髙木邦雄

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髙木 邦雄(たかぎ くにお、1926年 - )は、社会運動家。

経歴[編集]

長野県岡谷市生まれ[1]信州で青年団運動と労働青年の文化芸術活動団体を創立して3年間活動。大学時代は勤労者・主婦・青年のコーラス運動や労働者美術運動で活動[2]。1949年中央大学法学部卒業[3][4]青森県立青森工業高等学校定時制蟹田分校教諭[3][5]小島利雄弁護士の秘書となって、民主社会主義の運動に入る[2]。1952年民主社会主義連盟(民社連)事務局員。1953年機関誌『民主社会主義』編集責任者[6]。1960年民主社会主義研究会議(民社研)の創立に参加、事務局次長[2]。1961年核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)の創立に参加[2]、理事[4]。1962年民社研理事[7]。1962年近代労使研究会議の創立に参加、常任理事・事務局長。1964年全国中小企業労使懇談会を創立[8]。1965年日本産業国民高等学園(理事長・片山哲)を創立[9]、学監[4]。1976年社団法人東京工業団体連合会経営サービスセンター所長[1]

1972年時点で日本産業国民高等学園学監、財団法人全国勤労青少年福祉協会理事、社団法人東京都新生活運動協会企画実践委員長、国際青年協力機構(I.Y.C.O)専務理事[4]。1978年時点で日本産業国民高等学園理事長[10]。1986年時点で日本産業国民高等学園名誉教授、諏訪産業大学校理事長、社団法人東京工業団体連合会経営サービスセンター所長、日本産業経営コンサルタント社長、東北産業経済研究会[1]

1986年の第14回参議院議員通常選挙、1989年の第15回参議院議員通常選挙の長野県選挙区に民社党公認で立候補したが落選した。1988年時点で全金同盟参与、民社党長野県連顧問[11]。1992年時点で民社党長野県連委員長[12]。1993年時点で尚美学園短期大学教授[6]。1994年政策研究フォーラム常務理事(セミナー担当)[13]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『労使協働の理論と実践 理論篇』(近代労使研究会議、1967年)※片山哲石田博英が推薦の言葉を執筆。
  • 『70年代の労務管理』(経済往来社、1970年)
  • 『70年代の労使関係』(経済往来社、1972年)
  • 『国際化時代の経営展開』(日本産業国民学園・出版部、1986年)

共著[編集]

  • 『総合流通読本 第6巻 70年代の労働問題』(三嶋隆雄共著、一隅社、1970年)

監修[編集]

  • 『新しい時代の第一線監督者(全7巻)』(日本産業国民大学・高等学園出版部、1976-77年)
  • 『新時代の労働運動(全8巻)』(日本産業国民学園出版部、1978-79年)

出典[編集]

  1. a b c 宝月圭吾、小林寛義、宮脇昌三編『長野県風土記』旺文社、1986年、591頁
  2. a b c d 高木邦雄『労使協働の理論と実践 理論篇』近代労使研究会議、1967年、21-24頁
  3. a b 高木邦雄『労使協働の理論と実践 理論篇』近代労使研究会議、1967年、111頁
  4. a b c d 高木邦雄『70年代の労使関係』経済往来社、1972年、著者略歴
  5. 高木邦雄「北欧の今日の表情」『若い広場』第114号、1958年1月
  6. a b 髙木邦雄「思想の先駆者〈覚え書〉その一」『改革者』第33巻第10号(通巻390号)、1993年1月
  7. 遠藤欣之助「民社研に期待するもの――音田会員の誤解を正す」『社会思想研究』第14巻第3号、1962年3月
  8. 高木邦雄『労使協働の理論と実践 理論篇』近代労使研究会議、1967年、67-76頁
  9. 高木邦雄『労使協働の理論と実践 理論篇』近代労使研究会議、1967年、100頁
  10. 高木邦雄「雇用危機の中の労使関係――労使協働態勢の確立が急務」『改革者』第18巻第10号(通巻214号)、1978年1月
  11. 「DSPアラカルト トピックス」『Kakushin』第221号、1989年1月
  12. 高木邦雄「民社党の新生と躍進の道――参議院選挙の総括にたって」『改革者』第33巻第7号(通巻387号)、1992年10月
  13. 政策研究フォーラム編「創立40年の歩み――民社研から政研フォーラムへ」『改革者』第41巻1号(通巻474号)、2000年1月