日米安全保障条約

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日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)とは、太平洋戦争後の日本アメリカの日米同盟の基礎となる条約のことである。略称は日米安保条約(にちべいあんぽじょうやく)、安保条約(あんぽじょうやく)と言われる。

概要[編集]

太平洋戦争終結後、日本はアメリカを中心とするGHQに占領されていた。戦後になるとアメリカを中心とする西側諸国による資本主義ソ連を中心とする東側諸国による共産主義が対立し、日本にも東側の影響が迫っていた。アメリカは日本を東側の防波堤とするべく、またアジアにおける拠点のひとつとするべく、日米同盟を強化しようと考えていた。当時の内閣総理大臣吉田茂は戦前からの親米派であり、占領下に置かれていた日本の独立に日米同盟の強化が不可欠であると考えていたこともあり、1951年サンフランシスコ講和条約調印すると同時に、日米安全保障条約も締結した。これにより、米軍の日本の駐留が合法的に認められることになった。

1960年、当時の首相である岸信介も日米安保条約の改定を考えており、安保闘争が発生して死者まで発生する中、6月23日に全面改定がなされている。ただし、岸信介内閣は改定と引き換えに内閣総辞職を余儀なくされた。

この条約で重要なのは第5条の「日本の施政下への武力攻撃に際し、日米両国は自国の憲法上の規定と手続きに従って共通の危険に対処する」とされていることであり、アメリカの対日防衛義務を定めている。続いて第6条の日本と極東の安全へ寄与するために米軍は「日本国内において施設と区域の使用が許される」と規定されており、米軍基地の設置を認めている。