野田福雄

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野田 福雄(のだ ふくお、1914年3月7日[1] - 1981年1月25日)は、政治学者、思想史家。東京学芸大学名誉教授[2]インド思想史[3]、インド問題を研究[4]

経歴[編集]

岡山市生まれ。1933年東京高等学校卒業。1936年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1936年東京朝日新聞社入社、通信部勤務。1937年退社。1939年外務省嘱託調査部勤務。1944年退職。1944年南満州鉄道(満鉄)入社、東亜経済調査局勤務。1945年退職。1947年日本社会党本部政務調査会勤務。1950年退職。1950年東京学芸大学講師、1954年助教授。1964年教授[1]。1977年定年退官、帝京大学法学部教授[5]

大学卒業直前に大原社会問題研究所森戸辰男を訪ね、以後その思想の影響を受ける[6]。戦後、社会党本部書記兼森戸辰男議員秘書となり[7]、社会党政務調査会長の森戸のもとで党の政策立案などに関与[5]民同右派や社会党右派が1949年に結成した独立青年同盟(独青)で指導的役割を果たす[8][9]蠟山政道らが1951年に結成した民主社会主義連盟(民社連)に参加し[10]、理事を務める[7][11]。1955年の社会党左右両派統一に際し、「統一社会党綱領草案」(右社綱領草案)の研究・作成に関与[12]。1960年の民主社会主義研究会議(民社研)の結成に参加し、理事[2]、事務局長(1967年4月~1970年3月、1971年5月~1973年11月)を歴任[13]。1961年4月民社党内に綱領審議委員会が設置され、大島康正猪木正道木下和夫関嘉彦中村菊男武藤光朗和田耕作とともに諮問委員に委嘱[14]

1960年11月に関嘉彦、岡田謙、大島康正、松本三之介石川忠雄ジェームズ・スチュアートアジア財団東京事務所長)と日本社会思想研究所を創設し[15]、理事を務めた。1968年まで英文季刊雑誌『Journal of Social and Political Ideas in Japan』を刊行。この間、2回通算合計約5年間財務担当理事として研究所の運営にあたった[16]

1981年1月25日、心不全のため帝京大学医学部付属病院で死去、66歳[2]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『近代社会思想史』(労働出版社、1956年)
  • 『民主社会主義の展開――その思想と歴史の理解のために』(民主社会主義研究会議学習ライブラリー]、1970年)
  • 『民主社会主義への道程――戦後日本の政治状況』(春秋社、1979年)

訳書[編集]

  • N・ガングリー『印度の經濟と勞働』(栗田書店、1944年)
  • 桑原武夫ほか編『世界思想教養全集17 イギリスの社会主義思想』(関嘉彦吉田忠雄音田正巳、山下重一共訳、河出書房新社、1963年)
    • 『世界の思想17 イギリスの社会主義思想』(関嘉彦、吉田忠雄、音田正巳、山下重一共訳、河出書房新社、1966年)

出典[編集]

  1. a b 「故野田福雄教授略歴・主要著作目録」『帝京法学』第13巻第1号(通巻20号)、1982年1月
  2. a b c 「野田福雄氏を追悼する」『改革者』第21巻第11号(通巻251号)、1981年2月
  3. 髙木邦雄「思想の先駆者〈覚え書〉完」『改革者』第34巻第2・3号(通巻394・395号)、1993年6月
  4. 関嘉彦「回想録――私と民主社会主義(第十二回)民社研議長として」『改革者』第38巻第12号(通巻449号)、1997年12月
  5. a b 諸橋襄「野田福雄教授追悼のことば」『帝京法学』第13巻第1号(通巻20号)、1982年1月
  6. 関嘉彦「野田福雄氏を悼んで」『革新』第128号、1981年3月
  7. a b 『労働人事名鑑 改訂版』社会労働協会、1960年、1243頁
  8. 重枝琢巳「畏兄 野田さんの死を悼む」『改革者』第21巻第11号(通巻251号)、1981年2月
  9. 竪山利忠「大衆の中に入っていけるインテリ」『改革者』第21巻第11号(通巻251号)、1981年2月
  10. 中村菊男「蝋山先生と民主社会主義運動」『改革者』第68号、1965年11月
  11. 中村勝範「中村菊男・人と思想(十五)」『改革者』第20巻第4号(通巻232号)、1979年7月
  12. 高木邦雄「思想と政治と大衆をつないだ業績」『改革者』第21巻第11号(通巻251号)、1981年2月
  13. 政策研究フォーラム編「創立40年の歩み――民社研から政研フォーラムへ」『改革者』第41巻第1号(474号)、2000年1月
  14. 佐藤寛行「政党綱領物語(5)民社党篇(中)"最小限の自衛措置"が論議の的」『改革者』第189号、1975年12月
  15. 関嘉彦「回想録――私と民主社会主義(第九回)国際的文化交流とのかかわり」『改革者』第38巻第9号(通巻446号)、1997年9月
  16. 西出公一「キーワード」『改革者』第21巻第11号(通巻251号)、1981年2月