高須裕三

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

高須 裕三(たかす ゆうぞう、1918年9月[1] - ?)は、経済学者。日本大学名誉教授[2]。本名は高須敏行で、高須裕三は筆名[3]

経歴[編集]

東京生まれ[4]。父は海軍軍人の高須四郎[2]。1941年慶應義塾大学経済学部卒業、同大学亜細亜研究所研究員。帝国女子専門学校講師[4]相模女子大学助教授、教授を経て、1957年日本大学経済学部助教授[5]、1959年教授。社会保障論、社会政策を担当[4]。1974年「福祉国家の本質的動向に関する一研究」で経済学博士(日本大学)[6]。日本大学人口研究所所長を務め[7][8]、1988年退職。

1958年日本エカフェ協会「社会委員会」創設に参加[4]、同委員[5]。1962年民主社会主義研究会議(民社研)理事[9]。1972年に小学館が財団法人日本性教育協会を設立し、朝山新一大阪市立大学名誉教授、黒川義和大阪府科学教育センター学校教育研究室長、間宮武横浜国立大学教授、村松博雄医師らとともにメンバーとなった[10]。相模女子大学兼任教授(社会学、社会福祉、教育社会学を担当)[4]日本経済政策学会理事[11]、社団法人スウェーデン社会研究所常務理事も務めた[12]

スウェーデンを中心とする北欧の社会福祉・社会保障政策研究の日本での草分け的な存在[2]。晩年、長年にわたる北欧研究への貢献が認められ、スウェーデン王室より北極星勲章(Commander of the Royal Order of the Polar Star)を授与された[2]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『福祉国家の動向』(誠信書房、1963年、増訂版1966年)
  • 『社会開発理論ABC』(野田経済社[野田経済ABCシリーズ]、1965年)
  • 『愛の実験国――北欧福祉国家の青春像』(講談社[ミリオンブックス]、1966年)
  • 『福利厚生の話』(日本経済新聞社[日経文庫]、1968年)
  • 『現代の社会政策』(中央経済社、1969年)
  • 『社会保障要論』(八千代出版、1972年、補訂版1980年)
  • 『社会保障の基礎理論』(八千代出版、1979年)
  • 『老後のライフワーク――生きがいの発見 趣味事業のすすめ』(ベストセラーズ[ベストセラーシリーズ「ワニの本」]、1979年)
  • 『産業社会と日本文化』(八千代出版、1983年、第2版1984年)

共著[編集]

  • 『社会学・社会政策学』(加田哲二共著、小川書店、1959年、増補版1960年/桜門書房、1963年)
  • 『政策学と社会保障』(内藤英二共著、八千代出版、1988年)

編著[編集]

  • 『職場組織の改善と能率』(丸尾直美、坪井珍彦共編著、ダイヤモンド社、1976年)

訳書[編集]

  • H.エクスタイン『医療保障――福祉国家の基本問題』(誠信書房、1961年)
  • C.R.ドカルロ、O.W.ロビンソン『現代の企業内教育』(中央経済社、1967年)
  • スウェーデン経営者連盟編『スウェーデンにおける経営組織の革新――500の実験例から得た結論』(丸尾直美共監訳、日本能率協会、1977年)
  • J.ナセニウス、K.リッテル『スウェーデンの社会政策――分かち合う福祉』(エイコ デューク共訳、光生館[海外社会福祉選書]、1979年)

出典[編集]

  1. 高須裕三「こんごの体制における福祉政策」『季刊社会科学』第7号、1965年5月
  2. a b c d 内藤英二「内村鑑三『後世への最大遺物 デンマルク国の話』」『宇都宮共和大学宇都宮シティキャンパス 図書館だより 2022 夏』No.8PDF宇都宮共和大学シティライフ学部 研究・図書委員会、2022年7月13日
  3. 人事興信所編『全日本紳士録 昭和40年版』人事興信所、1965年、た58頁
  4. a b c d e 高須裕三『社会開発理論ABC』野田経済社、1965年
  5. a b 加田哲二、高須裕三『社会学・社会政策学』小川書店、1959年
  6. CiNii 博士論文
  7. 「主なできごと」『労働衛生』第23巻第9号(通巻270号)、1982年9月
  8. 「12月の日誌」『生活協同組合研究』第134号、1987年2月
  9. 遠藤欣之助「民社研に期待するもの――音田会員の誤解を正す」『社会思想研究』第14巻第3号、1962年3月
  10. 「医事ニュース できごと――生命と生活」『臨床科学』第7巻第11号(通巻176号)、1971年11月
  11. 高須裕三『現代の社会政策』中央経済社、1969年
  12. 高須裕三、丸尾直美、坪井珍彦編著『職場組織の改善と能率』ダイヤモンド社、1976年