民主社会主義研究会議

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民主社会主義研究会議(みんしゅしゃかいしゅぎけんきゅうかいぎ)は、民社党系の思想団体。略称は民社研。前身団体は民主社会主義連盟(民社連)[1]、後身団体は政策研究フォーラム(政研フォーラム)。

概要[編集]

1960年1月9日に民主社会主義の研究・普及を目的として設立された思想団体[1][2]日本社会党の分裂、民主社会党(のちの民社党)の結成に伴い、1959年12月に民主社会主義連盟(民社連)が発展的解消をとげ[3]、1960年1月9日に蠟山政道猪木正道森戸辰男らが第1回民主社会主義研究会議を開催[4]。ここで常設機関の設立が協議され、準備委員に稲葉秀三、猪木正道、関嘉彦土屋清土井章中村菊男波多野鼎武藤光朗、蠟山政道、和田耕作(事務局長)の10名が就任した[5]。2月13日に民主社会主義研究会議(民社研)が設立され[6]、初代議長に蠟山政道、理事に猪木正道、関嘉彦、土屋清、土井章、中村菊男、武藤光朗らが就任した。同年3月時点の会員数は550名[7]。民社党綱領の作成に中心的役割を果たした[8]

民社研には民社連に加え、河合栄治郎の門下生集団である社会思想研究会(社思研)の中心メンバーが集団加入[9]、電力・鉄鋼などの大企業、同盟の前身である全労会議系労組が賛助会員として参加した[10]。民社党、同盟と三位一体の民社ブロックを形成し[10]、民主社会主義の研究・普及や民社党への政策提言にあたった[11]。毎年、全国研究会議を開き、その成果を報告書にまとめた[1]。第1回は『日本における民主社会主義の課題』(1960年)、第2回は『冷戦的共存下の民主社会主義の任務』(1961年)、第3回は『福祉国家への道』(1962年)、第4回は『新しい産業秩序をもとめて』(1963年)。日常的には「民社研労働学校」を開催して教育活動を行った[8]

1994年民社党の解党に伴い政策研究フォーラム(政研フォーラム)と改称した[12]。その他、社会思想研究会や民社研の流れを汲む団体には、国家基本問題研究所河合栄治郎研究会がある[13]

機関誌は『改革者』(月刊)。1960年に『民主社会主義』として創刊され、1965年に『改革者』に改題した。民社党の西村栄一委員長時代(1967~1971年)には「社公民路線」批判、「一つの中国、一つの台湾」支持、沖縄返還協定賛成の論陣を張った[8]。1995年に前年解散した民社党の機関誌『Kakushin』を吸収した。現在も政策研究フォーラムの機関誌として引き続き発行が続けられている。

1977年時点の役員[編集]

主要メンバー[編集]

※上記の「1977年時点の役員」を除く。

出典[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 民主社会主義研究会議(民社研)[文]1960.1.9 大原社研_大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編
  2. 安藤俊裕「社会・民社党の創設者 西尾末広(9) 総選挙惨敗、苦難の道」日本経済新聞(2010年12月5日)
  3. 3.0 3.1 佐藤寛行『日本の政党綱領』民主社会主義研究会議、1977年
  4. 法政大学大原社会問題研究所編『新版 社会・労働運動大年表』労働旬報社、1995年
  5. 今村都南雄『ガバナンスの探求――蠟山政道を読む』勁草書房、2009年
  6. 民主社会主義研究会議編『大系民主社会主義 第1巻 思想』文藝春秋、1980年
  7. ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史Ⅹ――全民労協の発足から連合結成へ』教育文化協会、発売:第一書林、2000年
  8. 8.0 8.1 8.2 石上大和『民社党――中道連合の旗を振る「責任政党」』教育社、1978年、94-95頁
  9. 松沢弘陽『日本社会主義の思想』筑摩書房、1973年、290頁
  10. 10.0 10.1 10.2 藤生明生きていた民社党、保守運動をオルグする」論座(2019年5月5日)、2ページ
  11. 民社党、民社研、社会思想家・武藤光朗、その逝去から10年! 友愛労働歴史館の解説員便り(2008年9月22日)
  12. ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史Ⅹ――全民労協の発足から連合結成へ』教育文化協会、発売:第一書林、1999年
  13. 【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)(4/4ページ) 産経ニュース(2016年12月10日)
  14. 藤生明「生きていた民社党、保守運動をオルグする」論座(2019年5月5日)、4ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]