全斗煥

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全 斗煥(チョン・ドゥファン、전두환、日本語読み: ぜん とかん、1931年3月6日陰暦1月18日) - 2021年11月23日)は、韓国軍人政治家。第11・12代大統領(在任:1980年 - 1988年)。本貫は、旌善全氏は「日海」(イレ/イルヘ)。

経歴[編集]

慶尚南道陜川に生まれる。陸軍士官学校卒業。朴正煕大統領が暗殺された後、粛軍クーデターで軍の実権を掌握。1980年5月戒厳令を強化して野党指導者の金大中らを逮捕し、これに反発した南西部や光州の市民の抗議活動を武力鎮圧する光州事件を引き起こし、死者と行方不明者は200名以上に及んだ。そして大統領に就任すると、日本との関係を良好にするため、当時の中曽根康弘首相と関係構築に努め、1984年の公式訪日を前に取り付けた借款をもとに経済の再建を図った。訪日中には昭和天皇とも会見した。

しかし政権末期になると大学生への拷問致死事件などにより民主化運動が国内で高まり、1987年に後任の大統領となる軍の出身・盧泰愚を大統領直接選挙に向けた憲法改正などの民主化宣言をさせた。北朝鮮とは訪問先のビルマにおいて同行していた閣僚らが犠牲になる1983年10月ラングーン爆発テロ事件などで緊張が続くも、1985年には首脳会談実現に向けて南北高官の非公式接触を行なった。

大統領退任後、親族らの不正蓄財が表面化し、さらに粛軍クーデターや光州事件の首謀者として金泳三政権下の1995年12月に逮捕・起訴され、1996年に1審で死刑判決を受けるも、その後の控訴審判決で無期懲役に減刑されて服役し、1997年12月に特赦で釈放されると政界とは関わらずに余生を送った。光州事件に対しては今も評判が非常に悪い。

2021年11月23日午前、ソウル市内の自宅で死去。90歳没。多発性骨髄腫の持病があったとされている。