本会議