坂上田村麻呂
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坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、平安時代の公卿、武将、征夷大将軍である。日本で初めて征夷大将軍になった。
概要[編集]
坂上苅田麻呂の子。758年、出生。780年、近衛将監に任じられる。
791年に大伴弟麻呂が蝦夷を討伐する時、かなりの武功を残す。794年に東北地方を初めて攻撃した。796年に陸奥国を統一し、坂上陸奥守となる。そして797年に鎮守府将軍、征夷大将軍に任命される。
801年の第三次蝦夷征討の時は節刀を受けて赴き、4万余の軍を率いて攻め、胆沢城を築城した。803年にはまだまだ北上し続け、志波城を築城した。805年には朝廷にて公卿を務め出世して、中納言にまで上り詰めた。807年に田村麻呂は清水寺を創建した。これは平安京遷都以来の数残る京都寺院の一つである。ちなみに開山は778年である。
810年に薬子の変が起こり、その指揮官であった平城天皇と激突し勝利し、朝廷内で大きな武功をあげた。811年、病に倒れ死去。享年54。最大出世官位大納言。
関連項目[編集]
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